Side朔夜

どうして?
何でここに?
どうやって来た?

つい先ほどまで、面会謝絶の病室にいたはず。
まさか、海原が送り出したのか?
……そんな馬鹿な。
それに、頭には包帯が巻かれているが、着ているのは病院着ではなく、普通の服。……自分で着替えたのか?
聞きたいことが、たくさん浮かんでくる。

全速力で走って来たであろう凪波は、僕に抱きついたかと思えば、息を切らしながら、床に膝をついた。

「凪波!?」
僕も急いでしゃがみこみ、凪波を支える。
凪波の体が、僕の体に寄りかかる形になる。

袖には血がどんどん滲んでいる。
そういえば、凪波は病室に運ばれるときに点滴をしていた。
まさか、自分で抜いたのか?

「凪波、大丈夫か、凪波!?」
助けを呼んだ方がいいだろうかと思って周囲を見渡すが、この車両には運悪く誰もいない。隣の車両に居眠りをしているお爺さんが見えたくらいだ。

「凪波、立てるか!?」
凪波は、喋るのが難しいのか、小さく頷くだけ。

「そこの椅子に座ろう。捕まって」
と、凪波の手を僕の肩に回して立ち上がらせ、少しでも負担をかけないようにそっと椅子に腰掛けさせた。
横に座ると、凪波が僕の肩にもたれかかる。

とても苦しそうに呼吸をしている。

「凪波……僕の声、聞こえる?」
僕が尋ねると、凪波はうなずくだけ。
僕は、持っていたハンカチで、凪波の出血箇所を抑える。
みるみるうちに、ハンカチも血色に染まる。

「どうして、ここに来たの?」
凪波は、苦しそうに呼吸をするだけ。
声を出すことがしんどいのかもしれない。

凪波が僕の側に来てくれた、ということが決して嬉しくないというわけではない。
これが、凪波が元気な状態だったらすぐにでも抱きしめてしまいたくなるくらい舞い上がったことだろう。

でも、今は事情が全く異なる。
凪波の顔色は、どんどん青くなる。

このままだと、凪波は死んでしまうかもしれない、という恐怖の方が今は勝る。
次の駅で降ろして病院に戻した方がいいのでは……。

ちょうど近くに、緊急停止ボタンがある。
僕は、それを押そうと立ち上がろうとするが


「……凪波?」
凪波は、僕が立ち上がれないように抱きついてきた。
「やめて……押さないで……」
「次の駅で降りて病院に行こう」
「私は……大丈夫……です……」
「大丈夫じゃないよ?自分でも分かるでしょ?」
「……お願いします……このまま私もつれていってください……」

絞り出すような声で、凪波が懇願する。
それはつまり、東京まで……ということ。
凪波のこの状態で、東京までこのままつれて行けるとは、到底思えなかった。

「凪波、訳はあとで聞くよ。でも今は……こんな苦しそうな君をつれては……」
僕がそう言うと、凪波は少し体を起こして僕の目をしっかり見た。

「私……このままだと……色々ダメになる気がするから……ちゃんと、自分のこと……これまでのこと……知らないと……怖くて……怖くて……」

記憶喪失のことを言っているのだろう。
凪波は徐々に涙声になっている。

「あなたと一緒に行けば……私は……私のことが分かるんじゃないかって……不安がなくなるんじゃないかって……そう……思って……」

凪波は、震える手で僕の服を掴んだ。

次の駅まで、あと数分だった。
119をしなくては。
凪波を降さなくては。

理性ではわかってる。
このままだと彼女の体が危ない。
それでも……。




僕は、今凪波を手放すことの方が、怖いと思ってしまった。