理事長室には、中央に応接用のソファーとテーブルが並べられており、その両脇には本棚やロッカー、表彰状、作者の名前すらも分からない絵画などが配置してある。
 その中でもひと際目を引くのが、正面のデスクに仰々しく鎮座しているPCモニターだ。金融ディーラーのトレードルームかと見紛うほど、複数枚のディスプレイが張り巡らされており、それらが質素な雰囲気の部屋に絶妙なミスマッチさを演出している。
 恐らくこれが皆が言うところの予備端末なる物なのだろう。
 新加は部屋へ入るなり、俺たちにソファーへ座るよう顎で指示してきた。
 彼自身は正面のデスクに向かい、まるで己が現職であるかのように太々しくその席に着く。

「で、話ってなんだ?」

 新加が不愛想に言い放った。

「……浄御原さんと組んで、機構を陥れようとしたのはあなたですか?」
「早くも犯人扱いか……。お前はいつもそうだな」
「話を逸らさないで下さい! じゃあどうしてここにいるんですかっ!?」
「俺はアイツに呼ばれただけだ」
「それも私の留守中に示し合わせたからじゃないんですかっ!?」
「何か根拠があって言っているのか?」
「それは……」

 こうなることはある程度は予想がついていた。
 現状、ソースは貞永さんの証言だけだ。
 久慈方さんの気持ちも分かるが、ここはまず冷静に事実確認からだ。

「あーちょっと、いいか?」
「…………」

 新加は特に反応しない。

「名簿を見たんだが、アイツに特典を付与したのはアンタで間違いないか?」

 すると新加は突如立ち上がり、淡泊な表情で俺たちを見下ろす。

「……言っておくがな、俺は飛鳥に一言エールを送っただけだ」

 エール?
 何言ってんだ、コイツは。
 アイツが自殺した直前に分岐した世界線で、意識の引き継ぎを行ったんじゃないのか?

「近江 憲。お前は勘違いしている。俺はアイツに特典を与えていないし、意識の引き継ぎもしていない」

 寝耳に水の話が飛び込み、一瞬頭が働かなくなる。

「……じゃあアンタはアイツと何のために接触したんだよ?」
「そうだな……。アレは4年前だったな。探してたんだよ、俺の後継を」
「後継? アイツが? 久慈方さんじゃねーのかよ」
「そいつは繋ぎだ」

 新加のあまりにも遠慮のない物言いに、久慈方さんはあからさまにショックを受けている。
 正直、ドンマイとしか言いようがない。
 それから新加は席を離れ、俺たちが座る向かいのソファーに腰を掛け、アイツとの出会いについて話し出した。

 4年前。
 新加はその頃には既に先代の理事長から後継として指名されており、毎日のように街に出ては自分の側近となり得る人材をスカウトしていたらしい。
 しかし、目ぼしい人材は一向に現れなかった。
 諦めて内部からの公募へ切り替えようとしていた時、転機が訪れる。
 それはアイツが死ぬ数日前、俺が転職先の話を持ち出し、アイツとの間に溝が生まれてしまった日だ。
 喫茶店を泣きながら出ていくアイツの姿を見て何かにピンと来た新加は、その後を追いかけ、彼女と接触した。
 これが新加とアイツとのファーストコンタクトらしい。

「……アンタ、なに人の同僚スカウトしようとしてんだよ」
「してねぇよ。その時(・・・)はな。話してる内にコイツじゃダメだと思ったんだよ」
「勝手に期待しといて、何だその言い草は」
「また勘違いしてるな。アイツの素養は申し分ないことはあの時点で分かっていた。俺が言いたいのは飛鳥 令那の〝意志〟についてだよ」
「どういうことだ?」
「近江 憲。アイツは望みを捨ててなかったみたいだぞ。少なくともあの時まではな」
「……何が言いたい?」
「まぁ要するに、飛鳥 令那にとって重要だったのはあの会社じゃなくて、お前自身だったってことだよ」

