◇

 アリアはテオから受け取った紙に従って、王宮に向かった。

 まだ王宮には魔法使いが数人いるようで、移動魔法により、王宮に到着した。

 魔法使いは問答無用で処刑されるはずなのに、随分と都合のいい分別をしているのだな。

 そんなことを思いながら、王宮の門をくぐった。

 すでに多くの参加者が集まっていたが、そのほとんどが屈強な男だった。
 小柄な女は場違いだという目が、いくつもアリアに向けられる。

 なんとも居心地の悪い中、アリアは先に着いているはずのルイスの姿を探した。

 これだけ人がいて、見つかるわけがないか、と諦めかけたそのとき、剣を背にして立つルイスを見つけた。
 どうやらルイスも歓迎されていない側らしく、周りが小声で噂をしている。

「アイツ、ルイスじゃないか?」
「ああ、ギルドに所属せず、闇の依頼にしか手を出さないっていう」
「今回の討伐作戦に参加して、賞金を独り占めにでもする気か?」

 そんな声の中を進み、アリアはルイスの元に向かった。

 ルイスはアリアに気付くと、顔を顰める。

「なんで来た」
「これが私にできることだから」

 ルイスに文句を言われることは予測済み。
 アリアはまったく気にしない様子で、ルイスの横に立った。

「エマが泣くんじゃねえの」
「泣かないよ。私たちは二人そろって、エマのところに帰るんだから」

 アリアは自信にあふれた様子だ。
 その自信がどこから湧いてくるのか、ルイスには微塵も理解できなかった。

「国民に召集をかけるってことは、相当強い魔獣だ。それをわかって、ここにいるのか」
「……覚悟はしてる」

 ルイスの言葉で、アリアには若干の動揺が見えた。

 それもそのはずで、アリアは剣を持ってはいるが、魔獣を討伐したことも、誰かと対峙したこともなかった。

 争いごとが未知のものだから、自信があるし、怖かった。

 今すぐ帰れ。

 ルイスはそう言おうとしたが、アリアの瞳を見ると、言えなくなった。
 覚悟を決めたというのは口だけではないらしい。
 強がってはいるのだろうが、帰れと言ったところで帰らないことは容易に予測できた。

