Side朝陽

長い話だった。
テレビで見るような、ドキュメンタリー番組みたいな話。
普通に、ビールでも飲みながら風呂上がりにでも適当に見ているのであれば
「そうかー大変だったんだなー」
くらいの感想を言えたかもしれない。

ところが、その当事者に自分の婚約者がいるというのはどうだ。
まるで、自分達の絆が特別なものだと見せつけられているようで、酷く気分が悪い。
それは目眩を起こすほどに。

でも、同時に気になることもある。
俺が知っている凪波とは、所々似ている箇所があるものの、やはり別人にしか思えない。
あいつはそんな、人に誇れるような演技力を持っていたのか?
そんなに演技というものに情熱的だったのか?

もし、あいつが腹の底でそう言ったものを全部隠して、あの卒業式まで過ごしていたのだとしたら……。
あいつの情熱を本当に誰も気づかずにいたのだとしたら……それはあいつが俺達に残した最初の軌跡なのかもしれえない。

が、やっぱり別人であって欲しい。

「なあ、あいつが……あんたが言う凪波と同一人物だっていう証拠はあるのか?」
「あるよ」
一路朔夜は秒で答える。
「随分な自信だな」
「君は知ってる?」
「何をだ」
一路朔夜は、自分の髪にかかってる髪を自分の耳にひっかけ、耳たぶをめくった耳の裏側を見せる。
「凪波は、ここに小さな黒子があるんだ」
「は!?」
「勿論、さっき確認させてもらったよ。間違いなく、彼女は僕の凪波だ」
あんなところ、俺だって見たことない。
どれだけ近くなれば、あいつのそんなところ、見られるんだよ……!
くそっ!!
このやり場のない気持ちをどこかにぶつけて昇華させなくてはいけない……
でなければ……俺はいつかあいつを……。

コンコン。
小さく鈍いノックの音。
外には、今中がどんな空気なのか何も知らない笑顔の凪波が立っていた。
両手で、アップルパイを載せたトレイを持っていた。
俺は、いつもより優しく扉を開ける。

「お腹空いてない?」

凪波の声が、部屋中に響く。
柔らかく、素朴で、安心する声。
……以前よりずっと綺麗な発音だった。


「おばさん、すごく気合い入れたみたいで、ほら、ここ見て」
中に入って、ローテーブルの上にアップルパイを並べた凪波が指差す。
アップルパイの上の部分は、りんごで小さく薔薇が作られていた。
凪波は、一路朔夜に一瞬目線を合わせた、が、すぐ視線を外した

「……可愛い薔薇……だね」
一路朔夜がそう言うと、凪波が照れたような表情になる。
……母は……あんなりんごの飾りなんか作ったりしない。

「食べてもいい?」
一路朔夜は聞く。凪波は
「どうぞ」
と小さく言う。
一路朔夜がアップルパイを口に運ぶ姿を、ちらりと覗き見するように見る凪波。
目線が合いそうになって、また凪波は目線を逸らす。

……なんでだよ。
どうして、そんな顔をするんだよ。
俺にはそんな顔を見せたことがないのに!

がしゃん!
無意識だったが、またローテーブルを蹴っていた。
俺の分のアップルパイが、床に落ちて、フォークの音が響く。
やってしまった、と気づいたのは、凪波が俺を見る表情を見た時。
……時間が戻せたら。ほんの数秒でもいいから。
そう願うには充分すぎる程、俺に罪悪感を植え付けた。

謝らなくては。

ごめん?
すまない?
もうしない?

どう言えば、凪波は許してくれるのか。
そう思った時だった。

窓からほんのり、少しずつ太陽が差し込んでくる。
凪波の顔に、その光が当たる。
その瞬間だった。

ゆらりと倒れていく凪波。
受け身を取ることなく、ローテーブルの角に頭をぶつける。
俺がローテーブルを蹴るより、ずっと激しい音がした。

凪波はそのまま地面に横たわる形になる。
凪波がローテーブルの角にぶつけた頭から、じわじわと血が染み出していく。


「凪波!?」
一路朔夜が凪波に触ろうとする。
「触るな!!!!」
俺は、今までで1番出したことがないような声を出した。
「あ……ええと……その……頭打ってるから……動かさない方が良いって言うだろう!」
「あ、そ、そうだな……救急車……」
一路朔夜は納得して、救急車を呼び始める。
でも俺は、自分のこの時思った感情に、驚いていた。

凪波に触るな。


それは、紛れもない独占欲だった。



next memory...