◇◇◇
「ヴァッサーゴの隻眼って、本のタイトルだと思ってました」
司書カウンターでパソコンに向かう成瀬さんに溜息を投げた。
「人間で、しかも成瀬さんだったとか……。そうきたか~! リストじゃ見つからないはずだよ」
画面から視線を外さず。成瀬さんは、豊香さんが消えた後からずっとタイピングとクリック音を響かせている。
「文雄さんが勝手につけたあだ名でね」
「カッコイイあだ名」
「今、中二病みたいだなって思ったでしょ」
「……。本じゃないと分かるとそう聞こえちゃう不思議」
「素直だな。陽菜さんは」
声が微笑む、という表現があるとしたら、成瀬さんはよくそんな感じになる。
表情は、ほぼ無なんだけど、穏やかな口調が僅かに、ほわんと軽くなった様な――。言葉にするのが難しい。語彙力をください。
「これ。文雄さんがよく読んでた本」
「お祖父ちゃんが?」
成瀬さんが引き出しから一冊の本を出した。
透明の文庫カバーで保護してあるけれど、表紙は色褪せクリーム色になっている。
真鍮製、ブロンズカラーの羽の栞。この栞いいなぁ、と思いながら挟んであったページを見る。まず飛び込んできたのは『ヴァッサーゴ』という文字だった。
ヴァッサーゴ。ソロモン王七十二柱の魔神の一人。ヴァサゴ、ヴァスタゴ、などとも呼ばれ、容姿も含め謎が多い悪魔らしい。
「悪魔の名前なんだ……」
「よく見つけてきたものだね。そういうのが好きらしくて、書庫の中は海外から集めた資料が山ほど積んであるよ。黒魔術でも試すつもりだったのかな」
お祖父ちゃんが成瀬さんをヴァッサーゴと結びつけた理由は、本を読めばすぐ分かった。
温和な性格で博識。王子、という文字も。これ成瀬さんそのまんまじゃないか。お祖父ちゃん、ナイスネーミング!
「ヴァッサーゴは過去・現在・未来、全部の事を知ってるって……凄くないですか?」
「……はは」
乾いた笑い声で成瀬さんは肩を竦めた。本には『例えば』と解説が続く。
『失くした物がどこにあるか質問すると、場所など様々なことを教えてくれる』
成瀬さんには不思議と、相手の知りたい情報が脳内に浮かぶという、まさにヴァッサーゴみたいな力があるらしい。
「断片的な画像だったり、単語だったり……。単語のほうが多いか……」
「そっか! だからさっき」
「僕は悪魔ではないからね。分かることなんてほとんど無いさ」
「でも豊香さんの名前を! すごい!」
「陽菜さん」
万年筆を指でくるっと回し、成瀬さんが興奮しかけの私を止めた。低音で窘める口調。しまった。少しはしゃぎ過ぎたかな……。
「どうして文雄さんは《ヴァッサーゴの隻眼》なんて変なあだ名を思いついたと思う?」
「ヴァッサーゴくん、とかでも良かったですもんね。やっぱりカッコつけたかったのかな」
「ヴァッサーゴくん……」
一瞬呆れた顔をされたけど、「面白いね」とフォローが入る。心はこもっていない、棒読みだ。棒読み……。
「この悪魔は盲目らしい。そして僕は、右の眼球が無い」
「へっ?」
言うや否や、成瀬さんは前髪をかき上げ、万年筆を右眼に刺した。コツンと小さな音がしてペン先が黒い目に弾かれる。
「……!」
「このとおり義眼。だから文雄さん余計に面白がっちゃって……こんな中二病みたいな呼び名」
「……お祖父ちゃんてば」
成瀬さんは自分の二つ名が不満らしい。私は好きだけどな。
「僕もね、施設暮らしだったんだ。それを文雄さんが拾ってくれた。義眼も、彼が作ってくれた。右眼の無い気味が悪い子供を欲しがるなんて、君のお祖父さんは本当に不思議な人だよ」
小さく微笑んでそう言うと、成瀬さんはまたパソコンに向かってしまう。