「前線には出るなよ」

 アリアは遠回りに役立たずと言われたような気がした。
 だが、文句を言う気にはならなかった。

 それどころか、安心している自分がいた。

 そう感じてしまったことが情けなくて、ルイスの言葉に返せなかった。

「お前は俺の背中を守っていればいい」

 それすらも、ルイスにはわかっていた。
 だから、アリアのやる気が灰になってしまわないように、そう言った。

 それは剣士にとって、これ以上ない役目だ。

 アリアは両手で自分の頬を叩く。
 瞳に見え隠れしていた恐怖は、消え去る。

「了解」

 短い返答に、ルイスは口角の片側を上げた。

 それからすぐに、王宮の兵団がアリアたちの集団の前に立った。

「これより、今回の任務について説明する」

 ここにいる全員に聞こえるように、彼は大きな声を出した。
 しかしそれはあの紙に書いていたことをなぞっているだけだったから、真面目に聞く人は少ない。

 今回討伐するのは、貧民街を襲撃している魔獣の群れ。
 すでに王宮の兵団が討伐に向かっているが、数が多いために、討伐に時間がかかっているらしい。

 一度撤退して、体制を整えるが得策であることは、誰もが理解していた。
 しかし、そうしてしまうと、その魔獣の群れが王都に攻め入る可能性が出てきてしまう。

 それはなによりも避けなければならない事態。

 そこで、国民全体に召集がかかったというわけだ。

「王は今回の活躍に応じて報酬を渡すとのことだ」

 最後の一言で、野太い歓声が上がった。
 あまりの声量に、アリアは耳を塞ぎたくなる。

「件の場所には、移動魔法を使う。数人に別れて移動するように」

 その指示が出されてから、兵の指示に従って男たちが動いていく。

 しかし、ルイスは移動する素振りを見せない。

「行かないのか?」
「ああ、急ぐ必要はない」

 どうしてそう言うのか、アリアには微塵も理解できなかった。

 自分たちがここにいるのは、報酬のためではなく、王に会うため。
 しかし、活躍して報酬を受けるときでなければ、王と面会することは叶わないはず。

 だとすれば、少しでも早く貧民街に向かって、魔獣を討伐するのが得策のはずなのに。

 どうして、ルイスはここまで落ち着いているのだろうか。

「テオから聞いてないのか?」

 アリアの顔に理解不能と書いてあるのを見て、ルイスのほうこそ不思議そうにした。

「今回の魔獣討伐は、すぐに討伐できたはずらしい。それなのに、俺たちに声をかけるほどの大ごとになった。なんでだと思う?」

 問われても、実戦経験のないアリアには、なにが起きれば最悪の事態になるのか、まったくわからなかった。
 ゆえに、アリアは首を傾げる。

「魔獣の群れを牛耳るボスが現れたんだと。厄介なことに、そいつがクソ強いらしい」

 それはアリアの恐怖心を煽るものとなった。
 さっきまで宿っていた自信は、萎んでしまっている。

 そんなアリアを見て、ルイスはにやりと笑った。

「帰るか?」
「……帰らない」

 それでも、アリアは逃げなかった。

「エマとテオに約束したんだ。私たちは、そろって帰るって。だから、私一人では帰らない」
「テオと?」

 ここでその名が出てくると思っていなかったルイスは、素で驚いた声を出した。

「テオも、これ以上あんたに無理をしてほしくないんだと」
「……そっか」

 アリアには、ルイスが照れているように見えた。
 実際、耳がわずかに赤くなっている。

「次!」

 ここぞとばかりにからかおうとしたそのとき、アリアたちは呼ばれた。
 気付けば、アリアの周りには人がほとんどいない。

「……よし、いくぞ」

 ルイスの言葉をきっかけに、二人の表情が変わる。

   ◇

 移動魔法により到着した貧民街は、地獄絵図だった。

 屈強な男たちと同じくらいの大きさはある、四足歩行の魔獣たちが軽く三十匹はそこにいた。
 魔獣は容赦なく彼らに襲いかかっていて、目に付くほとんどの人たちが負傷している。

