「まだエマと仲直りできないのかい?」

 リリの家に居候をすることになって三日。

 開店準備中、リリが半分呆れた様子で、カウンター席で項垂れるアリアに言った。

 二人は未だに距離感を見失っていた。
 アリアが声をかけようとして、エマが逃げる。
 その繰り返し。

「ここまでエマに嫌われるのは初めてで、すごく心が……痛いです……」

 アリアはすっかり魂が抜けてしまったように見える。

「どうしてエマはあそこまで怒ってるんだろうね」

 リリの質問に、アリアはゆっくりと身体を起こした。
 思わず「大丈夫?」と言いたくなるくらい、その顔は暗かった。

「……エマは、師匠の魔法が好きだったんです。それこそ……自分も使いたいと願うほどに」

『どうして私は魔法が使えないの?』

 記憶を封印された数年後の、エマの純粋な質問。
 マチルダもアリアも、罪悪感に押しつぶされそうになった。

 いや、なにかと理由を付けてあの選択を正しいものにしていたのだと、思い知らされたのだ。

 自分たちは、エマから大切なものを奪った。
 これは、二人の罪だ。

 そう認識するきっかけとなったこともあり、その言葉は、ずっと忘れられない。

 アリアの表情が、後悔で歪む。

「マチルダは、エマの魔法を封じたことを後悔していそうだね」

 その姿が容易に想像でき、リリは切なそうな笑みをこぼした。

「きっと……封じる前から後悔していたと思います」

『記憶と、エマの魔力。この二つを封じる』

 そう言ったときの表情は、覚悟を決めていた。
 だが、瞳には苦しみが滲んでいた。

 エマから目を離さなければ。

 そんな後悔もしているようだった。

「そもそも、どうしてエマの魔法を封じることになったんだい?」

 マチルダからエマのことを聞いてはいたが、その理由までは知らなかった。

 この流れで内容を濁すことはできそうになく、アリアはエマの魔法を封じることになった一連の出来事を話した。

「そんなことが……でもエマは、記憶はなくても、無意識に感じているのかもしれないね。他人を傷つけたくないと強く願っていたから」

『でも私は、誰かを傷つけるような力の使い方は、したくない』

 ルイスに強く言い返したエマの姿は、記憶に新しい。

 甘い考えだと思っていたが、今の話を聞けば、腑に落ちた。

「……彼がしようとしていることを考えると、誰かを傷つけずにはいられないと、思うんですけどね」

 アリアはやはり、ルイスに手を貸すことには反対だった。
 戦いの場に身を置いたことがあるからこそ、その厳しさは身をもって知っている。

 しかし、それをどうエマに伝えればいいのかが、わからなかった。

 すると、ドアが開き、エマとテオが入ってきた。
 エマはアリアと目が合うと、わかりやすく目を逸らす。

「おかえり、エマ、テオ」

 そんな空気を察してか、リリは気持ち明るい声で言った。

「ただいま戻りました」

 テオが応え、エマは小さく首を縦に振った。

 そしてアリアと目を合わせないようにしながら、カウンターの中に入っていく。

「あれ? ルイスは?」

 入ってきたのは、テオとエマだけ。
 ルイスの姿は、どこにも見当たらない。

「えっとー……」

 視線を泳がし、言いにくそうにするテオ。
 リリは大きなため息をついた。

「あのバカ……どこに行ったんだい?」
「……適当にその辺を歩き回ってくるそうです」

 隠してもいいことがないと感じ取ったテオは、正直に言った。

「探してきますね」

 すると、店内の居心地の悪さに耐えられなくなったアリアが、席を立つ。

 リリは放っておけばいいと思っていて、引き留めようと思ったが、アリアの心情を思うと、できなかった。

「ぼ、僕も!」

 リリに怒られるとでも思ったのか、テオはリリに呼び止められる前に、店を出ていった。

「……アリア、泣きそうになってたけど?」

 エマと二人きりになり、リリは様子を伺いながら言った。

 エマはただひたすら、今買ってきたものを足元の冷蔵庫に入れていく。

「アリアだって悪気があって隠してたわけじゃないんだ、許してやりな?」

 最後のミルクをしまうまで、エマは答えない。
 そして冷蔵庫のドアを閉めると、静かに立ち上がった。

「……それはわかってる。でも、どうすればいいのか、わからないの……」

 その表情は、さっきまでのアリアと同じように見えた。

 家族を失い、自らの秘密を明かされたエマには、もう少し考える時間が必要なのかもしれない。

 そう感じたリリは、そっとエマの頭を撫でる。
 野宿が続いて傷んでいた黒髪は、少しだけ元気を取り戻したようで、その髪は柔らかかった。

 そして、今にも泣き出しそうなエマを抱き寄せた。

 マチルダたちが、嫌がらせをするために秘密を作ったわけではない。
 それは、ちゃんと理解している。

 それでも、前のようにアリアに接することができなかった。

 混乱し、迷った末、エマはアリアを避けるという道を選んでしまったのだった。

「大丈夫だよ、エマ。きっと、時間が解決してくれる。今までのように、アリアと笑い合える時間が戻ってくるよ」

 根拠はないけれど。
 少しでもエマに笑っていてほしくて、リリは力強く言った。

 そのおかげか、リリの言う通りになるだろうと、不思議と、エマはそう思った。

    ◇

 浮かない顔をして、アリアはテオの後ろを歩いている。
 脳内に過ぎるのは、ついさっきのエマの表情。

