魔界。
とでも言えばいいんだろうか。
異世界は異世界でも、中世ファンタジー風の世界ではなく、ここはもっと混沌としたところだった。
見上げた空には何やらファンシーな柄まで入っているし、太陽や月のようにのぼって沈むものも無い。
ただ、遠くの何やらどでかい山のような建造物からにょっきり生えている大きな花が、一日に一度開いて閉じる。
太陽のように眩しいそれが辺りを照らしている間、ここの住人達は外で活動し、それが閉じる頃には帰宅する流れのようだ。

「ヨーヘー何見てるの? おひさま?」
「……は? あの花はそんな名前なのか!?」
「ハナっていうのはよく分かんないけど、あれはそういう名前だよー。毎日一回、開いて、閉じるのー」

俺は今、自分の体の五倍はでかいだろうもっふもふの生き物に抱き抱えられていた。
自分は、このもふもふにとって人形くらいの大きさなんだろう。
こいつは俺が気に入っているらしく、どこへ行くにもこんな風に小脇に抱えて連れ出した。

だが驚くのはまだ早い。
こいつは人間で言えば、まだ四つか五つの子どもらしい。

俺を最初に拾った生き物は、もふもふではあったが、三階建ての建物ほどの大きさがあった。
そいつは虫けらほどの俺を潰さないように慎重につまみ上げると、手の中に閉じ込めて、子どもへのお土産だと嬉々として巣に持ち帰った。

こんなに人間離れしているもふもふ達だが、何をどうしてだか言葉は通じた。
口の動きからして、日本語を喋っているとはとても思えなかったが、それはまあ、俺がこんなところにいることからして『ありえない』状況だ。何か不思議な力なのだろうと納得するしかなかった。

「ねーねー、ヨーへーも一緒にお絵描きしよー?」
「……俺のサイズでできるかぁ……?」

この子どものもふもふ、ライゴがそう言って俺にクレヨンらしきものを差し出してくる。
電信柱ほどはありそうなそれをなんとか受け止めて、多少ふらつきながらも、ライゴの広げていたスケッチブックらしきものの上をクレヨンとともに走る。

「ん、何とか、なりそうだな……」
ちょっとでもバランスを崩すとぐらりと傾いて倒れそうなクレヨンをなんとか必死で立てたまま、線と線を繋げた。

「わー、何これー、かわいいねー」
「これは、俺のいた世界でネコという名前の生き物だ。にゃーと鳴く」
「ニャー?」
クリっと首を傾げて繰り返すライゴ。疑問系がまた……可愛いな。
「これはツノ?」
「耳だな」
「羽はないの?」
「無い」
「目も二つしかないね」
「お前と一緒だろ?」
「うんっっ、ヨーヘーとも一緒だね♪」

どうやらこの世界では目が二つ以下の生き物は能力が低いことが多いらしく、ライゴは近所の集団保育施設に受け入れを拒否されたらしい。
いじめに遭いやすいとわかっている子を受け入れている余裕はないんだとか。
こんなところまで来ていじめやら待機児童の話を聞くとは思わなかったが、こんな人間離れしたファンシーな世界でも、同じ問題を抱えているのかと思えば、少しは親近感も湧いた。

「俺のいた世界では、目が二つの生き物の方が多かったんだぞ」
言ってイヌやらクマやらウサギやらを次々に描いてやれば、ライゴは俺の頭よりもでかい瞳を輝かせた。
純粋でかわいいな。と思う。
どこの世界でも、やはり子どもは可愛かった。

俺はこんなところへ来るまでは、保育士をしていた。
その日も、いつもと変わらぬ仕事をこなしていた。
朝に読み聞かせた『夢の国に入る絵本』の話に子どもたちは夢中になって、主人公のように素敵な世界に入りたい、とそれぞれが思い思いに絵を描いて、お昼寝の時間にはそれを枕の下に敷いて、寝ていた。

「せんせーも一緒に! これ、私描いたのあげるから!」
と五人くらいの子が俺にも絵をくれて、俺はそれを五枚か六枚か腕枕の下に敷いて、子どもたちと一緒に寝るフリをした。

いや、フリのつもりだったんだよ。
寝るつもりなんかなかった。
しかし、子どもたちと走り回り、給食を食べて、横になれば、ほら、さ……。
睡魔が襲ってくるだろ!?
まさか、寝たら最後、こんな子どもたちの絵がめちゃくちゃにミックスされたような世界に来るなんて思わなかったし。
しかもこの夢の世界がいつまでも覚めないなんて、絶対誰も思わないだろ!?

