Side朔夜

次の収録は、来週。
恐らく、これがラストチャンス。

電車に乗る前に、マネージャーから連絡を受けた。
「何やらかしたの!?」
と血相変えた様子が、声色で分かる。

今度そう言う演技が必要な時に参考にしますね。

いつもだったら、こんな風に茶化すくらいはしたかもしれないが、今日は流石に止めた。
そんな気分でもないし、この怒り具合から想像するに、火に油を注ぐレベルでは済まないかもしれない。
今回の再収録の件は、細かく理由を聞いていないのだろう。
「何やらかしたの!」
「あんたのスケジュール組み直すのどれだけ大変だったと思ってるの!」
とお小言を喰らうものの、僕はただ黙って聞いていた。
反応が無いことに、諦めてくれたのか、
「とにかく、ちゃんとやってよね」
と念押しをしてきた後で、マネージャーは最後に明日以降のスケジュールについてだけ確認を取り、僕がうなずく間も待たずに早々に電話を切った。

明日はバイノーラルマイクを使った、シチュエーションCDの収録。
スタート時間は午前10時。
台本はすでに受け取っているが、今は自宅にある。
スマホで時間を確認する。
今から自宅立ち寄ってホテルに戻るとすると、軽く見積もっても往復2時間は最低でもかかるだろう。

2時間は、長い。

明日、朝食を食べた後すぐに凪波とホテルを出て自宅に連れて帰ることができれば、ギリギリ間に合うかもしれない。自宅までの電車はラッシュにはならないから、凪波の体調も大丈夫だろう。

でも、スタジオへ行く時はラッシュのタイミング。電車が10分でも遅延したら、遅れる可能性はある。
タクシーを使うという手も一瞬考えたが、以前それをやってみた時に渋滞に巻き込まれて痛い目にあったこともある。
その時は集団での収録。
でも監督は仏と評判の優しい人。監督からは、30分の遅刻で多めに見てもらった。
ただ、共演者の先輩には、その後からネチネチ、と会う度に嫌味を言われる。

今回は1人での収録なので、その確率は限りなく少ないものの、初めてのチームとの仕事になるので、悪印象をつけるのは極力避けないといけない……。

明日も凪波をホテルに泊まらせて、自分だけ朝一で戻る、という選択肢も頭をよぎったが、朝凪波を置いて早起きできる自信は、なかった。

僕は、頭の中で最も最短で戻ってこられるルートを瞬時に計算して、家へと向かう電車に飛び乗った。


でもやっぱり、僕はこの2時間をも惜しむべきだったんだと、この後知ることになる。