 あんなに、気まずい様子になるなんて。
 もう、元には戻れないのだろうか。

 いや、許されるなんて思っていない。
 ただ、エマがもう一度、笑ってくれたなら。

 そんなことを考えながら足を進めていると、ふと、賑やかな声が遠ざかっていることに気付いた。

 どこまで歩いてきたのだろうと顔を上げると、まったく別の場所に辿り着いているように感じた。
 明らかに、空気感が違う。

 さっきまでいた街を昼とするなら、ここは夜。
 静かで、自分を見失ってしまいそうな、恐ろしさを感じる薄暗さ。

 目に映る限り、崩壊しつつある壁しかないようで、とても人が住んでいるようには思えない。
 だが、確かに裸足で歩き回る子供たちがそこにはいる。

 別世界に来てしまったように、錯覚しそうだった。

「ここは……?」
「ルイスさんの家がある場所です」
「家?」

 アリアは信じられなかったが、テオが嘘を言っているようには見えない。

「こんな場所で、生活できるのか?」

 改めて、周囲を見渡す。
 アリアの知っている“家”と呼べるものは、やはり存在していないように見える。

「まあ、家と言っても、ルイスさんは基本的に野宿をしていて。この街に戻ってきたときの、寝る場所、みたいな感じです」

 基本は野宿で、傷だらけで、魔法使いを殺そうとするルイスは、一体何者なのか。

 そう、気にならずにはいられなかった。

「どうして野宿を?」
「ルイスさんは、魔獣の討伐を生業としているんですよ」

 その返答は予想外のようで、そうではなかった。
 あの姿から、それを生業としているところを想像するのは難しくなかった。

 だが、魔獣討伐は危険な仕事。
 下手をすれば、命を落としかねない。

 そんな危険を晒してまで魔獣討伐をしていることが、アリアには理解できなかった。

「魔獣討伐……」
「命懸けの仕事は金銭的価値が高いですから」

 アリアの、理解できないという顔を見て、テオは説明をつけ加えた。

 もしそうだとしても、命を落とせば報酬は手に入らない。
 アリアは釣り合いが取れていない気がした。

「アイツは……死んでもいいとでも思っているのか?」

 自分の命を粗末にしていると感じたアリアは、意味のないことだとわかっていながら、テオに敵意を向けるように言った。

 テオは「んー……」と言いながら、空を見上げる。

「今はそうかもしれません……でも、昔は違ったと思います。だって、ルイスさんがお金を必要としていたのは」
「お前の口は羽よりも軽いんだな、テオ」

 テオの言葉を遮った声は、頭上から聞こえてきた。
 視線を動かすと、ルイスが器用に木の枝に寝転がっている。

 退屈そうに、欠伸を一つ。

「……ルイスさんが、誤解を解かないからですよ」

 テオは頬を小さく膨らませる。
 ルイスがわかりやすくアリアに嫌われている状況が、テオは耐えられなかった。

 ルイスのことを知ってもらえれば、その気持ちも薄まるのではないか。

 その一心で、テオはルイスのことを話していた。
 それが、ルイスにとってはあまり言いふらされたくないことだと気付かぬまま。

 ルイスはそんなテオの気遣いを、くだらないと言わんばかりに、鼻で笑った。

 誤解なんて、させておけばいい。

 そう、言っているようだった。

「で? こんなところまで、なにしに来たんだよ」
「ルイスさんを探しに来たに決まってます」
「俺を? なんで」

 ルイスは言いながら、木から飛び降りた。
 まるで猫のように、静かに。

「ルイスさんはエマさんの護衛を頼まれたじゃないですか。これは仕事放棄で、報酬なしですよ?」
「いらねえよ」

 両手を組んで身体を伸ばすから、本当に猫のように見えてくる。

「面倒なんだよ、子守りは。女騎士サマが守ってやれよ」

 ルイスが言うと、テオはアリアを見た。
 少し視線を落とし、悔しそうにするアリア。

 自分の手で、エマを守りたい。

 アリアはそう強く願っているが、今のエマとの関係性では、それは叶わない。

 他者の力を、借りる他なかった。

「……頼む。私の代わりに、エマを守ってほしい」

 あまりにもあっさりと、そしてしおらしく言うから、ルイスは毒気を抜かれたような気分だ。

 張り合いがなく、つまらないと感じたルイスは、小さく舌打ちをした。

「……国からは守ってやる。だが、それ以外は知らない。エマが傷付こうが泣こうが、俺は関わらない」

 エマがぞんざいに扱われているようで、アリアは異議を唱えようとした。

 だが、これ以上欲張ってしまえば、それすらもしてくれなくなるかもしれない。

 そう思うと、なにも言えなかった。

「ルイスさん、どうしてそんな酷いことを言うんですか」
「……過保護にしたところで、メリットなんてないんだよ」

 静かな声。
 どこか、後悔しているような表情。

 アリアはどうしてそんな表情を見せるのか気になったが、聞けるような雰囲気ではなかった。

 アリアとテオが言葉に迷っていると、ルイスは歩き始めた。

「どこに行くんですか?」

 テオはいち早くルイスを呼びかけたが、ルイスの足は止まらない。

「暇つぶし」

 去っていくルイスの背中に、アリアもテオも声をかけられなかった。

 逞しいように見えて、悲しい背中。

 ルイスの中に隠された悲しみはなんなのか。

 聞くことができなかったそれが気がかりとなり、アリアはただルイスの背中を見つめていた。