 俺自身? 何を言っているんだ、この男は。

「お前……、まだピンと来ていないのか?」

 心底呆れたような表情で、新加は俺に問いただしてくる。

「知るか。つーかアンタさっきから話が飛躍し過ぎなんだよ。お役所のお偉いさんだかなんだか知らんが、もう少し話のレベルを庶民に合わせてくれ」

 俺が皮肉交じりに答えると、新加はハァと深く息をつき、静かに小声で漏らす。

「喫茶・Unschld(ウンシュルト)……」

 新加がそう言った瞬間、俺の中で全てが繋がった。

「やっと思い出したか。俺が言うのも何だが薄情な奴だな」

 俺の様子を見て、新加は呆れるようにチクリと一言溢した。

「うるせぇ。あの頃は、一年目で色々と一杯一杯だったんだよ……」

「まぁ要するにアイツにとってみれば、入りたかった会社に偶然お前がいたんじゃなくて、お前を追いかけて辿り着いた先がたまたまあの会社だった、ってことだな」

 バカか。俺もアイツも。
 もっとお互い踏み込んでいれば、違う道があったかもしれないのに。
 本当に新加の言う通りだ。

「つーわけで飛鳥は仕事、というよりお前に対して未練があったみたいだからな。俺はそれ以上突っ込まなかった。だが一言だけ言ってやった」

「……なんつったんだよ?」

「大したことじゃない。当たり前のことを言っただけだ。『その近江とかいう奴と仲直りできるといいな』ってな」

「はぁ? それだけか?」

「なるほど。そこで彼女の〝可能性〟が分岐したわけですか……」

 久慈方さんがボソっと呟く。

「そして、分岐したマイナーの彼女の元へ向かい機構に引き込んだ、と。浄御原 律という通名を名乗らせてまで」

 新加は答えない。

「やはりあなたは4年前から彼女を巻き込み、機構の転覆を計画していたんです! あなたのような優秀な人間が、どうしてですか……」

 それでも口を開かない新加に対して、さらに畳みかけた。

「……気が済んだか?」

 新加は久慈方さんの詰問に怯むことなく、軽くあしらった。

「さっきから人を政府の犬みたいに言いやがって。そもそもな。俺が居なかったらとっくの昔に機構は奴らに潰されているんだぞ」

「えっ!? それはどういう……」

 彼はフゥと息をついた。

「お前はまるで俺が機構に何か恨みを持っているかのように言うが、その逆だ。俺をここまで育ててくれた組織を潰そうとするほど、恩知らずじゃない」

「なら……、何でたった1年で理事長職を投げ出したんですか……」

「政府との因縁は、俺が思ったよりも深かったんだよ。だから、内部から変えるしかなかった」

 それから新加はこれまでの経緯を話し始めた。
 
 2年前。
 金銭スキャンダルによって失脚した先々代の後を引き継ぐ形で、彼は理事長に就任した。
 しかし、元々トラブルを起こした先々代の側近ということもあり、彼の就任に異論を唱える者も多かった。
 それが災いして内部の統率が上手くいかず、一度組織は崩壊しかける。
 政府はそこに目を付け、新加に責任を追及し辞任を要求した。
 だが、彼は固辞。
 それどころか、政府が先々代の金銭スキャンダルをでっち上げた証拠を掴み、逆に脅してしまう。
 事実を表沙汰にしない代わりに自分を内閣府で働かせろ、と。
 当時、政権側も大臣の度重なるスキャンダルで支持率が低迷しており、これ以上のいざこざは政局に発展しかねないと判断し、彼の要求を受け入れた。
 とは言え、いざ理事長職を退任し官僚になることが決まると、相当なバッシングを受けたらしい。
 まぁ、機構から見りゃ敵側に寝返るようなもんだしな。無理もない。
 そのため新加は、クリーンなイメージの強い久慈方さんを後継に指名し、機構の立て直しを内外にアピールする。
 そして自らは、政府の内部に潜り込むことで機構に対しての強硬派を少しずつ抑えていく。
 またその間、機構に残る浄御原と密に連絡を取り合い、政権の内情などを漏らしていた。まぁ要するに機構の内部崩壊を狙った政府の画策は、物の見事に新加に利用されてしまった訳だ。
 転んでもタダでは起きないというか。
 とにかく敵には回したくない男、ということだけは分かった。
 いずれにせよ、新加は機構を潰すどころか、むしろその身を挺して守ろうとしていた、ということだろう。

