Side朔夜

それ以上のことなんて、慣れている……はずだった。
それなのに、触れるだけのキスが、とても心地いい。
どちらからともなく離れた。

二人して仰向けになる。
雲ひとつない星空が広がっていた。
東京の星空は、さほど星が綺麗に見えるわけではなかったはずなのに。
綺麗だな、と思っていた。

そしてまた、彼女を見る。
彼女は、声を立てずに、延々と涙を流していた。
ここではない、遠くの空を見ていた……そんな気がする。

だから僕は、もう一度彼女の手を掴む。
どうか、もう遠くにいかないで。
そんな願いを込めて。

それから僕達は、一度は駅についた。
言葉を交わすことなく。
でも……そこでわかった。
お互いに離れがたいのだと、熱を帯びた手から伝わってくる。

僕はまた彼女を引き寄せ、駅前にあるビジネスホテルにチェックインをした。


「初めて」はロマンチックなシチュエーションを創ることが必要だ。
かつての客が、僕に持論を語っていたのが頭をよぎる。
もっとおしゃれな雰囲気の場所にすれば良かったか。
それともどちらかの家?
でも……少なくとも僕の家では今日はさすがに都合が悪い。

などということが次から次へと頭によぎっては……

「んんっ……」
部屋に入って、すぐに立ったまま始まった繰り返されるキスに、思考を上書きされる。
先ほどのような触れるキスに始まり、お互いの唇を、口の中を味わうキスをする。
そのまま僕は、キスをしながらベッドの方に彼女の体を導く。
そして、ゆっくりとベッドに彼女を横たわらせる。


視線が合う。
潤んだ彼女の瞳に僕が映っている。
彼女が顔を外らせ
「待ってください……」
と言う。
僕はその意味を、これからするはずの行為への拒否だと捉えた。
本当は、彼女を貪り尽くしたいほどに彼女に飢えている。
渇望している。
すぐにでも取り込んでしまいたいほどに。
でも……。
「……やめる……?」
強がりだったとしても、あのキスをした後に彼女に去られるくらいなら、僕の渇望など耐えてみせる。
そう思った。
彼女は、手を自分の顔に当てて
「そうじゃなくて……」
と、顔を隠しながら
「恥ずかしい……」
と、吐息混じりの声を出す。
僕は、彼女の髪を撫でる。
これ以上強く触れてしまうと、壊してしまうのではないかと、怖かった。
「私……あの……」
彼女が、言葉を探している。
セリフを言う時や、演劇について話す時は躊躇いなど一切ないのに。
「ん?何?」
僕は、そんな彼女が初めて見せる顔に、湧き上がる嬉しさが抑えきれない。
彼女の額に、キスを落として、僕は耳元で囁く。
「今更、やめるなんて……もう……言わないで……」
「あの……」
「うん……」
「私……幸せだと……思って良いんでしょうか……」
「そうじゃないと、僕が困る……」

その言葉をきっかけに、僕達は深いキスから始まり、お互いの服を剥ぎ取り、砂漠のようにカラカラに乾いた飢えを少しでも潤すかのように、貪り始める。
心から、彼女に呼びかけたくなる。

今まさに1つになろうとした時
「みなみ……」
初めて、彼女の下の名を呼んでみた。
すると
「ななみ……」
「え?」
「私の名前……本当の……」
「ななみ……」
僕が復唱する。彼女が頷く。
「ななみ……ななみ……」
それからは、狂ったようにただひたすら彼女の名前を呼んだ。
覚えたての言葉に喜ぶ幼児のように。
彼女は、僕によって声にならない声をこぼし続ける。
その声をすべて奪い去りたくて、僕はまた深くキスをする。

その行為は、彼女が気を失って眠りにつくまで繰り返された。
その時は、もう太陽が窓から顔を出していた。
それでも、飢えが収まる気配は……なかった。

例え、彼女の初めてが自分じゃなかったとしても。