春人さんは答えない。
無言のまま、それでもわたしに傘を差してくれている。
優しさが、痛い。
傷つけて、やりたかった。
これ以上、わたしだけが痛くなるなんて、そんなの理不尽だ。こんなにたくさんの女の子から想われて、自分は選び放題で、女の子の誰かが傷つくレースだということを知りながら、わたしじゃなくて弥生が好きなのを自覚しながら、こうして優しくするなんて。
春人さんなんか、ぐちゃぐちゃに傷ついて、同じ痛みを思い知ればいい。

「……わたしは、春人さんが好きなのに」

最悪のタイミングを測り、わたしは決定的な言葉を口にした。
もう、自分の恋が成就するなんてこれっぽっちも思っていない。どうせ届かない気持ちならば、せめてその想いで、先輩が傷つけばいい。昇華しきれないわたしの気持ちを、刃に変えて。
見なくても分かる。

春人さんが、わたしの告白に驚いて、何も言えずにいるということ。わたしの気持ちを知っていたか知らなかったかは分からないけれど、きっと今このタイミングで想いをぶちまけたわたしを、自分勝手なやつだと思ってるんだろうな。

ああ、もう終わりだ。
春人さんへの恋は、ここで終わり。
彼はこの先、当分の間わたしに話しかけてこなくなるだろうし、わたしも春人さんともう、話せなくなるかもしれない。

止まない雨。さっきまで、冷たくて痛くて、雨なんか大っ嫌いだったけど、この雨に紛れて、私の涙も負の感情も垂れ流すことができるから、ありがたかった。
お互いに言葉を発しない。わたしたち二人の側を通り過ぎてゆく通行人。傘をさしながら自転車を漕ぐ人たち。通り過ぎたあと、自転車のせいで跳ねた水が、わたしの身体に降りかかった。けれどもう、雨でびしょ濡れのわたしは、何も動じない。痛くも痒くもないよ。
「ごめん」
ぽつりと、頭上から降ってきた彼の言葉。
春人さんの口から、一番聞きたくなかった言葉。
「……謝らないでください」
「ああ。でも、ごめんな」
その言葉が、ちっともわたしの心を癒してなんかくれないこと、分かってるくせに。むしろ、余計にかき乱されることを、知っているくせに。春人さんはわたしに謝ることで、自分が楽になりたいんだろう。その気持ちも分かる。多分、わたしが春人さんと同じ立場でも、同じことをしていたと思う。
「ばかばかばか……」
背を向けたまま、わたしの身体の上に傘を差してくれている春人さんに、無意味な抵抗をぶつけた。
「ああ」
その言葉も、何もかも、春人さんは受け止めるつもりだ。それが彼の覚悟なんだろう。
「先輩なんか、早くどっかいっちゃえ」
「うん」
「弥生に、早く気持ち伝えればいいんだ」
「そうだな」
「わたしのことも香奈さんのことも、知らんぷりして、自分の気持ちをぶつけてきてよ」
「……ああ」
痛いのは、春人さんの言葉じゃなかった。
自分自身の言葉。
片思いのくせして彼に怒りをぶつけている自分自身が、痛い。

もう、やめよう。
彼に投げかける言葉は、嫌味や罵倒ではない。わたしが彼を好きなように、彼は弥生のことが好きで、苦しんでいるのかもしれない。弥生と彼がどこまでの関係なのか知らないけれど、もしかしたらわたしなんかよりもずっと、弥生は春人さんと関係が深いのかもしれないけれど。

現在のところ、春人さんと弥生が恋人なわけではないのだから。あとは春人さんが弥生に気持ちを伝えるかどうかの問題じゃないか。
わたしは、振られたんだ。
香奈さんも、いずれはわたしと同じように振られてしまうだろう。
そうしたら春人さんは、弥生に気持ちを伝えにいくんだろう。
「寒いから、帰りましょう」
固まっていた足に、ようやく感覚が戻ってきて、のらりと立ち上がった。膝もコートもびしょ濡れで、髪の毛からは水滴が滴って、とても人に見られても大丈夫というような状態ではなかった。