◆◆
倒れたという話を、父は瀬野から聞いたらしい。
程なくして、見舞いという名目で、父が維月のもとを訪れた。
いつも通り、人払いをした上で、維月は夢で見た光景を話し、今後の指示を仰いでいた。
「順調のようだな」
「はい、おかげさまで。何の動きもない時は、はらはらしましたが」
「私の見立て通りだっただろう? 必ず、相手は動き始めると。あとは仕上げだ。時間はかかったが、お前もようやく、後宮を出ることができる」
「えっ、ええ」
――そうだ。あと少しで、朱音との仮初の夫婦関係が終了する。
解決できて、良かった。
良かったはずなのに……維月は心から笑うことができないでいた。
「お前が夢で見た場所は、大体分かった。帝にお伺いして、人をやって調べさせよう。必ず、証拠が出てくるだろう。相手が尻尾を出さない分、お前の「夢」が頼りだった。よくやったよ。維月」
「もったいないお言葉です」
嬉しい……はずだ。
父に、褒めてもらえた。
いつもなら飛び上がるほど、大喜びしているのに。
(それなのに、私)
胸が痛い。
あの日から、朱音には会っていない。
毎日のように、維月を気遣う文が届くようになったが、それに応えることが怖くて、当たり障りのない文を瀬野に代筆してもらっている。
情けないほど、心が揺れている。
そんな自分が、維月自身理解できなかった。
「父様……。やはり、その方が犯人で間違いないのでしょうか?」
「ああ」
父は感情の見えない、仮面のような笑みで首肯した。
「東宮さまが幸せになることが許せない性分なのだろう。おそらく、お前のことは、対呪詛のための仮初の妃だと見抜いていて、様子見をしていたのだろうな。……だが、東宮さまとお前が仲良くなり始めていることを知り、最近、帝も譲位のことを、ほのめかされるようになった。我慢が出来なくなったんだろう」
「しかし、その方も、そうせざるを得ないほど、苦しんでおられたんじゃ……」
「どうした、維月?」
「いえ、何でもありません」
全力で否定してから、維月は御簾から顔を覗かせた。
出仕のついでに訪れたらしい父は改まった格好をしていたが、平素と変わらない優しい面持ちをしていた。
そろそろ四十歳を越えるらしいが、表情は若々しく、愛嬌のある垂れ目は、どんなことがあっても憎めなかった。
――いつもの父だ。
実家では、御簾越しに父と話すことなんてなかったから、不作法だとは分かっていても、面と向かって話したくなってしまう。
「維月。いつも申しているが、何より大切なのは、東宮さまのお命。お前は次代の帝……この国を、その身で護ることができる。幸せなことなんだぞ」
「ええ、私は幸せ者です」
いつものやりとりだ。
変わることのない親子の対話。
だけど、やはり、もやもやした感情が胸の中に燻っている。
頭の片隅に、あの御方の辛そうな顔が浮かんでしまうのは、何故なのか?
「父様。やはり、呪詛を仕掛けた者に、呪いを返すのでしょうか?」
「無論、返さなければ、こちらが死ぬ。お前もそのつもりでいなさい」
「そう……ですよね」
呪詛は、返すもの。
本当に誰も幸せにならない法則だ。
朱音には、こんな世界のことを知ってもらいたくなかった。
「いいか、維月。お前は何も考えず、お役目をしっかり果たせば良い。お前の兄様もそうやって生きたのだからな」
「……はい」
二年前に亡くなった兄。
一の宮の役に立つことが出来ることが嬉しいのだと、痩せ細った手で維月の頭を撫でてくれた。
兄に後悔なんてないはずだ。
――その日が来るまで、維月も東宮を護り続ける。
それ以上に、望むことなど何もないはずなのだ。
倒れたという話を、父は瀬野から聞いたらしい。
程なくして、見舞いという名目で、父が維月のもとを訪れた。
いつも通り、人払いをした上で、維月は夢で見た光景を話し、今後の指示を仰いでいた。
「順調のようだな」
「はい、おかげさまで。何の動きもない時は、はらはらしましたが」
「私の見立て通りだっただろう? 必ず、相手は動き始めると。あとは仕上げだ。時間はかかったが、お前もようやく、後宮を出ることができる」
「えっ、ええ」
――そうだ。あと少しで、朱音との仮初の夫婦関係が終了する。
解決できて、良かった。
良かったはずなのに……維月は心から笑うことができないでいた。
「お前が夢で見た場所は、大体分かった。帝にお伺いして、人をやって調べさせよう。必ず、証拠が出てくるだろう。相手が尻尾を出さない分、お前の「夢」が頼りだった。よくやったよ。維月」
「もったいないお言葉です」
嬉しい……はずだ。
父に、褒めてもらえた。
いつもなら飛び上がるほど、大喜びしているのに。
(それなのに、私)
胸が痛い。
あの日から、朱音には会っていない。
毎日のように、維月を気遣う文が届くようになったが、それに応えることが怖くて、当たり障りのない文を瀬野に代筆してもらっている。
情けないほど、心が揺れている。
そんな自分が、維月自身理解できなかった。
「父様……。やはり、その方が犯人で間違いないのでしょうか?」
「ああ」
父は感情の見えない、仮面のような笑みで首肯した。
「東宮さまが幸せになることが許せない性分なのだろう。おそらく、お前のことは、対呪詛のための仮初の妃だと見抜いていて、様子見をしていたのだろうな。……だが、東宮さまとお前が仲良くなり始めていることを知り、最近、帝も譲位のことを、ほのめかされるようになった。我慢が出来なくなったんだろう」
「しかし、その方も、そうせざるを得ないほど、苦しんでおられたんじゃ……」
「どうした、維月?」
「いえ、何でもありません」
全力で否定してから、維月は御簾から顔を覗かせた。
出仕のついでに訪れたらしい父は改まった格好をしていたが、平素と変わらない優しい面持ちをしていた。
そろそろ四十歳を越えるらしいが、表情は若々しく、愛嬌のある垂れ目は、どんなことがあっても憎めなかった。
――いつもの父だ。
実家では、御簾越しに父と話すことなんてなかったから、不作法だとは分かっていても、面と向かって話したくなってしまう。
「維月。いつも申しているが、何より大切なのは、東宮さまのお命。お前は次代の帝……この国を、その身で護ることができる。幸せなことなんだぞ」
「ええ、私は幸せ者です」
いつものやりとりだ。
変わることのない親子の対話。
だけど、やはり、もやもやした感情が胸の中に燻っている。
頭の片隅に、あの御方の辛そうな顔が浮かんでしまうのは、何故なのか?
「父様。やはり、呪詛を仕掛けた者に、呪いを返すのでしょうか?」
「無論、返さなければ、こちらが死ぬ。お前もそのつもりでいなさい」
「そう……ですよね」
呪詛は、返すもの。
本当に誰も幸せにならない法則だ。
朱音には、こんな世界のことを知ってもらいたくなかった。
「いいか、維月。お前は何も考えず、お役目をしっかり果たせば良い。お前の兄様もそうやって生きたのだからな」
「……はい」
二年前に亡くなった兄。
一の宮の役に立つことが出来ることが嬉しいのだと、痩せ細った手で維月の頭を撫でてくれた。
兄に後悔なんてないはずだ。
――その日が来るまで、維月も東宮を護り続ける。
それ以上に、望むことなど何もないはずなのだ。