「その……、すみません。何にも知らずに私は……」
「元々アイツにしか言うつもりはなかった。あまり大っぴらにすると色々と台無しになるからな。陣海を拘束したのも、お前と通じて何か余計な動きをされると後々面倒になるからってだけだ」

 久慈方さんは明らかに意気消沈している。
 無理もない。これでは、蚊帳の外だ。
 敵を欺くにはまず味方からとは言うが、やはりそれでも不憫に思えてしまう。

「まぁ、アレだ。万が一のために、お前だけは潔白でいて欲しかったんだよ。だから気にすんなって」

「…………」

 彼女の様子を見た新加はすかさずフォローに入ったが、彼女は俯いて答えない。

「本端末も思ったよりもすんなり復旧できそうだ。少なくとも明日までには本格稼働できるだろう。お前らへの監視も解いた。少し頭冷やして来いよ」
「すみません、少し外します……」

 彼女はそう言い残し、フラフラと理事長室を後にした。

「せめて、気休めだって悟られないように言葉選べよ」
「……本心だよ。実際、久慈方がいなければ、とっくの昔に機構は終わっていた。あのおせっかいで愚直な女のおかげで組織は纏ったし、浄御原も居場所を失わずに済んだ」
「じゃあ最初からそう言ってやれよ」
「そんなクソ寒いこと言えるか」

 何と言うか。この男はどこまで損な役割を負えば気が済むのだろうか。

「……で、まだ肝心なことを聞いてないんだが」
「……本端末のクラッシュは浄御原の単独の犯行だ」
「やっぱりそうかよ」
「俺も寝耳に水だったよ。今日アイツに呼ばれて来たらこのザマだ。全く……。何考えてやがるっ!」

 何か引っ掛かる。

「なぁ、一つ聞いていいか?」
「何だ?」
「アンタが特典保持者の名簿をアイツに引き継いだんだよな?」
「そうだが」
「じゃあその時にはアイツのパラレルメイトが俺だって、知ってたのか?」
「アイツが……、パラレルメイト?」

 新加の顔色が変わった。

「アンタ、まさか知らなかったのか?」

 返事をするでもなく、そそくさとソファーから予備端末の置いてあるデスクに移動し、モニターの前で何やら作業を始めた。
 カタカタとキーボードを叩く単調な音だけが室内に鳴り響く。

「あのバカ……。そういうことかよ……」

 キーボードを打つ音が止みと同時に、ボソっと呟く声が聞こえた。
 すると新加は突如立ち上がり、こちらに来いと目で合図を送ってくる。

「どうした?」

 無言で画面を指さす新加に促されるまま、真ん中のモニターに目を移す。
 画面には、人気のない農道の踏切の前で佇むアイツの姿があった。

「アイツは、一人で全部〝被る〟つもりだ……」

 あの時もそうだった。
 人には一丁前に周りを頼れだとか言いやがるクセに、テメェは何の相談もなく勝手なことをする。

「アイツはいつも政府での俺の立場を気にしていた。今回の不祥事を手土産にさせようって腹だったんだろうよ。俺が政府に目をつけられて失脚すれば、反対派の分子を抑えきれない。そのことをアイツは分かっていたんだ。つくづく生意気な奴だよ……」

