Side朔夜

凪波は、僕の肩にもたれかかり、眠ってしまった。
止血の処理を施したことで、出血はどうにか抑えられている。


結局僕は、凪波をこの電車から降ろす決断はできないでいる。
彼女は、僕に救って欲しいと懇願をした。
僕は、彼女にそう望まれる事を、いつも望んでいた。




僕を徹底的に必要として欲しかった。









窓の風景が流れるように変わっていく。
日常へ還っていくように。
僕は、凪波の体温を感じながら、台本を開くことで、声優一路朔夜に自分を戻していく。

「……台本ですか?」
いつの間にか、凪波は目を覚ましていた。

「そうだよ」
「すごい……初めて見ました……」

そんなことない。
君は誰よりも真剣に向き合っていたんだよ。
でも、それを今言うのは、違う気がした。

「具合は大丈夫?」
「……はい……」

……あれだけ望んでいた凪波との二人の時間。
それなのに今僕は、彼女と何を話せばいいのか、分からない。
何をしてあげればいいのか、分からない。

凪波は物珍しそうに僕の台本を眺めていたが、また、眠ってしまう。
額にキスをしたくなる衝動にかられたが……できなかった。

ふと顔をあげる。
景色は、もう間も無くこの時間が終わることを教えてくる。


かつて仕事で関わったギリシャ神話を思い出した。
死の司る神と言われるハデス。
彼は、全知全能の神ゼウスの娘に恋をして、彼女を彼の世界である地下へと攫ってしまう。
彼の執着によって、結果として娘を死の国に留めることに成功する。

そんな話を、ふと思い出す。
今の僕は、ハデスと同じではないか?
冥府の国へと愛しい娘を連れ去ろうとしているのでは、ないだろうか。


それでも僕は……。


next memory...