「私が、魔法使い……」

 エマは確かめるように、もう一度呟いた。

 その独り言に、アリアは動揺を隠せない。

 エマに嫌われることになっても、この秘密だけは明かさないと誓っていたのに。

 当然のように、怒りの矛先はルイスに向かう。
 アリアはルイスに詰め寄り、胸倉を掴んだ。

「お前、どういうつもりだ」
「あ? 俺はただ事実を言っただけだろ」

 怒られる意味がわからないと言わんばかりに、ルイスはアリアの手首を掴み、その手を下ろした。
 取り返しのつかない状況に、アリアは舌打ちをする。

 そのやり取りを、エマは混乱した目で見つめていた。

「アリア姉、私が魔法使いっていうのは、ウソじゃないの?」

 アリアはエマを見て、視線を泳がせ、目を伏せた。

 その仕草は、エマの言葉を肯定しているようなものだった。

 すると、ルイスはそんなアリアを嘲笑した。

「ちゃんと教えてやれよ、お姉サン」

 アリアは、とてつもなく鋭い視線をルイスに向ける。
 さっきまでの、ルイスに気圧されていたアリアと同一人物とは思えないほどに、ルイスを睨みつける。

「部外者が余計なことをするな」

 二人が初めて対峙したときよりも張り詰めた空気が流れる。
 エマもテオも、口を挟むことができない。

「……確かに、部外者だな」

 しかし、案外あっさりとルイスは引き下がった。
 拍子抜けするアリアだが、ルイスがなにかを企んでいるように感じて、鋭い目をやめない。

「なあ、チビ」

 ルイスはアリアを気にせず、エマを見た。
 話しかけられるとは思っていなかったエマは、反応が遅れる。

「お前、強くなってどうしたい」

 エマは答えられなかった。

 強くなったその先なんて、考えていなかった。

「俺は、復讐がしたい」

 エマが考えを巡らせている途中で、ルイスははっきりとした声で言った。

 不穏な言葉に、エマはルイスを凝視する。
 ルイスの次の言葉を予感したアリアは、またさらにルイスを睨む。

「ルイスさん、まさか……!」

 ルイスはテオを一瞥し、その先の言葉を止めた。

「お前の力を借りたい」

 まっすぐ、エマの眼を見る。
 真剣に言っていることは、表情を見ればわかった。

「私の力を?」
「ああ。俺の復讐相手は魔法使いだ」

 相手を思い出しているのか、ルイスの表情が歪む。

 隠しきれない怒りが、ルイスがその相手を殺したいほど憎んでいるのだと感じさせる。

「……どれだけ武術を鍛えても、敵う相手ではない」

 それを聞いて、怒りと悔しさが入り交じった表情だったのだと理解した。

 その二つの感情が共存する苦しさを、エマは知っている。

「だから、お前の力を借りたい」

 ルイスは改めて、エマの眼を見る。

 まだ、情報を処理できていなくて、混乱している。
 それでも、ルイスに協力したい。

 エマは、そう思った。

「……エマじゃなくてもいいだろ」

 ルイスの目的を聞き、エマが力を貸すことに、当然のようにアリアは反対だった。

「ああ、そうだな」

 魔法が使えることを自覚していないエマが、戦力になるかは、怪しい。
 それはルイスが一番理解している。

「だったら」
「だが」

 ルイスははっきりとした声で、アリアの言葉を遮った。

「もう、ほとんどの魔法使いが国に処刑された。残ってるのは息を潜めている奴か、国に把握されていない奴だけだろう」

 アリアの頭には、マチルダの顔が浮かんだ。

 マチルダは、前者だった。
 極力、魔力を使わないようにして、存在を隠していた。
 そうすれば、一秒でも長くエマの傍にいられるだろう。
 そう思ってのことだった。

 しかしマチルダは例外とはならなかった。

 息を潜めている魔法使いの行く末を知っているからこそ、言葉が出なかった。

「息を潜めている奴を、俺が見つけられるわけがない。対して、国に把握されてないのはガキばかりで巻き込めない」
「ルイスさん、それは、エマさんを巻き込んでいい理由にはなりませんよ」

