それなのに、その日以降も、私はクラス中の人から「アイツは自分だけ目立ちたいと思ってる」と白い目で見られ、何かにつけて無視されるようになった。
関係が、なかった。
私の声が一人だけ大きくて目立っていたことも、合唱コンの結果がどうなるかも。
みんなにとって、「それ」は暇つぶしに過ぎない。悪意の塊がただそこにあるだけだった。    
私はその悪意の塊に、つまずかないように、細心の注意を払って生きている。

誰かに無視されても動揺せずに前を向くこと。
物を隠されたり壊されたりしても、執着せずに許すこと。
全然気にしてませんって顔をして本業の勉学に打ち込むこと。

それでいい。それでいいじゃない。
自分を納得させるように、夜寝る前に何度も心の中で復唱する。大丈夫、私は平気。子供っぽい周りの子たちとは違うんだから。
実際、必死に取り繕っていると、もはや他人から自分の言葉をスルーされることこそが「普通」な気がした。無視されることが多過ぎて、違和感を覚えなくなった。
それでも、どうしてか。
3学期が始まったこの日も、例外なく胸が痛い。
クラスメイトから無視される、という事態が始まったあの日から、本当はかなりダメージをくらっていたのだと気づく。
誰も、自分の言葉に耳を傾けてくれないこと。
どれだけ建設的な意見を叫んでも、聞いてくれないこと。
単なる挨拶でさえ、交わすことができないということ。

2年3組の担任、石原千恵子(いしはらちえこ)先生は私がクラスのみんなから無視されていることを知っている。ドラマに出てくる教師みたいに、いじめに近いこの状況に気づいて、何もしないひ弱な先生ではなく、再三注意もしてくれている。けれど、その注意の仕方が、型にはまりすぎていて、誰の心にも響いていないのだ。「友達を無視するのは良くありません」って。それ、無垢な小学生にしか通用しないよ。私たちもう、中学2年生なんだよ。14歳ないし13歳の私たちには、十分に善悪の判断がついている。それを今更もっともらしい言葉で注意したところで、改善されるはずがなかった。

ホームルームで言うことは相変わらず、「行く、逃げる、去る」。
だから毎日の時間を大切に過ごしましょう。
分かってる、先生。確かに、中学1年生までの3学期はとても早かった。28日間しかない2月、冬休み、春休みのおかげで20日ほどしかない1月と3月。ほんと、一瞬で終わるという感覚だ。

でも、これから始まる中学2年生の3学期は、絶対に短くなんかない。あっという間なんかじゃない。
2学期の途中から冬休みに入るまでだって、十分に長かったんだもの。
きっとこれからの数十日間だって、信じられないほど長いんだ。
そう思うとさ、投げ出してしまいたくなるよ。
毎日の登校時間、授業中、昼休み、下校時間。
中学2年生の残りの学校での時間をすべて。
手放して、このまま終えてしまいたい。