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その日から、あたしは本格的にブラック時計の効果を測定し始めた。
中間考査も終わったばかりだったので、実験は全て小テストで行った。
良くないとは思いつつも、あえて勉強せずに小テストに臨む。
左手には必ず件の腕時計を着けて。

結果は、一目瞭然だった。
数学も、英単語も、古典も、すべて。
見えた通りに答えを書き込んだ部分が正解になっていた。
全部の解答を見えた通りに書いて満点ばかり取ると、さすがに不審がられるだろうと思い、ちょっとずつわざと別の答えを書いた。時計の力がなければこう書いただろうという解答を。
間違いない。
この時計は、あたしにテストの答えを見せてくれる。
ブラック時計の効果は、本当だった。
そう分かったのだけれど、ドク、ドク、という興奮が止まらない。
この時計が、本当に。
本当に答えを見せてくれるんだ……。
「どうした、秋葉」
授業と授業の合間の十分休みにずっと時計を眺めていたから不審に思ったんだろう。種田一樹があたしの方を見ていた。
「なんでもない」
まったくもって、なんでもないことはないのだけれど、種田に時計にことを話したって、どうにかなるわけでもない。
「なんだ。面白くねーな」
いやいや、面白くないって、他人をなんだと思ってるんだ。
あたしはあんたの見せものじゃないわよ。
心の中でだけ突っ込んで、今後の時計との付き合い方をまた考える。
種田は、あたしがこれ以上相手をしてこないと諦めたのか、不服そうにスマホを取り出してゲームを始めた。

今月末には、期末テストがある。
この間中間テストが終わったと思ったのに、もう。
本当、学生ってテストに追われまくる。まるで、テストのために生きてるみたい。
「やになっちゃう」
放課後、教室から皆が部活に行ったり帰宅し始めたりしていた。
パラパラと教室から人が少なくなってゆく。
成績が良ければ、あたしだってこんなに卑屈にならなくて済むのかもしれない。
成績さえ良ければ、プライドは保たれて、毎日楽しいんだろうな。
勉強だけじゃない、高校生活を、ちゃんと「青春する場所」だって、思えるんだろうな。
花鈴や真由みたいに好きな人の話で盛り上がることができるんだろう。
「秋葉」
顔を机に伏せたま考えに考え過ぎて、しばらく種田に名前を呼ばれていることに気がつかなかった。
「種田……」
「どうしたんだよ。今日ずっと変だぞ」
「種田、部活はどうしたの」
「今から行くけど」
「そう」
「そんなことより秋葉、絶対何かあっただろ」
「なんで?」
あたしは、なぜ種田がそこまで自分を気にかけてくれるのか、分からない。種田は放課後になるといつもダッシュでバスケ部の練習に行く。それなのに今日は、練習用のエナメル鞄を肩にかけて立ち上がったまま、あたしの返事を待ってくれていた。
「なんでって、気になったから」
「なんで、気になるの」
「気になったら悪いかよ」
「悪いとか言ってないじゃん」
「あのなあ」
呆れた種田のため息が上から降ってくる。
なによ、急にどうしたのよ。いつもはあたしのことなんて、いじりの対象としか見ていないくせに。
「……ごめん」
「え?」
なんで。
突然「ごめん」だなんて、意味分かんない。これじゃ、あたしが何か悪いことしたみたいじゃない。
「なんで謝るの」
さっきから、「なんで」ばかりだ。あたしは、成績のことばっかり悩んでて、隣に座ってるこの人のことを何も分かっちゃいない。
「俺がなんか、怒らせるようなことしたかなって……」
種田はいつになくしおらしい表情で、あたしの反応を伺った。いつもは、面倒臭さそうにあたしの話に付き合ってくれたり、上から目線で話しかけてきたりするくせに、急にそんな態度をとるなんて、ずるい。
「そんなことないって」
あたしがそう言っても、種田はらしからぬ様子で、「いや、でも」と口籠る。
なになに、本当にどうしたっていうの?
エナメル鞄の汚れが、「部活に行かないのか」と種田に語りかけているように、妙に目についた。
種田は何か言いたげな表情をしているのに、口を少しだけ開いては閉じ、を繰り返している。
教室に差し込む西日が顔に当たってまぶしい。
種田の全身は、橙色の光を背後から浴びて影になっている。
しばらくの間、あたしたちは無言の時間を過ごした。
普段、授業中でも話をしてしまい、「後ろの二人静かに」って先生から注意されるのに、こんな時にだけなんでお互い喋れないんだろう。
ああ、もう。
これは、なんというか。
そう、気まずい。
限界だった。
あたしは、とりあえず何か喋らなきゃ、という精神で口を開いた。先の言葉は用意していない。
「……あたし、最近おかしいよね」
種田の顔。
あたしは、ちょっと前から直視できない。
なんでそうなったのか分からないけれど、種田ももしかしらた同じなんじゃないかと思う。
「だから、さっきからそう言ってんじゃん」
「……そうだね」
自分がおかしいのは、紛れもなく左腕にはめた腕時計のせいなんだけれど。
もしかしたら、それだけじゃないのかな。
自分が気づいていないだけで、『ブラック時計』をはめてもはめなくても、あたしは「おかしい」のかな。
二人の間に、また微妙な沈黙が流れる。
種田が少し、あたしから顔を逸らしたせいで、西日が余計にまぶしい。
盾に、なってよ。
もっとあたしの盾になって。
「ねえ、今から変なこと言っていい?」
『ブラック時計』のことを、あたしは彼に話してみたくなった。
絶対に信じてもらえないと知りながら、もし話したらどんな反応をされるだろうかという期待。
この期待がなければ、あたしは今、種田に面と向かって口を利けないと思う。
 
だってもう、明らかに激しく脈打っている心臓が、止まらないもの。

「さっきから十分変だって」
種田が、ははっと笑ながらそう言ってくれたから、あたしは一気に緊張がほぐれた。
「もし、もしも、だよ。種田に超能力があったとしたら、例えば、透視能力みたいな力が——種田はさ、何を見たい?」
突然何を言い出すかと思いきや、超能力だのなんのって、さすがの彼も呆れただろう。小学生ならまだしも、高校二年にもなって、ファンタジーがすぎる。
けれど種田は、始めこそ「なんだそれ」と突っ込んできたものの、「俺は」とあたしの目から視線をそらして言った。

「好きな人の、気持ちかな」

二人の間で、お互いの心臓の音が聞こえるんじゃないかってぐらい、シンとしていた。
どうして。
どうしてそんなふうに、顔をそらしてまで、答えられるんだろう。
そんなことされたらもう、分かっちゃうでしょ。
あたしの自惚れじゃなければ、簡単に。
恥ずかしい。
シンプルに表現すると、その一言に尽きた。
けれど、あたし以上に自分が放った言葉の収拾がつけられない種田は、それ以上何も触れず、「そろそろ行くわ」と鞄を肩にかけなおして教室から出て行ってしまった。
「ちょっと待ってよ」
そう言いたかったけど、ダメだった。
あたしの方も十二分に、先ほどから鳴り続ける心臓への収拾のつ方が分からなかったから。