きみがくれた日常を





「伊織くん、であってるかな?」

「あ、はい」

 お葬式が終わって、外で立って待っていると声をかえられる。
 葵のお母さんだ。

「はじめまして。葵の母です」

「はじめまして、高野伊織です」

 それから控え室のほうへ行き、葵のお母さんとふたりきりになる。
 空気は重くて沈黙が続いた。
 だからこそ、自分からそれを破った。

「この度は本当にすみませんでした。
 俺があの日葵を呼び出さなければこんなことには……」

 深く深く頭を下げる。
 こんなことで許されるなんて思ってないけど。


「伊織くん。顔を上げて」

 穏やかな声にゆっくりと顔を上げる。

「これは伊織くんが悪いわけでも、あの子が悪いわけでもない。だれのせいでもないの。 
 運がちょっと悪かっただけ。
 だから、そんなに自分を責めないでね」

 由乃ちゃんも自分を責めないでねと言っていた。
 なんで?
 いっそのこと俺を責めてくれればいいのに。
 詰ってくれればいいのに。
 いや、そう思うのは自分が楽になりたいだけなのかもしれない。

「じゃあなんで。……俺を呼んだんですか?」

「お礼を言いたくて」

「え」

 聞こえてきた言葉に耳を疑う。

 お礼?
 俺は責められることはあっても、感謝されるようなことはなにもしてない。




「伊織くん、ありがとね」

 まるで葵が話しているような柔らかい声が耳に届く。

「あの子はなにかあるとひとりで抱え込んじゃうタイプで弱いとこ家族にも見せようとしなくて無理して笑ってるとこあったの。
 だから、いつも心配だった。わたしも愚痴ばっか聴いてもらってたなぁ……」

 そうだろうな、と思った。
 葵はよくひとりなんでもがんばろうとする子だったから。
 俺は静かに頷く。


「でも、伊織くんの前だと自分らしくいられたみたい。
 家でいつもたのしそうに伊織くんのこと話してた。
 少しずつ感情を表に出せるようになっていた。
 だから、ありがとう。それを伝えたくて……」

 葵のお母さんの目からは微かに涙が零れていた。
 そして、自然と俺の頬にも涙が伝う。

 葵は俺の前だと自分らしくいられた?
 俺、なにもしてないのに。
 葵はそう思ってくれたんだ。

「あの、葵は出かけるときなんか言ってました?」

 声が少し掠れる。

「……大切な人に会いに行ってくるって。
 メッセージを見てうれしそうだった。
 既読は直前でつけるからってまだつけないでいたみたいだけど」

 大切な人。
 そんな風に思っててくれたんだ。

 もう二度と葵と話すことなんてできない。
 もう二度とあの笑顔を見れない。

 葵の笑う顔が、声が一気にフラッシュバックして、俺の視界は完全に揺れる。

 いままで泣けなかった。
 葵のお母さんの前で、こんなとこで泣くなんてお門違いだってわかってる。葬儀でも泣けなかったのに。
 それでも涙は止まるどころか溢れてくるばかりで俺は必死に顔を手で覆う。

 そんな俺に、葵のお母さんはなにも言わないでずっと暖かく見守ってくれていた。



「今日は伊織くんに会えてうれしかった。
 ありがとう。よかったら今度は家のほうに来てね」

「はい。途中取り乱してすいません。
 これで失礼します」

 葵のお母さんは最後まで穏やかな声で、最後まで俺を責めることはなかった。
 それどころか ありがとう なんて。
 葵と同じで優しい人だ。

 ひとり歩く帰り道で空を見上げる。

 この世界に葵がいなくなっても何も変わらない。
 朝が来て、夜が来て、毎日巡り続ける。

 この日常はあたりまえじゃなかったんだな。
 明日がこない人だっているのに。
 人は突然いなくなったりするのに。
 俺は、その事実を忘れていた。