「あおい」

 優しく名前を呼ばれた瞬間、ぎゅっと強く抱きしめられた。
 いままでとは違う強さで少し苦しいけど、いまはこれくらいがちょうどいい。
 伊織の体温が温かくて心地よくて泣きそうになる。

「葵の人生最期のときまで傍にいられなくてごめん」

「……うん」

「でも、俺の人生最期のときに葵が傍にいてくれてよかった」

 桜の妖精にも感謝しなきゃな、と呟く。


「ずっと葵の幸せを願ってるから」

 伊織、ごめんね。
 わたしまだ思ってること上手く伝えられてない。

 伝えないとって思ってもまた涙が頬を伝ってきて、なにも言えない。
 でも言わないと。

『伝えたいことは言葉にしないと伝わらないよ』

 そうだ。
 伊織と過ごせるのはたぶんあと一分もない。
 言わないと。最期に伝えたいこと。

「伊織! わたしのことを護ってくれてありがとう。
 正直言って、伊織がもうこの世界にいないんだって実感ない。だけど、わたしちゃんと前を向くから。
 親に本当は先生になりたいってちゃんと伝える!
 周りのことだけじゃなくて自分のことも大切にする」

 必死で言葉を紡ぐ。

 伝えたいことはちゃんと伝えられた。

 だけど、あと少し。もう少しだけ。待って。
 まだこの暖かい腕の中にいたい。
 まだ伊織の鼓動を聴いていたい。
 伊織がまだ生きてるって感じたい。


「いかないでよ……伊織」

 最後にぽつりと出た本音。


 そんなわたしの声を聴くと、伊織は優しく笑って、

「これからもずっと笑ってて」

 耳元で伊織の優しい声が聞こえた。


 気づいたらわたしを抱きしめる力強い腕はなくて、温かい温もりだけがわたしの胸の中に残っていた。