Side朔夜

そのホテルは、高級と呼ばれるもの。
豪華なエントランスに、今の僕達は似つかわしくない気がした。
払えるだけのお金があるかと言われれば……ある。

この場に今の僕達は目立ちすぎている。
すれ違う人々は、怪訝な顔で僕達を見ている。
でも、これ以上、考える時間は残されていないようで。

「失礼いたします」

しっかりトレーニングされた、ホテルマンが声をかけてきた。
執事役を演じる時に、参考にしたいと思える程、華麗で無駄のない仕草。
そのホテルマンは、僕の肩にもたれかかり、苦しそうに呼吸をする凪波を見ながら

「お客様、体調を崩されていらっしゃるようですが、救急車をお呼びいたしましょうか?」

と聞いてきた。
これは、ホテルマンにとっては当たり前の声がけで、なおかつ善意からきているものだろう。
僕は、病院ではなく、このまま自分の手元に置くという決意をしたことを思い出し、すっと息を吸う。

「こいつは、酒に酔って寝ちまってるだけなんすよ」
呼吸は、役に入る前の肉体的なスイッチ。
僕はこの周辺で、女達のモテモテのホスト。
過去の自分を、ほんの少し脚色するだけで簡単に演じられる。

「それよりお兄さん、早く部屋、用意してくんない?」
「部屋、でございますか?予約は……」

……やっぱりこういうところは、予約がしっかりないと入れないのか……。
万事休すか……?
でも……。

僕はそのホテルマンの耳元でそっと、こう呟く。
「俺様のために、部屋準備してくれるだろう?」

かつて演じたゲームの俺様キャラのセリフを、ほんの少しスパイスとしてきかせてみる。
ホテルマンと目を合わせると、彼が額から汗を垂らして、顔を真っ赤にしながら

「確認してまいります……」

と早足でフロントへ向かう。
それを見送り、急いで凪波を見る。
凪波の頬が、ほんの少し赤く染まっている……?

「どうしたの?」
「……あの……」
凪波が微かに目を開けて、僕を見ながら
「あんまりいい声なんで……腰が砕けるかと思いました……」

ホテルのエントランスで、そのワードチョイスに、僕の方が砕け落ちそうになった。
かつての凪波だったら、こんな事は言わなかっただろう。
不用意な発言1つしない、鉄壁さがあった。
でも、今の凪波には、そんな雰囲気はない。

人前で、肩にもたれかかる無防備さ。
ベッドでの出来事を思い起こさせるような、言動。
全部僕が引き出したかったけど、できなかったこと。

今の凪波が、かつての凪波とは違う事が、少しずつわかってきた。