「お母さん!」

 エマは花畑の真ん中に立ち、遅れてくる人影に向かって叫んだ。

 長く茶色い髪をサイドでまとめた、ロングスカートを履いた女性、マチルダは右手の人差指で円を描く。

 すると、エマの周りに風が吹き、花びらを回せた。

 優しい風の中に、エマの笑い声が響く。

「いいんですか、師匠。今、その力を使っても」

 女性には見合わぬ剣を腰にこさえたアリアが、心配そうに聞く。

 マチルダは人差指をそのまま唇に当てる。

「だって、エマの可愛いわがままには、応えたいんだもの。それにこれくらいなら、誰にも気付かれないわ」

 そう返されても、アリアから心配の色は消えない。

「アリア姉、怖い顔してどうしたの?」

 いつの間にかエマが近くにいて、アリアは慌てて笑顔を作る。

「なんでもない」
「本当?」
「本当だよ」

 二人のやり取りを、マチルダは温かい目で見守る。

 本当の姉妹ではないのに、本物の姉妹以上に仲がいい二人を見て、マチルダは平和を感じていた。

 しかしこの穏やかな時間は、長くは続かなかった。


 今、マチルダたちの住む街周辺では、魔法を使える人間は問答無用で処刑されている。

 ある魔法使いが禁忌の術を使ったという、それだけの理由だ。

 魔法使いを脅威に感じた王が、その存在を抹消するようになってしまったのだ。

 もちろん、マチルダもその対象になる。

 いつその番が来るのか、その恐怖に怯える夜がないわけではない。

 だが、エマに暗い顔を見せたくないその一心で、マチルダはいつもの日常を過ごすことを決めていた。

 そして、その時はやってきた。


 花畑から家に戻ると、城に勤める人間が二人、ドアの前に立っていた。

 マチルダとアリアは視線を合わせる。

「エマ、部屋に飾る花がほしいって師匠と話していたのを忘れていたんだ。一緒に取りに行こう」

 アリアは、エマが異変に気付く前に、エマを連れてその場を去る。

「待ってよ、アリア姉。どうしてお母さんは行かないの?」

 エマは言いながら、振り返ってしまった。

 それはタイミング悪く、マチルダが捕まっているところを目撃してしまった。

 エマは立ち止まる。

「アリア姉、お母さんが……」

 アリアはエマを掴む手に力を入れる。

 その表情には、苦しみが浮かび上がっている。

「離して、お母さんが……!」

 抵抗しても抜け出せず、エマはマチルダが連れ去られるところを見ていることしかできなかった。

 そして、その悔しさをアリアにぶつける。

 力いっぱい、アリアを押す。

「どうしてお母さんを助けに行かなかったの!? このままだと、お母さんが……」

 エマの涙を見て、アリアも苦しそうにした。

「師匠に言われたんだ。エマだけは、絶対に守ってほしいって。自分はどうなってもいいからって」

 楽しかったはずの花畑が、苦しい思い出の場所に塗り替えられていく。

 アリアはただ、エマの泣き声を聞くことしかできなかった。