Side朔夜

初めて結ばれた日からすぐ、僕は彼女……凪波との同棲を決めた。
付き合い始めたばかりなのに、すぐに一緒に暮らすのは流石に……と凪波は渋った。

まさか毎日でも抱きたい……と言う、男としての本音をぶつけるわけにはいかないので、考えた末に

「家賃割り勘できる!」
「食費割り勘できる!」
ここら辺の言葉で、凪波の「同棲頑なに拒否!」モードから「同棲?悪くないかも」モードに変換させることに成功した。
そして
「演劇に関する書庫部屋作ろう」
この言葉が、凪波の背中を押した。
毎日違う演劇論の本を読んでいたのを覚えていて本当に良かった……。

……本音を言えば、僕と毎日一緒にいたいから……と言う理由で同棲を決めてくれるのが1番嬉しかった。
けれど今はまだ、僕の方がずっと凪波のことを好きだろうと思った。

……凪波に、もっと僕のことを好きになってもらうにはどうすればいいのだろう……。
自分ばかり好きなのは、とても苦しいし、悔しい。

さらに言えば、外では恋人らしいことは一切禁止、と言われた。
僕は、外でも凪波と手を繋いで歩きたかったし、普通のカップルのようにデートもしたかった。
でも、凪波は僕からの提案は全て却下した。

凪波と僕が恋人として振る舞えるのは、家の中だけにすること。
外に出たら、決して自分達の関係を悟られないように演じること。
それが、凪波から僕に出された、同棲を受け入れる絶対的な条件だった。
僕は、不服ではあったが、それで凪波と暮らせるなら……と考え、渋々受け入れた。

外で恋人として振る舞えないなら、家で思う存分彼女のことを愛せばいいだろう。
そう考えて、僕は彼女の家と僕の家の中間地点であり、かつ事務所にも行きやすい吉祥寺付近で探した。

「住みたい街ランキング」の常連の街な事もあり、駅近では手頃な物件は見つからなかったため、徒歩20分くらいのところにある2DKの部屋を借りることにした。

1つ心配だったことが、不動産屋で借りるときの審査だ。
前も事務所の人間に保証人になってもらい、事足りたので、今回もそうした方がいいと考えた僕は、事務所の一部の人間にだけはこの関係を打ち明けてもいいのでは、と話した。
でも凪波は「その必要はない」とバッサリ。
ついでにいえば、手続きは自分の名義でやるから、と、僕が収録の仕事をしている間に全部終わらせてしまっていた。

何故、その選択をしたのか。
そもそも何故、そんなことができたのか。
その理由は、それからすぐに分かった。

収録帰りに事務所に寄った、ある日のこと。
「おい、一路。ちょっといいか」
と、いつものマネージャーに呼び出された。
普段は滅多に使わない、会議室に連れて行かれると、スーツを着た凪波が座っていた。

「えっ……な」
と僕が言おうとするのを、凪波が目の睨みで止めた。
ほんの一瞬の出来事なので、マネージャーは気づいていない。
僕は1回咳払いをして
「なんで……畑野……さん?がここに」
「ああ、お前らそういえば面識あるんだったな。まあいい、座れ」
そう言われて、僕は凪波の目の前に座らされる。
そこで聞かされたのは、凪波が声優業を引退して、僕の専属マネージャーになると言うことだった。

「畑野の演技論の知識は、これから売り出さないといけないお前にぴったりだろう。丁度お前をどんどん業界に売り込んで行こうと思っていたところだったからな。これからは畑野の言うことを聞けよ」

そう言って、マネージャーは僕たちを二人だけにして去っていった。

「どう言うこと?」
「そう言うことです」
凪波はこの時には、すでに僕に対して敬語で話すことをやめてくれていたが、この時はわざと敬語になっていた。
「あれだけ演技の勉強頑張って……それで辞めていいの?」
僕は知っていた。
彼女がどれだけの時間を使って、本だけではなく映像、音声など幅広い資料を集めて、寝る間も惜しんで学んでいたのかを。

僕と激しく愛し合った後でさえ、少し眠ったらいつの間にかベッドから出ていて、何かしらの本を読んでいた。

それほどまでに、彼女は演技を、声優という仕事を愛していたはずだ。
それを、こんなに簡単に手放して良いと言うのか?

僕が考えたことが、彼女には伝わったのだろう。
「後悔は無いです」
「どうして僕に相談してくれなかったの」
「相談したところで、結論は変わりません」
その言葉が、ひどく胸に刺さる。
「相談ができないほど、僕は頼りないの?」
「そう言うことでは無いです」
「じゃあ、どうして……」
「少し前から、決めていました」
「いつ!?」
僕がそう聞くと、凪波は大きなため息をついた。
それから、凪波は横に置いていた自分の鞄から、たくさんの漫画やライトノベルを出してきた。
「……何、これ」
「次のオーディションの資料です」
「え」
「まず、この漫画の主役のテープオーディションがあります。すぐに吹き込みたいので、この近くの安い収録スタジオを予約しました。今すぐ行きましょう」
「え」
「ああ、ついでに事務所のサンプルボイスも変えましょう。あんな基礎もできてないような恥ずかしい演技なんて、誰からもオファーは来ませんね」
「ちょ、ちょっと待って?なな」
凪波と名前を呼びそうになった僕に、彼女が人差し指をあててストップをかける。
「畑野さん、って呼んでください」
「……ちょっと待ってください。畑野さん」
「何でしょう」
「僕の質問に答えてくれて無いけど」
「……それについては答える意味はないかと」
「どうして」
「今更無意味なことです」
「何でそう言うことを言うの。大体君はいつも」
僕が文句を繋げようと思ったら、彼女が僕にキスをしてきた。
外での不意打ちのキスに、体が動かなくなった。
そして、凪波が唇を離しながら
「あなたを、一流の声優にすることが、今の私の夢なの」
敬語ではなく、恋人の凪波として、僕に話す。
「君の夢が……僕?」
嬉しかった。
凪波はいつも、一人で黙々と何かを考え、人生に僕を入れてくれるような素振りは見せなかった。
だからこそ、彼女と二人でいるときには、彼女の中に入りたくなるのだけれど。せめて体だけでも。

でも、そんな彼女が、僕を夢だと言ってくれる。
たったそれだけのことで、僕が感じた違和感を吹き飛ばす。
それが分かったのか、凪波は僕の両方をばしっと叩き
「と言うわけですので、これからビシバシ仕事も入れていきますので、よろしくお願いします。早速スタジオに行きましょう」
と、仕事モードに切り替わった。

僕はこの時、公私共に凪波のパートナーになれる、と言うことに満足をして、なぜその選択をしたのかと言う理由を聞くことをやめてしまった。

もし、ちゃんとどこかで理由を聞くことができたら、違っていたのだろうか。

ただ、この日から凪波の培ってきた人脈、スキル、そして僕への文字通りの献身が、声優の一路朔夜を創り上げてきた。

外では、彼女が僕を守ってくれると言った。
実際、外の「声」から、彼女が盾になって守ってくれた。
次々と大きな案件を獲得するために、夜中でもクライアントとやりとりをしていた事も、僕は側で見ていた。
それが自分の役目なのだと、彼女は笑いながら言ってくれた。

男としては、僕が、彼女を守りたかったが、その代わり彼女が見たいという一路咲夜に近づけるように、必死で食らいついた。

そうして出来上がったのが、今だ。
つまり、一路朔夜と言う声優は、僕と彼女の共同制作の作品なのだ。

例え君に記憶がなかったとしても、僕には関係ない。
だって、僕こそが、僕と君が深い繋がりを持つ、何よりの証なのだから。