Side朔夜

収録が始まるのは、役が決まってから1週間後。
スタジオは、彼女と初めて一緒に行った場所だった。

あれからも、何度かラインを送ってみた。
本当は、収録前にもう少し役作りの相談がしたかった。
でも、それを送ることは、ひどく彼女を傷つけてしまうのでないかと思った。
だから、僕は初めて、彼女が好きそうなスタンプを買って送ってみた。
それに、僕は初めて、彼女が喜びそうな演劇論の本を探して、買って、表紙の写真を撮影して送ってみた。
それでも、既読にはならない。
とうとう、僕は初めてネットの知恵袋の住民の回答も参考にし始めた。

全く違う話題を送ってみたり。
とにかくしばらく時間をおいてみたり。
送信エラーを理由に再送……ということもしてみた。

でも、既読にならない。
もしかしたら、体調を崩してるのでは……。
マネージャーに住所を聞こうとしても、個人情報の関係で教えられないとバッサリ切られた。
そんなのありなのかよ……。

そうこうしているうちに、収録当日が来てしまった。
起きている間は5分に1回、スマホ画面が気になるような状態で、どうやって満足に役作りができると言うのだろう。

僕は、その代償を早速払うことになった。






収録は、先に主役メンバーの掛け合いから行われた。
「おはようございます〜朔夜さん」
と、普段はただ甘ったるいだけの声の大島愛梨と初めて一緒に演技をすることになる。

正直、第1印象が悪かったせいで、大島愛梨の力を甘く見過ぎていた。
スタートは大島愛梨が演じるヒロインのナレーションから始まるのだが……まず空気が変わった。
絵の表情や動きにぴったりと合わせる表現力。そして一度聞けば耳にこびりついてしまう程、華がある声。

彼女の方がずっと上手いし合っていると思っていたが、これがトップになる人間なのか……と、驚かされた。
一方で僕はと言うと……。

「ストップストップ!!」
収録の途中でよく止められてしまう。
「一路くんさぁ……ちゃんと台本読んできた?」
「はい……」
オーディション前に漫画を読んだ後は、ほとんど集中できなく、かろうじて昨日の夜に一夜漬け程度に眺めた程度だったが。
「うーん……やっぱり周りの言うこと聞かないで、別の子にすれば良かったかな」
「えっ……」
どういう意味だ……。
「君さぁ、顔、超いいじゃん?」
「は?」
「つまりさー、君を主役にすれば、イベントでーがっぽがっぽ稼げるからっていうスポンサーの意向があるんだよね」
と、僕に見せつけるかのような大きなため息をついた。
……ということは、僕がこの役に受かったのは……。


「もう、一旦やめやめ!!先にモブ録るから!他の声優も中に入ってもらって!」
音響監督が合図すると、扉が開き、ぞろぞろとたくさんの声優が入ってきた。
男の声優達からは
「こんなのが主役取ったのかよ」
「やっぱり顔が良いって得だよな」
と言いたげな雰囲気を感じた。

「一路!」
音響監督が名指しする。
「お前、外に出て練習してこい。15分で仕上げなければ俺の権限で降板させる」
なっ……!?

「監督!それはまずいですよ……」
原作漫画の出版社の営業担当と名乗った人間が焦っている。
「こんな使えねえやつ主役にして、お前ら自分のアニメ汚されても良いのか!」
「いや、でも……」
「良いか、ここでは俺がルールだ。幸い、ここには代わりになりそうな声優はゴロゴロいるしな」

どうすればいい……。
あと15分で……監督が納得する演技をしなければ、せっかくの役が他のやつに取られる……?

……嫌だ。
今までは、与えられたことすればそれでいいと思っていた。
でも、この役は違う。
初めて、自分の意思で欲しいと思った役なんだ。
絶対に他のやつに取られたくない……!
でも、僕はどうすればいい?

彼女なしで役作りなんて……。
そう思った時だった。

扉が開いて
「おはようございます!」
と入ってきたのは……彼女だった。

「エキストラで急遽呼ばれた、畑野実波です。よろしくお願いします」
深々とお辞儀をしてから、中に入ってくる。
僕と、目が合うか合わないかのところで、僕と彼女はすれ違う。

彼女がいる。
ここで、演技をする……!

「監督、お願いがあります」
僕は監督にこう言った。
きっと、その方が僕の役作りができると思った。

「ここで、見学させてください」
彼女の演技さえ、見ることができれば……。