Side実鳥

昨日は、実にいい日だった。
同級生でもあるヘタレ上司が、男を見せた時のことを聞いて
「これで安心だ」
と、母のような気持ちになった。

「ママー!」
…………実際自分は母親になっているわけだけれど。
言葉を覚えたばかりの息子が、パンをワイルドに頬張りながら私を呼ぶ。
「はいはい、どうした?葉くん」

もう2歳になる息子が、テレビを指差している。
……これは……。

「……保育園、行く時間だからダメ」
時計をが明らかなタイムリミットを教えてくる。
でもそんな事情は、2歳児に通用するはずはない。
あっという間に、機嫌が悪くなってしまう。

「しょうがない……」

時間内ですぐに見られそうな動画として重宝しているものがある。
私は急いで動画アプリを開いて、お気に入りに登録している動画をテレビに飛ばす。

最近始まった、子供向けの勇者アニメのダイジェスト。
5分以内で勇者のカッコイイシーンがこれでもかと詰まっている。
ファンが作った動画であり公式ではないものの、シーンの抽出の仕方は下手な公式よりずっといい。
勇者を演じた一路朔夜の演技力やイケボっぷりを、ここぞとばかりに堪能できるように計算されていると言っても過言でもない。

……子供にはそこまでは分からないだろうが、次から次へと流れてくる勇者の名シーンに釘付けになっているので、二重の意味でこの動画制作者にはお礼が言いたい。

葉がおとなしくなってる間に、急いで私は仕事に向かう準備をする。

私がシングルマザーにならないといけなくなり、サイズが合わなくなったリクルートスーツに袖を通して数社目の就職面接を受けていた帰り道、偶然街中で海原に再会した。
「シングルマザーはちょっとうちでは厳しいです……」
という、心ない言葉に傷ついていた私は、海原を見かけた時に、高校時代の楽しかった思い出が急に懐かしくなったので、急いで声をかけ、無理矢理海原をランチに誘った。

最初は相談するつもりはなく、過去の話だけで終わりにするはずだった。
でも、何かの拍子でついぽろっと話してしまった。
もちろんその時は世間話の1つとして済ませる予定だったのだが

「え?じゃあうちで働かない?」

と誘われた。
さすがに同情で、それも同級生の家に雇ってもらうのはチートな気がして断ろうとしたが……。

「藤岡、ネット詳しかったろ?ホームページとか作ってたし……」
「……あー……」

それは、二次創作のサイトのことだろうか。
HTMLを簡単に組むだけの、妄想ダダ漏れのサイト。
しかもその存在を知っているのは、私が知る限りは一人だけのはず。

「凪波から聞いたの?」

その名前を声にするのは、何年ぶりだったか。
でも、自然と口にできたのは、それだけ馴染んでいたから。

海原は、少し寂しそうな顔で頷く。

「あいつが、藤岡のことすごいーって言ってたからな」
「……ちなみに、そのサイトの内容のことは知ってるの?」
「そこまでは聞いてないけど……知らないとまずかったのか?」
「あーうーん……気にしないで、ほんと、忘れて」

当時の私への凪波からの裏切りがあったかだけは気になったが、それがなかったことが分かって安堵した。
海原は怪訝な顔をしたものの

「俺ら、これからサイトを盛り上げて……通信販売にも力を入れようと思って、そういうネット系に強い人間を採用しようと思ってたんだ。でも、人材紹介会社とかに聞いても、すごい金吹っ飛ぶし……」

そう言うと、海原はいきなり私の……指輪を外したばかりの左手を握ってきた。
いきなりの想定外の行動に、心臓が大きく跳ねた。

「なっ、何する……!?」
「藤岡なら、俺めっちゃ信用できるから、もし他に決まってなかったらウチで、WEB担当として働いてほしい!給料は……人材紹介会社とかに払うくらいなら藤岡に積むから!」

どうして、その口説き文句を高校時代に凪波に言わなかったんだろう……と少し呆れたものの、今置かれてる状況からすると楽園にも等しいお誘いだったので、断る理由はなかった。

むしろ、彼に拾われたおかげで、私はこうしてシングルマザーとして……自分の子供の衣食住には困らない生活ができている。


感謝しかない。
側で働くうちに、彼がどんなに真面目で、楽しい人間で、子供が好きで……そういう高校時代には分からなかった良い面をたくさん見ることができた。

私は彼の側で働く、ということをいつしか楽しむようになっていた。
この人の役に立つ……ということに喜びを感じるようになっていた。
だから、彼が初恋をこじらせたとんでもない提案をした時も、私は応援することに決めた。
凪波が見つかったと知った時は、彼の願いが届いたことを、まず喜んだ。

そうして私は、子供の成長を喜びながら、彼らの幸せを願って生きる。
その立場にいられることに、誇りを持つことにした。

小さく芽生えそうになっていた、名も無い感情は彼らの笑顔で蓋をした。
そして私は……。


「一路朔夜の声って、やっぱり声優界の宝だよな。CD買うか」
彼のおかげでゆとりができた懐で、趣味をも満喫できる日常に感謝をしていた。

動画が終わった。
自分の支度はギリギリ終わった。
家事はまだだけど……これくらいなら許容範囲。

よし、出かけよう。
そう思った時。


「ママーリンリンなってるー」
「そだね〜ちょっと待ってね」

スマホに出る。

「もしもし」
電話の相手は

「……藤岡?もう出てる?」

今まさに向かおうとしていた職場のボス。
でも、声のトーンが明らかにいつもより下がっている。
まるで、悪役を倒しに行く直前の勇者のような……。

「これから出るけど……なんで?」
「俺、これから東京行くから」
「……はぁ!?」