――僕は悪魔ではないからね。見えるものなんてほとんど無いさ。
ヴァッサーゴの瞳を受け入れている彼の中には、どれだけの苦悩と、もどかしさがあるのだろうか――。
それはきっと誰にも理解出来ない。恐らく、これからも、ずっと……。
成瀬さんとマサシさんの様子を見て、こういうことが今までに何度もあったんだなと察した。
「じゃ、行くわ。晩飯の用意と夜のお勤めがあるし、サクサク動かねぇと時間がない」
「ありがとう。頼んだよ」
「陽菜ちゃん。今晩は陽菜ちゃん大好き『雅さん特製ハンバーグカレー』だぞ! 楽しみにしてろよ~」
「――は?」
何故それを知っている!?
聞く間もなく、マサシさんは大股で去っていった。ゴッゴッゴッ、と硬い音と鼻歌が階段を下りていく――。
「楽しみにって……」
「あの様子じゃ、デザートにもかなり気合い入れてるみたいだね。相変わらず歌は下手だ。読経は凄いのに」
「いや、いやいやいや……」
あとは彼に任せよう、と、机の上を片付け始めた成瀬さんに、私は「待った」をかけた。
羽の栞を振って成瀬さんの気を引く。
「気に入ったの? その本、陽菜さんが持っていて良いよ」
「違くて! マサシさん! あれ!」
まともな日本語になっていないのに、感の良い成瀬さんへはちゃんと通じたようだ。
「ん? 言ってなかったかな?」
「聞いてないです! 会ったのも初めてだし!」
「そうだったっけ?……あ、そう言われてみればそうか。屋敷でしか会ってない。あまりに自然で気付かなかった」
「確かにそこは否定しませんけど……」
「雅の本名はマサシなんだ。字は一緒だよ」
「字は一緒でも外見が全く違うっ」
彼女は本当は彼だと知っていたけど、あんなにガラッと雰囲気から何から違う人になるとは思わなかった。ロック? でライダーな寺の息子……。
エプロン姿の華やかな雅さんしか見た事ないから、正直なところ私は少し混乱している。
「どんな姿でもいいよ。あいつは大切な友人。それは変わらないからね」
「……」
――そういうとこだぞ! この天然タラシが!
マサシさんの照れ隠しの焦り声が聞こえた気がして。
「やっぱ成瀬さんだなぁ」
「?」
私はしばらく一人でニヤニヤしていた――。