…十年前…


 昼間の賑やかさが嘘のように静まり返り、どの建物からも灯りが消える。

 そんな中、一人の女性が闇の中を歩いている。

 街の雰囲気にはそぐわないほど、楽しそうな足取りだ。周りには迷惑にならない程度に、鼻歌を歌っている。

 その女性は路地裏に入り、とある酒場のドアを開けた。

「悪いが、もう閉店だ。飲みたいならほかの店に行ってくれ」

 店の片付けをしていた店主、リリはドアが開く音を聞くと、机を拭きながら言う。彼女は少し拗ねた顔をする。

「そんな冷たいこと言わないで、お姉さん」

 リリは女性の声を聞いてから顔を上げ、彼女を見て鼻で笑った。

「なにがお姉さんだ。あんたのほうが年上だろ、マチルダ」

 リリの呆れた表情を見て、マチルダも笑顔を返す。

「なにを言っているのか、聞こえなーい」

 そう言いながら、街を歩いていたときよりも軽い足取りで店内に入る。

「今日、行ってきたのか?」

 リリはカウンターの中に入り、マチルダに出す水を注ぐ。

 そしてそれをマチルダの前に置くと、マチルダが好きなお酒を用意する。

「うん。子供たち、すごく可愛かった」

 その表情から楽しさが伝わってくる。それに影響されてか、リリの表情が優しくなる。

 マチルダはリリの紹介で、ミクロスにある孤児院に、魔法を使う子供たちに魔法の使い方の指導をしに行ったのだ。

「リリ、私にあの仕事を教えてくれてありがとう」
「まあ、それが私の役割みたいなもんだからな。マチルダが楽しそうでよかったよ」

 リリが言いながらお酒を出すと、マチルダはさっきよりも軽くお礼を言って、お酒を飲む。リリは自分のお酒も注いでいたから、自分の酒を飲みながら微笑む。

 二人が同時に飲むから、二人きりの店内は静かになる。

「それで、情報のほうは?」

 リリはマチルダの話が終わったと判断し、別の話題に変えた。すると、マチルダは申しわけなさそうに、眉尻を下げた。

「ごめん、今日はないの」
「謝るな。マチルダはほぼ毎日のように来ているからな。あるほうが驚きだ」
「私、そんなに来てた?」

 迷わず頷くリリを見て、マチルダは苦笑した。

 今日、孤児院に行くまで無職に近かったから、マチルダには毎日のように酒場に来る暇があった。

 しかしその生活を続けていてもいいのかと感じたから、リリに仕事を紹介してもらったのだ。

 といっても、仕事をしに行ったその日のうちにリリの店に来ているから、結局生活は変わっていないのだが。

 そんなことを思いながら店内を見渡し、もう一度リリを見る。

「なんかここ、居心地がいいんだよね。料理も美味しいし」
「それはよかった」

 店を褒められて、リリは嬉しそうだ。照れ隠しなのか、お酒を飲んだ。

「でも、そろそろなにか情報入れておかないと、クビになるかな?」

 マチルダが冗談で言っていることがわかっているからか、リリは笑っている。

「しないよ。今は魔法使いたちの事情を知りたいって奴もいないしな。でもまあ、面白いことがあれば、すぐに教えてくれ」
「それ、リリが知りたいだけじゃないの?」

 リリは不敵に微笑むだけで、はっきりとは答えなかった。

  ◆

 そんな何気ない一晩から、一週間のときが過ぎた。

 その日、マチルダは開店前の店のドアを開けた。少女を背負っていて、余裕のない表情を浮かべている。

 マチルダの表情を見たリリは、開店前に来たことに対して文句を言わなかった。むしろ、心配そうな色を見せる。

「マチルダ、なにかあったのか? その子は一体」

 マチルダはリリの言葉に答える前に、ベンチタイプの椅子に少女を寝かせる。それから、手近の椅子をそばに移動させてから、座った。

「この子は、私の生徒の一人で……今日、魔法が暴走して、人を傷つけてしまったの」

 マチルダの真剣な表情を見て、リリは黙って話を聞く。口を挟むことなどできなかった。

 重たい空気の中、マチルダは話を続ける。

「幼いころは、自分の使える力がどんなものかわからなくて、暴走するなんてことはよくあるんだけど……この子は、少し特殊だったの」

 マチルダの脳裏に、今日あったできごとが蘇る。

  ◆

 マチルダは今日、炎魔法の使い方を指導した。指先から小さな炎を出し、一枚の紙を焼く。たったそれだけのことだった。

 ただ、炎を使うことは危険だとわかっていたから、いつも以上に注意を払っていた。なにが起きても、すぐに水魔法、もしくは消去魔法が使えるように、備えていた。