「なに、これ……」

 ルイスはこうなっていることを予測していたのか、そこまで驚いてはいない。
 対して、こうした戦場を見るのは初めてに近いアリアは、足が動かなくなっていた。

「あの、次の人が来るので移動してもらえますか……」

 アリアたちに声をかけた魔法使いは、見るからに憔悴している。

 目の前の戦いのことが頭からすっかり抜け、彼のことが心配でいっぱいになった。

「でも、貴方、少し休んだほうがいいんじゃ……」
「……休めません。ほかに魔法使いがいないので」

 彼に言われても簡単に引き下がることはできなかったのに、アリアはルイスに腕を引っ張られた。

「おい、離せ。このままだと、あの人が倒れてしまう」
「国はそれを承知で、アイツに働かせてるんだよ」

 国民を戦いに駆り出させるよりも、残酷な仕打ちだと思った。

 自分の都合で生かして、倒れるまで働かせるなんて、最低もいいところだ。

 アリアの中で、王に対しての怒りが溜まっていく。

「だいたい、今回のこれも、回復魔法が使える奴が倒れたのが原因でもあるしな」

 もう、言葉が出なかった。

 国は、魔法使いをなんだと思っているんだ。
 自分がよければ、それでいいのか。

 そう思ったけれど、それをルイスにぶつけたところで、なにも変わらない。

 アリアは深呼吸をして、心を落ち着かせる。

「……あんたは、なんでそこまで知ってるんだよ」
「テオが情報を集めて来たから」

 さも当たり前のように返されたが、情報の処理が追い付かなかった。

 テオは、エマと同じくらいの歳の少年のはず。
 そんな少年が、どうしてそこまでのことを知っているのか。

 アリアには、まったく理解できなかった。

「アイツは情報屋だから。この程度の情報を集めることなんざ、なんてことないだろうよ」

 ルイスはそう言いながら、両手で剣を掴み、身体を伸ばしている。

「さて、そんなことはどうでもいい。俺はもう行けるけど?」

 ルイスに言われて、アリアは慌てて腰に据えていた剣を抜く。
 剣先がわずかに震える。

「いいか? あんたの役目は、俺の背中を守ること。無理に突っ走る必要はない」
「……ああ」

 実際に戦いの場を目にしたからか、王宮での威勢が見られない。
 このままでは、役目を果たせないどころか、ルイスの手間が増えてしまう。

 やはり、もっとはっきりと拒絶をするべきだったろうか。

『これが私にできることだから』

 ふと、アリアの言葉を思い出した。

 エマのために、自分にできることを探して行動をしたアリア。
 その意思は、尊重したっていい。

 そう思ったから、背中を任せた。

「エマのために」

 それが聞こえると、アリアの意識が戻って来たようだった。

 アリアはルイスを見る。

「やるんだろ」

 アリアは力強く頷いた。

 そしてルイスが走り出すと、その背を追う。

 ルイスは前に現れる魔獣を切り倒しながら、まっすぐ進んでいく。
 アリアは周囲に注意を払いつつ、ただ足を進める。

 もっとルイスのように魔獣を倒したほうがいいのだろうか。

 その考えは過るけど、どうにも剣が振れそうになかった。
 自分の力で倒せるビジョンも見えない。

 だから、大人しくルイスを追うだけ。

 なんとも不甲斐ない。
 これなら、ルイス一人で来たほうがよかったのではないか。

 そう感じ始めたとき、魔獣と対峙するルイスの横から、新たな魔獣が襲い掛かってきた。

「アリア!」

 ルイスが叫ぶと、アリアは剣を盾にして、魔獣からの襲撃を防いだ。
 しかし魔獣の勢いに負け、ルイスと若干ぶつかってしまう。

「悪い……!」
「いや、上出来だ」

 ルイスはそう呟くと、自分の前にいる魔獣も、アリアの前にいる魔獣も、いとも簡単に倒してしまった。

「その調子で頼む」

 てっきり、役立たずだとか言われると思っていたのに、ルイスは満足げに言った。

 これでいいのか。
 まったく、力になれている気がしない。

 それなのに、ルイスはまるで妹を褒めるような様子で。

 なんとも歯がゆかった。

「さて、そろそろかな」

 ルイスが立ち止まって呟くと、ほかの魔獣とは比べ物にならないくらい大きな魔獣が姿を現した。

 知識のないアリアでも、あれがボスであることは理解できた。
 そして、簡単には倒せないことも。

「俺はアイツに集中する。アリア、わかってるな?」
「……あ、ああ」

 ルイスのサポートをする。

 それは、理解している。
 だが、だからと言って、身体が動くかと言われれば、話は変わってくる。

 あんな化け物を目の前にして、動けるわけがない。

「アリア?」

 アリアがすっかり怯えてしまっていることに気付いていながら、ルイスはアリアを呼んだ。

 アリアには、ルイスが失望しているように見えた。

 違うんだ。
 大丈夫、できるから。

 そう言ってやりたいのに、声が出てこない。

「いいか、アリア。さっきみたいに、襲われそうになるのを防ぐだけでいい。血なまぐさいのは、周りの奴らに任せておけ。あいつらは、一体でも多く倒して金を手に入れたいはずだから」

 そう言われて周りを見ると、まだたくさん、男たちが魔獣と戦っている。
 それも、協力する様子を見せず、誰が倒したのか、それに固執しているようにも見える。

 あの人たちに譲ればいいのか。

 そう思うと、少しだけ気が楽になった気がした。

「じゃ、離れてろよ」

 アリアの表情が変わったのを確認して、ルイスはボスに向かっていく。

 先刻までの魔獣たちが可愛く思えてくるくらい、それは大きく、簡単には倒せなかった。

 足、胴、背。
 どこに剣を刺しても、手ごたえを感じない。

 突進してくるタイミングで避けるのもまた、一苦労だ。

「魔法なしで、これを倒せってか」

 ルイスは笑った。
 心底不気味な笑みだが、この戦いを楽しんでいるようにも見える。

 ルイスがそれと戦っていることに気付いた男たちが手を出してくる。
 だが、突進された際に、盾で守りきることができず、そのまま倒れていくパーティーがいくつもあった。

 それでも、ルイスは一人残った。

 執拗に足を切り、魔獣が突進できないようにしていく。
 とうとう魔獣が立っていることもできなくなったとき、ルイスは魔獣の背に乗り、眼を潰した。

 これでしばらくは動けないだろう。

 そう判断したルイスは、あたりを見渡した。
 移動魔法を使っていた魔法使いは、まだ倒れていないようだ。

 ルイスは魔獣の背に乗ったまま大きく手を振り、彼を呼ぶ。

 移動魔法を使ってルイスの前に現れた彼は、すっかり疲れ切っている。
 いつ倒れてもおかしくないだろう。

「こいつ、森に帰してくれないか」
「……はあ?」

 彼は心底嫌そうに言った。

「僕が疲れているの、わかりませんか。こんな大きなの移動させたら、間違いなく倒れるじゃないですか」
「じゃあ、魔法で倒せ」

 何様だ、と彼は思った。
 なにより、ルイスの指示に従う義理は、彼にはない。

「貴方たちは、この魔獣たちを倒すために派遣されたんじゃないんですか? 仕事放棄でもする気ですか」
「こいつをこの剣で倒すのは無理だ」

 ルイスが見せてきた刃は、刃こぼれが酷かった。
 それでとどめをさすのが難しいのは、彼でもわかった。

「では、ほかのかたに譲っては」

 そう言って周りを見たが、体力が余っている戦士はいそうになかった。
 いても、アリアだけ。
 倒せるわけがない。

「おっと」

 彼が迷っているうちに、魔獣が意識を取り戻したようで、動き出したらしい。
 背に乗っていた二人は、その衝撃で魔獣から落ちる。

 この至近距離で襲ってこられては困るため、二人は急いで魔獣から距離をとる。

 しかしルイスが足を攻撃したことで、簡単には動かない。
 立とうとしては倒れる。
 それを繰り返すだけだった。

「……僕、倒れたら殺されるんですよ」

 彼は魔獣がうごめく様子を見つめながら言った。

「だから、完全に魔力を使い切るなんてことはしたくないんです」

 誰だって、自分の命が惜しいに決まっている。

 それを聞いて、魔法を使いたくないと言う彼を責めることは、ルイスにはできなかった。

 だが、解決策はある。
 上手くいく保証はないけれど。

「安心して使いきれ。俺は、魔法使い狩りを辞めさせるつもりでここにいるからな」

 一切不安を感じさせない、自信に満ちた表情だ。
 こんな表情を見せられたら、信用する以外ないだろう。

「僕が死ぬことになったら、死んでも貴方のことを恨みますからね」

 彼はそう言って、魔獣に向けて炎魔法を使った。

 ルイスが苦労していた魔獣は、いとも簡単に倒れる。

 それと同時に、彼も意識を失った。

「お疲れさん」

 そう呟いたルイスの表情は、彼を労わるような表情ではなかった。

 まだ挑むような顔をしたまま、燃え上がる魔獣を見つめていた。