「ヴァッサーゴの隻眼って、本のタイトルだと思ってました」
司書カウンターでパソコンに向かう成瀬さんに溜息を投げた。
「人間で、しかも成瀬さんだったとか……。そうきたか~! リストじゃ見つからないはずだよ」
画面から視線を外さず。成瀬さんは、豊香さんが消えた後からずっとタイピングとクリック音を響かせている。
「文雄さんが勝手につけたあだ名でね」
「カッコイイあだ名」
「今、中二病みたいだなって思ったでしょ」
「……。本じゃないと分かるとそう聞こえちゃう不思議」
「素直だな。陽菜さんは」
声が微笑む、という表現があるとしたら、成瀬さんはよくそんな感じになる。
表情は、ほぼ無なんだけど、穏やかな口調が僅かに、ほわんと軽くなった様な――。言葉にするのが難しい。語彙力をください。
「これ。文雄さんがよく読んでた本」
「お祖父ちゃんが?」
成瀬さんが引き出しから一冊の本を出した。
透明の文庫カバーで保護してあるけれど、表紙は色褪せクリーム色になっている。
真鍮製、ブロンズカラーの羽の栞。この栞いいなぁ、と思いながら挟んであったページを見る。まず飛び込んできたのは『ヴァッサーゴ』という文字だった。
ヴァッサーゴ。ソロモン王七十二柱の魔神の一人。ヴァサゴ、ヴァスタゴ、などとも呼ばれ、容姿も含め謎が多い悪魔らしい。
「悪魔の名前なんだ……」
「よく見つけてきたものだね。そういうのが好きらしくて、書庫の中は海外から集めた資料が山ほど積んであるよ。黒魔術でも試すつもりだったのかな」
お祖父ちゃんが成瀬さんをヴァッサーゴと結びつけた理由は、本を読めばすぐ分かった。
温和な性格で博識。王子、という文字も。これ成瀬さんそのまんまじゃないか。お祖父ちゃん、ナイスネーミング!
「ヴァッサーゴは過去・現在・未来、全部の事を知ってるって……凄くないですか?」
「……はは」
乾いた笑い声で成瀬さんは肩を竦めた。本には『例えば』と解説が続く。
『失くした物がどこにあるか質問すると、場所など様々なことを教えてくれる』
成瀬さんには不思議と、相手の知りたい情報が脳内に浮かぶという、まさにヴァッサーゴみたいな力があるらしい。
「断片的な画像だったり、単語だったり……。単語のほうが多いか……」
「そっか! だからさっき」
「僕は悪魔ではないからね。分かることなんてほとんど無いさ」
「でも豊香さんの名前を! すごい!」
「陽菜さん」
万年筆を指でくるっと回し、成瀬さんが興奮しかけの私を止めた。低音で窘める口調。しまった。少しはしゃぎ過ぎたかな……。
「どうして文雄さんは《ヴァッサーゴの隻眼》なんて変なあだ名を思いついたと思う?」
「ヴァッサーゴくん、とかでも良かったですもんね。やっぱりカッコつけたかったのかな」
「ヴァッサーゴくん……」
一瞬呆れた顔をされたけど、「面白いね」とフォローが入る。心はこもっていない、棒読みだ。棒読み……。
「この悪魔は盲目らしい。そして僕は、右の眼球が無い」
「へっ?」
言うや否や、成瀬さんは前髪をかき上げ、万年筆を右眼に刺した。コツンと小さな音がしてペン先が黒い目に弾かれる。
「……!」
「このとおり義眼。だから文雄さん余計に面白がっちゃって……こんな中二病みたいな呼び名」
「……お祖父ちゃんてば」
成瀬さんは自分の二つ名が不満らしい。私は好きだけどな。
「僕もね、施設暮らしだったんだ。それを文雄さんが拾ってくれた。義眼も、彼が作ってくれた。右眼の無い気味が悪い子供を欲しがるなんて、君のお祖父さんは本当に不思議な人だよ」
小さく微笑んでそう言うと、成瀬さんはまたパソコンに向かってしまう。