 ほとんどの子供たちが上手に炎を扱っていく中、一人だけ手間取っている子がいた。それが、マチルダが店に連れてきた少女だった。

 マチルダがコツを教えようと近付いたとき、事件は起きた。

 少女の炎が、瞬く間に大きくなったのだ。

 指先からビー玉程度の炎を出せばよかっただけなのに、少女の炎は掌程度に、それにも収まらなくなり、小さな少女の全身を包んでいった。

 マチルダはすぐに水魔法を使ったが、それだけでは少女の炎は消えなかった。そして消去魔法でも、打ち消すことができなかった。

 マチルダが対応に困っているうちに、少女の炎は、近くにいた子供に火傷を負わせた。

 自分の魔法が人を傷つけた。

 その事実に耐えられなくなった少女の感情が爆発すると、それに比例するように、少女の炎は燃え上がった。

 ちなみに、どれだけ全身を炎に包まれていても、少女が怪我をすることはなかった。ただ他人を傷つけてしまうものだった。

『たすけて』

 炎の中で、少女がそう言っているような気がした。

 マチルダは諦めずに、何度も水魔法と消去魔法を使った。

 しかし結局、少女の体力が尽きてしまうまで、少女の炎を消すことはできなかった。

 少女が落ち着いて一安心していたマチルダだが、子供たちの不安の目に気付いた。

『怖い』
『近寄りたくない』
『一緒に練習できない』

 子供たちの素直な声に、マチルダは胸を締め付けられた。また仲間に入れてあげてと、無理強いすることはできなかった。

 それからマチルダは、講師を辞め、少女を連れてミクロスを出ていくことを決めたのだった。

  ◆

「その子の感情が、魔法に影響する、か……」

 マチルダの簡潔な説明を聞いて、リリはそう呟いた。

 マチルダはそっと少女の頭を撫でた。優しさと、後悔と、同情が込められた、複雑な瞳をしている。

「それで? ここを出てからどうするつもりなんだ?」

 その質問に答えるまで、マチルダは十分な間を作った。どうするかは決めていたが、それを伝えるかどうか迷っていたのだ。

「……まずは、この子の記憶を消そうと思う」

 リリは言葉を失った。でもしっかりと、今のマチルダの言葉を理解しようとする。

「記憶を消すって……そんなこと、してもいいのか?」

 できるのか?とは言わなかった。この状況で、マチルダができもしないことを言うとは思えなかったのだ。

「ダメだよ。でも、そうすることでしか、この子を救うことはできないと思うの」

 リリはもっといい方法があるような気がしたが、代案が思い浮かばなくて、なにも言えなかった。

 リリが何も言ってこないから、マチルダは話を進めていく。

「今日あったことだけじゃなくて、魔法が使えること自体を忘れさせて、この子の魔法は封じておこうと思う」
「なにも、そこまでしなくてもいいんじゃないのか」

 見たところ、少女は五、六歳程度。それでも少女は確かに、今日まで生きてきたのだ。その時間を奪うことに、リリは賛成できなかった。

 しかし、マチルダは平気でそれを言っているわけではなかった。それは、マチルダの顔を見れば簡単にわかった。

「この子、すごく苦しんでたの。魔法が暴走して、自分の力ではどうにもできなくなって……友達まで傷つけてしまった。その苦しみを、こんな幼い子が抱えて生きていくのは、酷だと思うの」

 そう言っているマチルダのほうが苦しそうで、リリは言葉を詰まらせる。

「それで、私、この子を引き取ることにしたの。記憶を消すんだもの。それくらいの責任はとる」

 その意思は固いようで、リリがなにを言っても聞く耳を持たなさそうだ。

「……そうか。私にできることがあったら、なんでも言ってくれ」

 もはや、これしか言えることはなかった。

 だが、マチルダは申し訳なさそうにした。

「でも私、この街を出ていこうと思ってるから……」
「それでも、なにか私にできることがあるだろ」

 同じ秘密を共有する者として何かをしたいと思っているリリは、引き下がろうとしない。

「気持ちだけでいいよ、リリ。もう、この街とは関わらないようにしようと思ってるから。少しでもミクロスとの繋がりを残していたら、この子が思い出すかもしれないでしょ? だから、ここから離れた場所で、別の人として幸せになってほしいなって」
「名前も捨てさせるのか」

 リリの驚いた声に、マチルダは目を伏せる。

「やりすぎだってことは、わかってる。でももう、この子のあんな苦しむ顔を見たくないの」

 苦しそうな中に、強い意志があり、リリはそれ以上反対することはできなかった。