◆◇
「今日は遅かったね」
校門の外でいつも私を待ち構えている猫がいた。私に最初に話しかけてくれた黒猫だ。初めて会った日から一週間が経過したが、その後毎日顔を合わせているんじゃないだろうか。思い返してみれば、『ブラック時計』をつける前から、彼の姿を何度か見かけていたかもしれない。彼、なんて勝手に呼んでいるけれど、男の子なのか女の子かは分からない。しゃべり口調からして、何となく男の子かなと思うだけで。
「月曜日と木曜日は部活があって遅くなるの。て、この間の木曜にも言わなかった?」
「そうだっけ」
「そうだよ」
まったく、おとぼけな猫だ。
私は所属している文芸部で、短めの小説を書いたり詩を詠んだりしている。最近、ネタがないと思っていた矢先、彼らの声が聞こえるようになったのでちょうど良かった。
今回の話は動物と会話ができるようになった小さな女の子の話にしよう、と実体験を元にしたお話を書いているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまった。これほどファンタジックな体験をしている人間は私しかいないだろうから、執筆はとてもはかどった。何せ、彼らが実際に話していることを書いていけば良いだけだから。
「でさー、今日は何して遊ぶ?」
「今日も遊ぶの?」
「当たり前じゃん。そのためにこうして加奈を待っていたんだから」
あたかも、自分は主人に忠実はペットです、と言うように背筋を伸ばして得意げな顔をする彼。その姿が可愛くて「仕方がない、遊んであげる」と言おうとした。その時だった。
「あれー、吉原さん、何してるの?」
背後から声をかけられ、私は反射的にびくりと反応した。
「……田中さん」
振り返ると、私と同じように部活動を終えて校舎から出てきた田中理恵がいた。私は彼女のことを、心の中では「理恵」と呼ぶけれど、面と向かっては、苗字でしか呼べない。「理恵」なんて呼んだ日には、何をされるか分からない。きっと軽蔑されるだろう。弱虫の私には、心の中でしか彼女の名を呼べなかった。
彼女は陸上部に所属していて、彼女の両隣には陸上部女子が二人一緒にいた。どちらも別のクラスの子だけれど、理恵と仲が良い子は決まって気が強いし、今だって珍しい生物でも発見したかのような目で私を見ている。膝上まで短くしたスカートが、校則を破ったことのない私の目の前でひらりと風に揺れた。
「吉原さん。今、誰かと喋ってなかった?」
「べつに」
「うそー。しっかり口が動いてるの見たよ。ねえ、誰と喋っていたの? 見たところ、近くに人間はいなかったけれど」
尊大な目をした彼女が、口元に不気味な笑みを浮かべて私の足下を見ている。そこには私の右足に身体を擦り付けている黒猫が一匹。
ああ、最悪だ。
彼女はきっと分かっている。ばれている。
私が人間ではなく、猫と会話していたということを。遠くから見られていたのだ。だとすれば、私が一方的に猫に話しかけていたイタイ人間だと思ったに違いない。
「田中さんには、関係ないじゃん」
表面上は、普段から理恵が自分につっかかってくることを気にしていないフリをしているので、今日もこうして強気で出た。ただ、内心では一目散にこの場から逃げ出したい。
「猫と話してにやにやするクラスメイトなんて、見てるだけで吐き気がするんですけど」
隣の女子二人が、理恵の言葉にくすくすと笑う。彼女たちは、私を見下しているようで、実のところ理恵の奴隷と化していることに気づいていない。自分の意思で私を軽蔑しているのではなく、理恵がそうしているから同じように動いているだけだ。
私は、こんなふうになりたくない。
理恵の横で、自分と何ら関わりのない人物を、わけもなく蔑む人間に。
「あーあ、気持ち悪い」
繰り返し、汚いものを見るような目で精一杯私を馬鹿にしたあと、彼女は友人たちと「行こ」と歩き出した。
三人がその場を去るまで、私は1ミリだって動かなかった。いつ彼女たちが振り返って汚い視線や言葉を投げかけてくるか、分からなかったから。
しばらくそのままの状態で、足下で丸くなっている黒猫の背中を撫でていた。猫は、「大変だねえ」とまるで他人事のように呟いた。いや、他人事には変わりないのだけれど、今回はちょっとだけ、あなたが原因でもあるんだよ。そう言おうとしたけれど、やっぱりやめた。
何もかも、私が悪いのだ。
全ての原因は、皆から気持ち悪がられる、私だ。
