俺は葵の日記を届けに行くため外に出た。
 久しぶりの外は俺にはすごく眩しいものに見えた。

 この桜の木。憶えてる。
 高校生になった葵とはじめてあった場所だ。


 ゆっくりと桜の木に手をあてる。

「お願いします。俺の願い叶えてください」

 俺の願いはただひとつ。
 葵に生きててほしい。ただそれだけだ。

 その瞬間、桜が急に黄色く光り、その眩しさに思わず目が眩む。
 すると、中からなにかが出てきた。


「呼んだー?」

 随分明るい声が聞こえる。
 そこには羽が生えて空を飛んでいる奇妙な人間みたいなのがいる。

「はぁ、ついに俺は幻覚を……」

 頭を抑え、その場を後にしようとする。
 そうすると、すかさず後ろから声が届く。

「幻覚じゃないよ。きみの強い想いによって僕は呼び出された。桜の妖精さん。よろしくね」

 声のほうに振り向く。
 そういえば、桜には不思議な力が宿っているってだれかが言ってたっけ。
 ふいにそんな言葉を思い出す。

 でも、桜の妖精さんなら、女の子じゃないのかって思う。
 まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど。


「それでは願い事をどうぞ」

 願い事。ほんとに叶えてくれるんだ。
 俺の願い事は____

「葵を生き返らせてほしい。お願いします」
 
 こんなわけもわからない桜の妖精に頭下げるなんてほんとは嫌だけど、俺は必死に頭を下げる。

 すると、とりあえず顔上げて、と言われる。
 ゆっくり顔を上げると、桜の妖精は視線を斜め上に上げてこほんと咳払いをする。

 俺は葵を生き返らせてくれるなにかがあるんじゃないかと期待する。
 でもその期待は絶望へと鮮やかに塗り替えられる。

「残念だけど、それはできない」

「なんでも叶えてくれるんじゃないのかよ!」

 つい大声を出してしまった。
 慌ててごめん、と謝る。


「できる限りはするよ。
 でもね、一度死んだ人間を生き返らせることなんて絶対できない。死んだらそこでお終いなんだから」

 桜の妖精は淡々と話す。

 それくらいわかっていた。
 死んだらそこで終わりで、例えばそれが人でも動物でも生き返るなんてできるわけない。
 それでも、俺は葵に生きてほしいんだ。


 少し考え込んで、今度は違うお願い事が頭をよぎる。

「じゃあ……もう一度だけ。もう一度だけチャンスをください。
 今度はその日に葵を呼び出さないから」

 過去に戻って、俺が葵をあの場所に呼び出さなければ、葵はそこで死ななくてもすむ。
 我ながらいいお願いごとが浮かんだと内心喜んでいると、その歓喜は一瞬で驚愕(きょうがく)へと変わった。

「きみが葵ちゃんをその日呼び出さないのなら他の人が死ぬよ」

「ど、どういうこと?」

 思ってもないことを言われて目を開く。

「その日そこで事故が起こるのは最初から決まってたんだよ。運命ってやつかな。
 運命は変えられないんだよ……。
 そこで葵ちゃんが生きることになったらだれかが死なないといけない。そうやって成り立ってるんだよ。この世界は」

「……」

 言葉につまる。




「ねぇ、どうする? きみは自分の大切な人のためなら他人を犠牲にする?」

 そのとき、最低だってわかってるけど俺は他人を犠牲にすることしか頭になかった。

 他人を犠牲にはできないからやめる、そう言える人間はどんなに心が綺麗だろうか。


 でも、考えてみてほしい。

 喪った大切な人がもう一度生きててくれる。
 笑っててくれる。
 葵がまた俺の隣に傍にいてくれる。

 それなら____



「覚悟は決まった?」

「うん。時間を巻き戻してほしい。
 そこで俺は葵の運命をひっくり返してみせる」

 運命をひっくり返すだけじゃなくて、葵の心を救ってみせる。
 葵が偽りの自分を演じなくてすむように、無理に笑顔をつくることがないように。

 俺はこのとき、自分のするべきことがはっきり見えた。



「その願い叶えてあげる。僕に証明してみせてよ。運命は変えることができるって」

 クラっと目眩がして、起きたら自分の家の玄関の前にいた。
 新しい制服。まだ汚れていないローファー。
 過去に戻ったんだ、と悟った。



「過去に戻ったからと言ってあまりいまを変えすぎてはいけないよ。葵ちゃんだけでなく、他の人にも影響を与えてしまうかもしれない。
 他の人の未来が変わってしまう。……前できなかったことは、いまもできないんだよ」

 そんな桜の妖精の言葉を思い出す。

 急がなければ。
 きみと会ったあの桜の木の下へ。