芦田さんがお店に来てからというもの、店番をするときには決まって彼の顔を思い出すようになってしまった。特に、ビジネス書の棚の前に来ると、彼が気に入りそうな本がないか、無意識に目で背表紙を確認する。
「あの、これ買いたいのですが」
休日以外、店にいるのはほとんど私だけなので、彼のことを考えては時々ぼうっとしてしまい、お客さんに呼び出される始末だ。
あの日以来、雨の降る日が続いていた。雨の日は客足がぐっと下がる。それに、外の掃除もできないので、必然的にやることがなくなり、考え事をする時間が多くなるのだ。
 
あれから1週間、また月曜日がやってきた。久しぶりに晴れたので、外の掃き掃除と看板猫の餌やりを少々。ほとんど毎日のように店の前で寝ている三毛猫のニケは、うちが飼っている猫ではない。初めて会ったとき、私が餌をやってしまったが最後、また餌がもらえるんじゃないかと企んでここに来ている。
ニケという名前は私が勝手につけただけで、彼は自分の名前がニケだということをきっと知らない。

餌をやるのは、1週間に一度程度。毎日あげているとさすがに住みつかれる。まあ、もうほとんど加減する意味がないくらいには、彼はここにいる。
「みゃあ」
私が店の扉を開けると、彼は甘い鳴き声を上げる。他のお客さんのときは、こんなふうには鳴かない。せいぜい、あくびをするか通常のトーンで「にい」と鳴く。
「はいはい、餌の時間ですよー」
家の中から持ってきた生温いミルクを彼にくれてやろう。
私がミルクのトレーを置くや否や、可愛らしい舌を出してミルクをペロペロと舐めた。

彼に餌をやるためだけに、気がつけばトレーを買っていて、自分は普段飲まない牛乳を買っている。結局のところ、私はニケがご飯を食べている姿を見るのが一番好きなのだ。無防備に背中を丸め、目の前の餌に食らいつく貪欲さがたまらなく可愛い。

「さてと」
外に出てきたのは、もちろん店の前の掃除をするためだ。
入り口のところに葉っぱや石ころが溜まっていたので、ほうきで掃いて、植木に水をやった。
それから、脚立を持ってきて「桜庭書房」という看板を雑巾で水拭きする。
何十年も前からお店に掛けてあるため、随分と汚れていた。
桜庭は、私の苗字でもある。うちの家系が始めた書店だから、桜庭書房。安直な名前過ぎて逆に気に入っている。