「今日は遅かったね」
校門の外でいつも私を待ち構えている猫がいた。私に最初に話しかけてくれた黒猫だ。初めて会った日から一週間が経過したが、その後毎日顔を合わせているんじゃないだろうか。思い返してみれば、『ブラック時計』をつける前から、彼の姿を何度か見かけていたかもしれない。彼、なんて勝手に呼んでいるけれど、男の子なのか女の子かは分からない。しゃべり口調からして、何となく男の子かなと思うだけで。
「月曜日と木曜日は部活があって遅くなるの。て、この間の木曜にも言わなかった?」
「そうだっけ」
「そうだよ」
まったく、おとぼけな猫だ。
私は所属している文芸部で、短めの小説を書いたり詩を詠んだりしている。最近、ネタがないと思っていた矢先、彼らの声が聞こえるようになったのでちょうど良かった。
今回の話は動物と会話ができるようになった小さな女の子の話にしよう、と実体験を元にしたお話を書いているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまった。これほどファンタジックな体験をしている人間は私しかいないだろうから、執筆はとてもはかどった。何せ、彼らが実際に話していることを書いていけば良いだけだから。
「でさー、今日は何して遊ぶ?」
「今日も遊ぶの?」
「当たり前じゃん。そのためにこうして加奈を待っていたんだから」
あたかも、自分は主人に忠実はペットです、と言うように背筋を伸ばして得意げな顔をする彼。その姿が可愛くて「仕方がない、遊んであげる」と言おうとした。その時だった。
「あれー、吉原さん、何してるの?」
背後から声をかけられ、私は反射的にびくりと反応した。
「……田中さん」
振り返ると、私と同じように部活動を終えて校舎から出てきた田中理恵がいた。私は彼女のことを、心の中では「理恵」と呼ぶけれど、面と向かっては、苗字でしか呼べない。「理恵」なんて呼んだ日には、何をされるか分からない。きっと軽蔑されるだろう。弱虫の私には、心の中でしか彼女の名を呼べなかった。
彼女は陸上部に所属していて、彼女の両隣には陸上部女子が二人一緒にいた。どちらも別のクラスの子だけれど、理恵と仲が良い子は決まって気が強いし、今だって珍しい生物でも発見したかのような目で私を見ている。膝上まで短くしたスカートが、校則を破ったことのない私の目の前でひらりと風に揺れた。
「吉原さん。今、誰かと喋ってなかった?」
「べつに」
「うそー。しっかり口が動いてるの見たよ。ねえ、誰と喋っていたの? 見たところ、近くに人間はいなかったけれど」
尊大な目をした彼女が、口元に不気味な笑みを浮かべて私の足下を見ている。そこには私の右足に身体を擦り付けている黒猫が一匹。
ああ、最悪だ。
彼女はきっと分かっている。ばれている。
私が人間ではなく、猫と会話していたということを。遠くから見られていたのだ。だとすれば、私が一方的に猫に話しかけていたイタイ人間だと思ったに違いない。
「田中さんには、関係ないじゃん」
表面上は、普段から理恵が自分につっかかってくることを気にしていないフリをしているので、今日もこうして強気で出た。ただ、内心では一目散にこの場から逃げ出したい。
「猫と話してにやにやするクラスメイトなんて、見てるだけで吐き気がするんですけど」
隣の女子二人が、理恵の言葉にくすくすと笑う。彼女たちは、私を見下しているようで、実のところ理恵の奴隷と化していることに気づいていない。自分の意思で私を軽蔑しているのではなく、理恵がそうしているから同じように動いているだけだ。
私は、こんなふうになりたくない。
理恵の横で、自分と何ら関わりのない人物を、わけもなく蔑む人間に。
「あーあ、気持ち悪い」
繰り返し、汚いものを見るような目で精一杯私を馬鹿にしたあと、彼女は友人たちと「行こ」と歩き出した。
三人がその場を去るまで、私は1ミリだって動かなかった。いつ彼女たちが振り返って汚い視線や言葉を投げかけてくるか、分からなかったから。
しばらくそのままの状態で、足下で丸くなっている黒猫の背中を撫でていた。猫は、「大変だねえ」とまるで他人事のように呟いた。いや、他人事には変わりないのだけれど、今回はちょっとだけ、あなたが原因でもあるんだよ。そう言おうとしたけれど、やっぱりやめた。
何もかも、私が悪いのだ。
全ての原因は、皆から気持ち悪がられる、私だ。