 テオに言われ、ルイスは少し落ち着きを取り戻したように見えた。

 エマを見れば、戸惑っているのがわかる。
 だが、どうしてもエマの力がほしい。

 それは譲れなかった。

 自分の都合で、エマを巻き込めないのなら。

「……魔法使い狩りが始まったきっかけ、知ってるか?」

 エマは小さく、首を横に振る。

 すると、ルイスは静かに話し始めた。

「ある魔法使いが、死者を甦らせた。それは禁忌の術で、誰も使えないだろうとされていた」

 目を伏せるルイスが、なにを思っているのか。
 エマもアリアも、読み取ることができない。

 ただテオだけが知っていて、同じように視線を落としている。

「それなのに、それを実行した奴が現れた。国は奴だけを処刑すればいいところを、全員使えるだろうとか言って、魔法使い狩りを始めたんだ」

 ルイスはそこまで言って、鼻で笑った。

「ちなみに、件の魔法使いはまだ殺されていない」

 バカな国だろ?

 そう言っているように感じた。

「まあ、俺にとっては好都合だけど」

 なぜ好都合なのか。
 それを聞く人物はいなかった。

 エマもアリアも、その魔法使いが、ルイスの復讐相手なのだと察していたのだ。

「もしかして……その人のせいで、お母さんが……?」

 エマの言葉に、ルイスはにやりと笑った。

「チビ。お前はどうしたい」

 ここでエマが選べば、ルイスが巻き込んだことにはならない。
 いい返事を確信しての笑み。

「女剣士に守られながら生きるか? それとも、俺と一緒に魔法使いを殺すか?」

 だが、エマは即答しない。

 魔法使いを“殺す”というワードが、どうしても受け入れられなかった。

 ルイスは黙って、エマの答えを待つ。

 アリアは、すぐにでも口を挟んで、穏やかに過ごす日々を選ばせたかった。
 でも、自分がしては逆効果になりそうで、黙って見守ることしかできなかった。

「私は……守られるだけなのも、誰かを傷つけるのも、嫌」

 静かに言われたけれど、その瞳は強い意志を感じる。

「その魔法使いを捕まえたら(・・・・・)、魔法使い狩りは終わる?」

 ルイスは甘い言い回しが気に入らなかった。
 捕まえる程度で、この怒りが収まるものか。

 そう言ってやりたかったが、エマの決意がなかったことにされては困る。

「ああ、終わる」

 だから、確証もないのに、頷いた。

「……貴方に協力する。私みたいに、苦しむ人を減らすために」

 エマの選んだ甘い未来を、ルイスは鼻で笑う。
 だが、嫌いではないと言っているようだった。

 その横で、アリアは複雑な表情を浮かべる。

 エマは、知らぬ間に強くなっていたらしい。
 でも、優しいエマは相変わらずで。

 それは七年前に見た、マチルダの表情によく似ていた。

    ◆

 七年前。
 エマはマチルダに教わりながら、風魔法の練習をしていた。

 植木鉢の花に両手を向けるエマの傍で、マチルダがその様子を見守る。

「風が起こったイメージをしっかり膨らませて。そう、いい感じ。そこから、少しずつ揺らす力を強めるの」

 マチルダに言われるようにやっても、エマの魔法では植木鉢に咲く花を少し揺らす程度のそよ風しか起きない。

 マチルダのように、風で花を踊らせたい。

 その一心で、エマは悔しそうにしながらも、何度も挑戦した。

「エマは努力家ですね」

 家から出てきたアリアは、淹れたての紅茶を、白いテーブルに置いた。

 めげずに、ひたすら練習に励むエマを、優しい目で見つめている。

「親としては、あまり無理させたくないんだけどね」

 マチルダは椅子に座り、少し困ったように笑った。

「エマは師匠のように、素敵な魔法使いになりたいんですよ」

 迷わずに言えるほど、エマがマチルダに羨望の眼差しを向ける姿を見てきたから。
 今もなお、泣きそうになりながらも魔法を使う、その源になっているのは、きっと。

「そう言われちゃったら、止められないじゃない」

 喜びを隠しきれない表情に、アリアも頬を緩める。
 アリアの暖かい目に気付き、マチルダは口元を隠すように紅茶を飲んだ。