俺はふと視線を感じて振り返る。
「ピャッ」と可愛い声をあげて、ライゴの妹のシェルカが机の向こうへ頭を引っ込めた。

ライゴのブルーグレーの毛と違って、シェルカは明るいピンクの体毛をしていて、より可愛らしく温かそうに見える。

「あいつはまだ慣れないなぁ」
俺が呟けば、ライゴが「シェルカは虫が苦手だからねー」と同意する。
俺は虫扱いかよ!!
とはいえ、確かにあいつらからすりゃ、そんなもんかも知れないな。
シェルカが怯えないように背を向けて、歌を歌ってやれば、シェルカもそうっとまた頭を覗かせて聞き耳を立てていた。

突然、大きな羽音と共に、強風が吹きつける。
ライゴは俺が吹き飛ばないように、慌てて抱き締めた。
「お前たち、良い子にしていたか?」
二人の父が昼食に帰ったようだ。

この世界には雨がないのか、この家には天井がない。
そういえばあまり強い風も吹かないな。
鳥の巣に近い形のこの家に、父親のザルイルは大きな翼で飛んで戻ってくる。
ザルイルは、落ち着いた紫の体毛に、蜂蜜のようなこっくりとした色の瞳が八つもある。けれどその瞳は普段半分の四つは閉じられていた。

買ってきた。という昼食を広げられて、俺も食べる。
俺の食べる量なんて、こいつらにすればほんの少しこぼれる程度なんだろうな。

「ザルイルさんは、今、昼休憩なんですか?」
俺が尋ねれば、そのどでかいもふもふは俺に耳を近づける。
「私に何か言ったかい?」
俺はもう一度なるべく大きい声で同じ事を尋ねる。
「そうだね、仲間に後を頼んで、仕事を抜けてきている。だが君達が心配するような事ではないよ」
そう言って、もふもふは真摯に微笑む。
「俺が、もう少し大きければ良かったんですが……。俺は料理もできるし、なんなら子どもたちにおやつだって作ってやれたのに……」
俺の言葉に、ザルイルは八つの目を全部見開いた。
「ははは、そんなまさか。まだ毛も生えていないのに」

その言葉に、俺はここしばらく気になっていた疑問をぶつける。

「……あの、ザルイルさんは、俺のこと子どもだと思ってませんか?」
俺の声にふたつの声が返ってくる。
「違うのか?」「子どもじゃないの!?」
やっぱりか。
「俺は、元の世界では成人していて、仕事もしていた大人です」
「そ、そうだったのか……。それは失礼な事をした」
「だってヨーへーまだ毛も生え揃ってないし、僕よりこんなに小さいから、赤ちゃんかと思ってた」
そう言ってライゴが大きなもふもふの指先で俺をつつく。
いや、赤ちゃんは言い過ぎだろ。
お前らの世界では赤ちゃんが絵を描いたり歌ったりできるのかよ。
と思ってみたが、動物は生まれてすぐから歩いて回るようなのの方が多いもんな。
俺の認識の方が、この世界では間違ってるのかも知れない。

「俺は、元の世界では子ども達を保育する仕事をしていました。この先どうなるかは分かりませんが、ここで世話になっている間は、せめて子ども達の面倒を見たいと思っています」
「ああ、それで……。最近は子どもたちが私が帰る時まで喧嘩もせず、泣いたりせずにいてくれたんだな」
ザルイルは深く納得するように頷く。それだけで風圧がすごい。
「君が遊んでくれているおかげだとは思っていたが、君はプロだったんだな」
「父さん、ヨーへーにはヨーヘーって名前があるんだよ」
「大木洋平です。洋平と呼んでもらって構いません」
俺が告げれば、ザルイルはしっかりと覚えるように俺の名を繰り返した。
「ふむ、ヨウヘイか。分かった、ヨウヘイが協力してくれると言うなら、何か方法を探してみよう。ヨウヘイは魔法や術は使えるのか?」
「いや、それは全く……。俺の世界にはそう言った物はなかったので」
「それもそれですごいな。ではそこから考えることにしよう」
魔法の代わりにテクノロジーはあったが、ザルイルは少ない昼休みに一時帰宅している身なのでその話はまた今度にして、皆で昼飯を済ませた。
ポロポロ食べこぼしているシェルカは、人間だと二歳か三歳くらいだろうか。拾ってやりたいし、口の周りも拭いてやりたいんだが、このサイズではな……。

夕方……と言っていいのかわからないが、花が少しずつ閉じてゆくと辺りは徐々に薄暗くなる。その頃。仕事から戻ったザルイルは、夕食の支度をしながら俺たちに話した。
朝食と昼食は、出来合いや、パンのような保存できるふわふわもこもこした食べ物を食べているが、その分夕食だけはザルイルが作ろうとしているようだ。
しかし彼はあまり料理が得意でないらしい。
今日も、子ども達は出された料理を一口食べて、難しそうな顔になった。
いったい今まではどうしていたのかと思えば、俺を拾う前日までは通いの家政婦さんのような人を雇っていたらしい。
その人が腰を痛めたとかで、今代わりの人を探してもらっていると言う事だった。

