彼が連れて行ってくれたお店は、駅から十分ほど歩いたところにあるイタリア料理の店だった。
「この間通りかかって、来たいと思っていたんです」
聞けば、彼は街歩きが好きで、営業の最中も道中では飲食店をチェックしているそうだ。
「おかげで昼飯には困らなくなりました」
真面目で実直な人だと思っていたので、仕事中にご飯屋さんのことを考えていると思うとおかしかった。今日は、彼の意外な一面を知るばかりだ。

私たちはお互いにメニューを見合って料理を注文した。私はズワイガニのトマトクリームパスタ。彼はボロネーゼ。
普段はほとんど飲まないお酒も一緒に頼む。せっかくのイタリアンだからと、二人で赤ワインを嗜んだ。
「そういえば、芦田さんって、おいくつなんですか」
お酒が回っていた。いつもよりも快活に喋れるようになったのをいいことに、出会ってからずっと気になっていたことを訊いた。
「33です」
「そうなんですね。失礼ですけれど、もう少し上かと思っていました」
「はは。こんな性格なんで、確かにちょっと上に見られますね。もしよければ桜庭さんも教えていただけませんか」

不思議と、芦田さんから年齢を訊かれることに、嫌悪感は全くなかった。自分が先に聞いてしまったのもあるが、彼の誠実そうな表情と声色がそう感じさせたのだろう。
「30です。今年31になります」
「お若い」
「そんなこと、ないですよ」
彼から見れば、私の歳が若いというのは世間一般の目線からしても正しいのかもしれない。
けれど、最近母から「良い人いないの」「結婚しないの」と急かされるうちに、自分はもう若くないんだと嫌でも思い知らされてきた。
「……てゆーか、なんなんですか、良い人って」
つい、酔った勢いで心の声が漏れた。
芦田さんの「えっ」という驚きの声が耳をかすめる。
だが、一度スイッチが入ってしまった私はもう、彼がどんな反応を見せようがお構いなしだった。
「言われなくても分かってますよ。頑張らなくちゃいけないって。努力しないと何も変わらないって」
「うん」
「でも、怖いんです……。いままで、何かに死ぬほど頑張ったことがないから。頑張って、失敗したらどうしようって……。そう思うと、今のままがいいって思っちゃうんです」
「うん、うん」
「芦田さんはそう思うことないんですか? 毎日お仕事頑張って、失敗して……怖くなったりしないんですか?」

言ったあとで、しまったと思った。
つい4日ほど前に、彼が関わったプロジェクトのコンペが失敗してしまったと聞いたばかりなのに。
最悪だ。それくらいは酔った頭でも分かった。私は右手で左腕をチクッと捻った。頭の後ろの方で、店員さんや他のお客さんが訝しげにこちらを見ているのを感じる。大の大人が半泣きで話をしているのだから、気になるのも仕方がない。

せっかく、お洒落をしてきたのに。
せっかく、彼が誘ってくれたのに。
せっかく、普通の良心的な女性でいられたはずなのに。
これじゃ、全部台無しだ……。