 その刹那。

 マチルダはなにかを察知したかのように、視線を上げた。

 植木鉢、スコップ、箒。
 庭にある物たちが屋根ほどの高さまで上昇し、自由に宙を動き回っている。

 その下に、両手を上げながら、恐怖で顔を歪めたエマがいる。

「エマ、落ち着いて! ゆっくりと魔法を解除するの!」

 そう言われたとて、エマはゆっくりと解除する方法など知らなかった。

 だから、エマはただ魔法を解除した。

 重力に逆らっていた物が、一気に地面に引き付けられていく。

 その内の一つ、植木鉢が、エマを目掛けて落ちた。

「エマ!」

 マチルダが叫ぶよりも早く、アリアが駆け出した。
 アリアは全身でエマを包む。

 二人が丸まった上に、植木鉢は落ちなかった。

 マチルダが風を操り、植木鉢をアリアの後ろに落としたのだ。

「二人とも、怪我は!?」
「私は大丈夫です。師匠、ありがとうございました」
「ううん、なんてことないわ」

 アリアに返事をしながら、マチルダはエマが心配でならなかった。

 ゆっくりと体を起こしたエマは、自分を責める顔をしている。

「……エマ」

 マチルダが優しく呼びかけたのは逆効果だったようで、エマは泣き出してしまう。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……アリア姉、ごめんね……」
「エマ、私は大丈夫だから。エマはなんともない?」

 エマは頷きながら、大粒の涙を流す。
 アリアの“大丈夫”という言葉は、届いていないように感じる。

「ごめんなさい……」

 いつも通りの一日が、エマの申し訳なさに染められた表情で締めくくられた。


 そしてその日以降、エマは魔法には一切触れないどころか、塞ぎ込むようになってしまった。

「師匠、エマは大丈夫でしょうか……」

 ダイニングで、アリアはマチルダに紅茶を出し、二階を見上げて言った。
 マチルダは沈痛な面持ちだ。

「一歩間違えたら、アリアを怪我させていた。そのことが忘れられないみたいなの」
「私はなんともないのに……」
「エマにとっては、そんな簡単な話じゃないのよ」

 そう言われてしまうと、何も言えない。

「……でも私は、エマに前のように笑ってほしいです」

 すると、マチルダは今にも泣きそうな笑顔を浮かべた。

「私もよ」

 そして一度瞬きをすると、その雰囲気は変わる。

 なにかを決心した瞳だ。

「だから、エマの記憶を封印しようと思う」

 アリアは一瞬、マチルダがなにを言っているのか、わからなかった。

「記憶と、エマの魔力」

 マチルダは右手の人差し指と中指を立てて、数を数える。

「この二つを封じる」

 二人の間に沈黙が流れる。
 静かな時間が、アリアが情報を処理する時間となった。

「……師匠、本気で言ってるんですか?」
「もちろん。生半可な気持ちで、こんなことが言えるわけないでしょう」

 マチルダはまっすぐアリアを見つめる。
 すると、マチルダの頬に、一筋の涙が流れた。

 エマが楽しそうに魔法を使う姿。
 一生懸命、魔法を練習する姿。
 思うように魔法が使えたとき、喜ぶ姿。

 それは明確に脳裏に浮かんでいて。
 マチルダにとっても、幸せな時間だった。

 かけがえのない時間をなかったことにするのは、マチルダだって望んではいなかった。

 けれど、このままエマが苦しみ続けるのなら。

 その覚悟が、瞳に宿っているようだった。

「ごめんね、アリア……貴方にも嘘をつかせることになって……」

 アリアも、エマがどれだけ魔法が好きなのか、知っていた。
 いや、見てきた。

 その記憶を封じるということは。

 マチルダはもう、覚悟を決めている。

「……私のことは、気にしないでください。師匠ばかり苦しい思いをさせるわけにはいきませんから」

 懸命に作り出した笑顔には、緊張と不安が滲んでいた。

「ありがとう……」

 そしてエマが眠っているうちに、マチルダはエマの魔法と記憶を封じた。

「大好きなエマ……守れなくて、ごめんなさい……」

 マチルダはエマの目に浮かぶ涙を、そっと拭った。