雅さんは、本人いわく「可愛いものフェチ」らしい。日々可愛いものへの探究心を忘れず、可愛いものだけに囲まれて生きていたいのだと言う。特に、周りに「可愛いひと」がいないのは何より嘆くべき事なんだとか。
『耐えられない状況を打破するには、これがベストなのかもしれない』
 そう考えた雅さんは、自分を「可愛いひと」にする事にしたそうだ……。
 つまり。つまり、だ。ネタバラシしてしまうと、実は彼女……本来『彼』な訳で。
 まあ……色々雅さんなりの葛藤とかあったんだよね、と推測したいけど、すっかり「可愛いひと」ぶりが板に着いちゃってるくせに、時々それを忘れて欲望を男性的に暴走させる。
 なので私は「超絶キレイなお姉さんは、たまにやばいので注意が必要です」と、認識することにしていた。油断は禁物――! 
 その「やばいお姉さん」は今、絶好調で暴走中だ。
「陽菜ちゃん……そのジャム、ワタシが……ふふっ……とってあげます!」
「今の笑い何っ!? 結構ですっ!」
「大丈夫……優しくするから」
「優しくの意味が分からないー!」
 無駄に美しく無駄にいやらしい雅さんが更に近づいて。ああ……もう私ダメだ 。最大の危機に泣く。
 その時だった。
「朝から変態菌をばら撒くのやめてくれるか?」
 成瀬さんの低い声。
 ドカッと大きな音と共に雅さんが横に飛んで行った。飛んで行った? あ、なるほど。成瀬さんが雅さんに蹴りを……
「いってええ! おい祥一朗! 朝っぱらから何すんだよ!」
 雅さん口調! 口調が!
「それはこっちの台詞だけど? 全く……ちょっと目を離せばすぐこれだ。油断も隙もありゃしない。いいか、陽菜さんに変な事したら承知しないから。彼女はこの屋敷の新しい主人なんだ。お前は雇ってもらってる立場だという事を忘れない様に」
「変なコトなんかする訳ないだろ。ただ可愛い陽菜ちゃんを愛でてるだけだよ」
「一度死んでみるか?」
「スミマセン」
 眉を顰めて怖い事を言う成瀬さんに、雅さんが速攻で土下座謝罪。この光景は日常茶飯事だった。
 長い間お祖父ちゃんをサポートしながら一緒に過ごして来た二人はいわば同僚でもあるんだけど、こうして力関係を見る限り、立場は圧倒的に成瀬さんが上だ。
 でも、この二人のやり取りは見てるとなんだか笑ってしまう。揉めてるというより、じゃれ合ってるという表現の方がしっくりくるから。結構仲良しな二人。男の人同士の友情は不思議だ。……見た目は男女だけど。
「大丈夫? 陽菜さん?」
「あ、はい!」
「良かった。それから……あの後はぐっすり眠れたみたいだね」
「おかげさまで。ありがとうございました」
 私の言葉に成瀬さんは「いいや、こちらこそ。役得だったしね」と少し表情を緩めた。
 それはもしかして私が考えている事を指している?――でも、恥ずかしくて「何が?」と聞く事は出来なかった。かわりに雅さんがかなりしつこく真相を迫っていたけど、成瀬さんは何も言わず。ホッとした様な……ちょっぴり残念な様な……? うーん……。
「あら、電話だわ」
「え、電話?」
 複雑な乙女心を遮断した雅さんの声。私も耳を澄ましてみた。
 廊下の奥、遠くの方で聞こえるのは確かに電話の音。多分とても価値があるだろうアンティークの西洋風電話が、この屋敷唯一の電話だった。どんなに広くても、ファックス機能付き親子電話なんて便利なものはこの屋敷には無い。まあ、特に必要としていないからだと思う。
 広い屋敷のリビングに忘れられた様に置いてあるそれは、飾り物と間違うくらい滅多に鳴る事はなかった。その電話が珍しく、上品なベルの音を響かせている。
「僕が出るよ。陽菜さんは先に朝食をどうぞ」
 成瀬さんがそう言って。私と雅さんはその彼の背中を見送る。足早に行く成瀬さんを見つつ、雅さんが色の無い声で言った。
「それにしても……いつ見ても無駄に長い脚ね。なんかムカつくわ」
 雅さん……それって嫉妬?