冬の雨でとっくに冷えた身体が、体育館の中の熱気で一気に火照ってゆく。
そうだ、もうすぐ、公式戦があるのだ。
予定だと1週間後。だからだろうか。いつも以上に、プレイヤーの皆が一心にボールに向かっている。こんなふうに、好きな人に会いたいという不純な気持ちでいる人なんて、きっとわたし以外にいないんだろう。
 わたしの隣で試合を見ている弥生。ボールを手にして、時々くるくると指でそれを回す1年生の桃。もともとバスケ部だったらしいし、試合を見ているとボールを触りたくなるんだろう。
「ファイトー!」
いつにも増して、人一倍声高に声援を送る、香奈さん。彼女の視線の動きが、わたしの視線と一致していなかったらいいのに。
都合の良い解釈。分かってはいるけれど、もう何度見たか分からない、香奈さんと春人さんのツーショットを、これ以上見ていられるか不安だった。
もしも今回の試合の終わりにわたしの気持ちを伝えたらどうなるんだろう。不意に、頭に浮かんだ想像。自分でした想像なのに、胸が締め付けられる。まだ行動に移そうなんて決めたわけでもないのに、変なの。
だけどそれでもう、終わりにしたい。
苦しいのも、見たくないものを見なきゃいけないのも、終わりに。
ダン!
一つのボールが跳ねる音と、キュッキュッとプレイヤーたちが床を踏み鳴らす音が重なり合う。体育館で、しかもバスケットボールの試合でしか聞くことができない、不思議な合奏。耳に心地よい音楽だ。
ひたすら追ってゆく、春人さんの姿。他の先輩たち、1・2年生のプレイヤーもそれぞれのポジションで奮闘している。バスケは一チーム五人。サッカーや野球に比べると人数が少ない分、一人一人の動きが目立つ。誰も、わたしみたいに、練習のこと以上に一人の仲間のことを想ってるなんてことは、ないんだろう。
センターにいる3年の木戸先輩が一瞬、ちらりとわたしたちマネージャーの方を見た気がした。弥生の隣にいる桃が、ふと顔を上げた。なんだろう。口元が、綻んでいる。

ああ、そっか。二人も、そうなんだ。ちょっとだけ心が和む。わたしだけじゃないのか。わたしや香奈さんだけじゃない。悶々とした気持ち、誰か一人の活躍を見守っていたいという気持ち。皆それぞれにあるのかもしれない。普段は人の気持ちを察してばかりいる弥生にだって、もしかしたら。
最初の10分間の練習試合が終わり、プレイヤーたちがわたしたちの元へ、水をもらいに来る。すでに汗だくになっている彼らに、水と一緒にタオルを渡す。そうだよね、暑いよね。外はあんなに寒いのに、皆の熱気が強いんだ。
「はい」
1年生の桃が、3年生の木戸さんに水を渡している。控えめな桃だけど、試合の最中は自ら動く。練習のとき、一番真剣なマネージャーは桃かもしれない。
「ありがと」
木戸さんは照れ隠しなのか、短く言葉を切って彼女からお茶を受け取った。
桃と木戸さんを横目に、わたしは近づいてくる春人さんを気にしていた。水を取りに来ているだけなのに、心臓が跳ねる。ああもう、重症じゃない。
春人さんが、こちらを見ている。思わず「あ」と声を出した途端、右隣にいた香奈さんがさっと動いた。
「春人、はいよっ」
「さんきゅ」
香奈さんが1メートルぐらい離れた春人さんにボトルを投げる。彼女らしい渡し方だった。
「美味しいでしょ〜」
「ああ、美味い」
完敗だった。
喉を鳴らしながら水を飲む春人さんの、頭の上。
そこに、文字が、浮かんでいる。
なんでそんなことが起こるのか、なんでわたしだけがこんなにも驚愕していて誰も騒ぎ出さないのか、答えは一つしかない。
全部、こいつのせい。左腕につけた例の時計の。

『浦田弥生』
 
彼の黒い髪の上に浮かんだ文字が、何を意味しているのか、考えるまでもなかった。たったひとこと、親友の名前がそこに見えるというだけで、その名前の言わんとしていることを、感じ取ってしまったわたしが悪い。

春人さんは、弥生のことが好きなんだ。