 あぁ、本当に新加の言う通りだ。
 アイツは、先輩を立てることを知らない。
 俺たちの数奇な運命の決着さえも、お前は横取りするつもりか。

 そうはさせるか。

 今度こそ、俺の手でこのクソみたいな因縁を断ち切るんだ。
 俺は気づいた時には、理事長室のドアへ向かっていた。

「待て。お前、分かっているよな?」

 ドアノブに手を掛けようとした時、新加に遮られる。

「……分かっている」

 振り向くことなく答えると、ハァと大きく息をつく音が聞こえた。

「〝可能性〟の選別は、当事者間の問題だ。決着がつかなければ、機構の人間によって《《適切に》》処理される。そのことも分かっているな?」

「あぁ。実際、陣海さんにも殺されかけたしな」

「アイツの……、飛鳥 令那の意志を踏みにじることになる。それでも行くか?」

「……アイツに言わせりゃ俺は無差別殺人鬼らしいぜ。おまけに痴漢に幼女誘拐、盗撮までマルチにこなすド畜生だ。今さらそんなゴミみたいなもん、俺には関係ねぇよ」

「そうか……。もう何も言わん。いや、言えないが正解だな。どちらの〝可能性〟が選別されても、俺は結局政府としての立場を守るしかない……」

「残念だったな。元部下に出し抜かれて」

「あぁ、最悪の気分だよ。……その、勝手なことを言うがアイツを頼む」

 本当に勝手だ
 そっちこそ言っている意味分かっているのか?
 別に新加と付き合いが長いわけでもなければ、性格を良く理解しているわけでもない。
 というより、興味すらない。
 だがそれでも、普段であれば下らない感情論などに振り回される輩ではないことくらいは分かる。
 彼も自覚した上での言葉だろう。
 結局、この男も一人の人間だったということだ。

「……ムチャクチャ言いやがって」

 新加の一方的な物言いに居心地が悪くなり、目の前の扉を開ける力も自然と強くなる。

 ……また、やってしまった。

 バンと勢いよく開かれたドアは何か(・・)の障害物に当たり、鈍い音を立てその動きを止める。

「イタタタタ……」

 やっぱりアンタか。

「ぷっ」

 額を押さえながら、痛みに悶える彼女の姿を見て気が緩み、思わず吹き出す。

「何笑っているんですか……」
「あーすまん。また力が入り過ぎたみたいだ。で、外の空気吸いにいったんじゃなかったのか?」
「……私、やっぱり認識が甘かったです。機構についても、政府についても」
「まぁ、色々と油断はあったのかもな」
「そうですね。政府との確執は知りつつも、いつかは分かってくれると思い込んでいたんです。我ながら、お花畑というか何と言うか……。こんなんだから新加さんは何も話してくれなかったんですよね。だから私、決めました!」

 すーぅっと息をつき、覚悟を決めるように話し出す。

「これからも政府に根気強く説得していきます! 私の代で必ず両者の諍いを治めてみせます! だから……、まだ理事長の職を退くわけにはいきません!」

 何を言い出すかと思えば……。
 それを俺に宣言してどうする?
 案の定、後ろで聞いていた新加は額に手を当てて呆れている。

「……誰が辞めろって言った? 第一、俺に人事権はない」

 新加は言葉も出ないといった様子だったが、それでも何とか絞り出すように彼女の訴えに応じた。

「っ!? 確かにそうかもしれないですけど、一応私の想いだけは伝えておこうと思いまして……」

 感情のまま、勢いで言ってしまったのか。
 久慈方さんは、慌てふためいた様子で取って付けたような理由を並べた。
 そうだ。きっと彼女はこれでいい。
 見ている此方が息苦しいほど実直な彼女だからこそ、機構は原点へ立ち返ることが出来るのだろう。

「そうか。まぁお前の去就に興味はない。勝手にしろ。それよりも、至急近江 憲をメジャーへ手引きしてやってくれ」
「どうしたんですか?」
「詳しいことはそいつに聞いてくれ。近江 憲、場所は分かるだろ?」
「まぁザっとしか覚えていないが、全く知らない場所じゃないからな……」
「それでいい。久慈方、行けるな?」
「はい! 近江さん。行きましょう!」
「あぁ、頼む」

 俺たちは〝可能性〟の選別以前に、話をしなければならない。

 これまでのことを。これからのことを。