中庭に出て、おれは「曇ってる」と笑った。

 「これで降り始めてくれれば幸運じゃ」と押村さんは言う。

 空間の中心に大きな木が一本植えてあり、周りは芝生になっている。他はレンガ調のタイルが敷き詰められている。

 晴れているとは言い難い空の下、押村さんは高さのある花壇と交互に芝生を囲むベンチの一つに向かって歩き出す。おれもそれに続いた。

 「雨、好きなの?」

 何気なく尋ねると、「どっちかと言うと高野かなあ」なんて、なんでもないように言うものだから、おれは焦る。

 「えっと……」

 「なーんてね」と、押村さんはいたずらに笑う。ぽんとベンチに腰掛けた。

 「でも好きだよ、高野のこと」

 猫のような大きな目を無邪気に細めて言うと、彼女は「恋愛的な意味じゃないけど」と肩をすくめた。それがどこか、からかうような素振りに見えたのは、おれが押村さんをそういった意味で意識しているからなのだろうか。それも、無意識に。

 そんなことを考えていると、「高野は好きな人いないの?」という問いに、「はい⁉」と声がひっくり返った。「おお、大丈夫か?」と驚いたように笑われて、恥ずかしさが倍増する。

 好きな人、という言葉に、浮かぶ顔がある。小学校の同級生の、かわいい女の子。茶色の髪の毛を顎の辺りで切り揃えた、色白で、茶色の目をした、美しい子。記憶の中で、彼女が無邪気に笑う。そういう顔しか見たことがないのだ。

 「へっへっへ」と押村さんが笑って、はっとした。

 「いるんだねえ、好きな人。いいねいいねえ、青春だねえ」

 「いやっ、違う、そんなんじゃ……」

 「なにゆえに否定するー。いいじゃん、恋って」

 「もう三年以上会ってないし……」

 「ええなに、引っ越しちゃったとか?」

 とりあえず座りなよと言われて、隣に腰を下ろした。

 「中学校は同じだったんだけどね。三年間、一回も同じクラスにならなくて」

 「へええ、そんなこともあるんだね。クラスはいくつあったの?」

 「一年の時は三クラス。その後何人か転校生がきて、四クラスになった」

 「じゃあ結構ぎりぎりの三クラスだったんだね。ええ、でもなあ、三クラスのままだったら同じクラスになれたかもしれないのにね」

 「そうだね……」そう思うと、なんだか悔しいような、残念なような気がした。空が、ほんの少しだけ明るくなっているように感じる。

 「で、その転校生とはなにもなかったわけ?」という問いに、押村さんを見る。

 「なにもって?」

 「恋したり、付き合ったり、手繋いだり、キスしたり」

 「ないよ、そんな。すぐにクラスに打ち解けて、まともに話すこともないまま進級しちゃったし」

 「ふうん。高野の出番がなかったんじゃあ、よっぽど社交的な人だったんだろうね」

 「そう?」

 「うん。だって高野、優しいから」

 しっとりと穏やかに微笑む押村さんのその顔に、胸が痛んだ。ずどん、と大砲ででも撃たれたようだ。

 「高野は、優しいんだよ」

 優しい――。本当にそうだろうか。おれは、他人に興味がない。無関心なんて無情なものを抱えていながら、優しく在るなんてことができるのだろうか。

 右手に、陽だまりのような温度が触れた。見れば、おれの手に押村さんの手が重なっていた。

 「寒い?」と、柔らかく落ち着いた低い声が言う。「手、冷えてる」と。

 「……おれは、優しくなんてないよ」

 「そうかなあ」と言う押村さんに、おれは一つ、頷いた。