「私より魔法や術に詳しい者に相談してみたのだが、ヨウヘイが我々ほどに大きくなるためには、体を構成するための要素がたくさん必要になる」
料理をどでかい机の上に並べ終わって、ザルイルは俺に大きな手を差し出してくる。
「ヨウヘイ、私の手に乗ってもらえるだろうか」
ライゴが俺を机の上に乗せていたので、俺はそのままその大きな手に乗った。
それにしてもデカい。
ロボット物の、ロボットとパイロットくらいの大きさの違いがあるな……。
ザルイルは何やら呪文のようなものを唱える。
俺の乗った手が一瞬だけほわんと光った。
「?」
「うーん。君には魔力がほとんどないな」
言われて、正直がっかりした。だって異世界転生ともなれば、そういうのってなんかこう、桁外れに持ってたりしそうだろ?
まあしかし、俺の場合は夢の中に近いんだろうからな。
俺は俺のままでしかないらしい。
ここで死ねば目が覚めたりするのかも知れないが、残念ながらイキナリそれを試すほどの度胸は俺にはない。
「これは友人のアイデアなんだが……」と、ザルイルが提案したのは、ライゴとシェルカを半分の大きさにして、その分の要素を俺に注ぐという案だった。
「そんな事が……できるんですか……?」
俺の言葉にザルイルは柔らかく微笑んで「できるよ」と答えた。
「ただ、本人達に了承を得ないといけないけれどね」
それはもちろん。と俺が頷けば、ライゴはすぐに「僕いいよっ!」と答える。
ザルイルは、そんな息子にほんの少し目を細めて、真剣な表情で語りかけた。
「ライゴ、よく聞きなさい。これにはリスクがある。お前はその間、いつもより小さい大きさで過ごさないといけないよ?」
「うんっ」
「できることも、いつもの半分だ。逆に、ヨウヘイはお前と同じ大きさになる。シェルカの同意があれば、お前の倍ほどの大きさになるだろう。ヨウヘイが、お前達を攻撃しようと思えば、お前達はやられてしまうかも知れないよ?」
「え……」
ライゴが、考えてもいなかったという顔でザルイルを見上げて、それから俺を見る。
俺は、苦笑を返した。
襲ったりなんかしないよ。と思いはしたが、それを口にしたところで何の保証にもならないだろう。
しかし、俺に懐いているライゴはともかく、ザルイルはこんな提案をしてくるほどに俺を信用してくれているんだろうか。
それとも、この世界の住人たちはこんな小さな子にも自己責任を負えと言うのだろうか。
「うん……、大丈夫。僕、それでもいいよ」
ライゴの決意のこもった言葉に、ザルイルは大きな大きな手で息子の頭を優しく撫でた。
「シェルカは、まだ気にしなくていいよ。その気になったら声をかけておくれ」
ザルイルはそう言って娘の頭も撫でた。
嬉しそうに目を細めるシェルカ。
うーん。父親にはこんな顔も見せるんだよな。俺の前ではいつも不安そうに固まった顔ばかりだが。
まあ、今までだって人見知りはどの組にもいた。こういうのは、焦っちゃダメなんだよな。

翌朝、ザルイルは早速、俺とライゴの体の大きさを同じにした。
そうすると、ライゴは俺の見慣れた人間の子供の姿になる。
小さなツノは左右に二本ずつ生えたままだったが、俺の勤めてた保育園の制服まで着ていた。
「え……これは……?」
「ヨウヘイが保育しやすいように、再構成のついでに、ヨウヘイの思うライゴの姿にさせてもらった」
ザルイルが、さらりと答える。
言われてみれば確かに、ライゴの姿は、もしライゴが人間の子どもだったらこんなだろうなと思った通りの姿をしていた。
ライゴはキョロキョロと自分の体を見回していたが「へー、おもしろーい」とあっさりその姿を受け入れた。
あ。しっぽも生えてるんだな。
「巣には結界が張ってあるから出入りはできない。私から巣の様子はいつでも確認できる。もしライゴが解除したいと思ったなら、いつでも合図してくれ、すぐに解除するからね」
ザルイルはいつもより小さく、毛も無くなってしまった息子に、真剣に語りかけた。
なるほど、彼なりにセキュリティには気を配ってあったんだな。
……と言うことは、今までの、子どもたちと一緒に昼寝してる俺とか、童謡を歌いまくってた俺の姿も筒抜けだったんだ!?

内心ちょっと焦る俺に、ザルイルは自分の眉間から毛を一本引き抜くと差し出した。
「……これは?」
「まだその姿のままでは不便だろうから、これで私の力を使ってくれ」
差し出されたその毛に触れた途端、それはくるりと俺の首に巻きついた。
「うぇ!?」
慌てたが、特に食い込む事はない。ただ外れそうもないくらいピッタリではあった。
「これでヨウヘイは、自在に物を動かせる力を使える」
試しにと言われて、出しっぱなしだった積み木を動かしてみる。
確かに。手には触れていないけれど、握っているような感触で、それを動かすことができた。
「うわ、すげぇ……。まるで魔法だ……」
これで、ザルイル達にとっては子ども以下のサイズでも、片付けくらいは出来るかも知れないな。
俄然やる気の出てきた俺に、ザルイルは静かに続けた。
「それに、私がその気になれば、いつでもヨウヘイの首を絞める事が出来る」
「……っ!」
思わず息を呑む。
あ……。そ……そうだよなぁ。……やっぱり……?
可愛い我が子を、出自不明の見たことも無いような虫けらと一緒に置いてくんだもんな?
そんくらいはして当然だよな。
頬を冷たい汗がつたう。
「脅すつもりはないが、子ども達の事、よろしくお願いするよ」
ザルイルがいつもの紳士的な態度で告げる。
「いえ……、俺もこれは当然だと思います。こちらこそ、よろしくお願いします」
俺がペコリと頭を下げれば、彼は意外そうに、大きな瞳を少しだけ揺らした。

***

「ふー、なんとかなったな!」
家中の片付けを終えて、俺は息をついた。
「わーいっ、お部屋、ピッカピカになったねー」
「ライゴがいっぱい手伝ってくれたからな!」
言って、俺は俺と同じくらいの大きさのライゴの頭を撫でた。
「えへへ」とライゴが嬉しげに目を細める。
どうやら子どもたちはどちらも撫でられるのは好きみたいだな。
少なくとも、このサイズなら、撫でてやることも、抱きしめてやることもできる。
抱き抱えるのはちょっと無理だが、今までに比べればずっとマシだ。

鳥だか魚だかわからないような形の時計が鳴って、ライゴが瞳を輝かせる。
「あっ、おやつの時間だ!」
この子達は朝昼晩の間に一度ずつ、この時計が鳴った時におやつを食べていいことになっていた。
ライゴはこのタイミンクでいつも冷蔵庫のようなものから、牛乳のような白い液体を出して飲んでいた。

あ。そうだ。
俺は思いついて、ライゴと一緒に冷蔵庫のようなものを覗き込む。
確か朝食べていたフルーツのようなものが残っていたはずだ。
この貯蔵庫の中のものは勝手に使っていいと言われていたので、俺はそれと砂糖を混ぜて、フルーツ牛乳のようなものに……今回のは赤いイチゴのような甘酸っぱい木の実だったので、イチゴ牛乳か? とにかくそんなものにしてやった。

「わあーっ、甘くて酸っぱいの。美味しいねーっ♪♪」
ライゴが目をキラキラさせて飲んでいる。
口の周りについてしまった白い髭も、今日は拭いてやれた。

「シェルカの分もあるよ。ここに置いておくから、気が向いたら飲んでみてくれな」
声をかければ、シェルカはやっぱり机の向こうに引っ込んでしまったけれど、後から台所を覗いたら、飲み物は全部無くなっていた。

ザルイルと一緒の昼食の後、子どもたちが昼寝を始めたのを確認して、昼に許可をもらった火を使ってみる。

と言っても、スイッチを入れれば魔法の力で鉄板が熱くなるような仕組らしくて、使い心地としてはガスコンロよりも電磁調理器に近いか……。

おやつにと、ホットケーキのようなものを作ってみる。
ここしばらく食卓の上からザルイルが料理を作るのを見ていて、だいたいどれがどんな味の物なのかはわかりつつあった。

調理台まで届くようにと、ザルイルは椅子を重ねて行ってくれた。
「せめて今の二倍……。もうあとちょい大きくなれれば、こんな二つも椅子を重ねてぐらぐらさせながらやらなくても良さそうなんだけどな……」
俺の呟きは、誰にも聞かれていないつもりだったが、ホットケーキの焼ける甘い匂いにつられて起き出した子は、それを聞いていたらしい。

ライゴに、手に持って食べられる小さいサイズのを三枚。
シェルカに二枚焼いて、残りは自分の分と、明日用に……と焼いていたら、ガタンっと足元が崩れた。

咄嗟にフライバンのような形の調理器具だけは手放したが、できるのはそれだけだった。
俺は、来る痛みに備えて体を強ばらせた。