Side朔夜
スタジオの近くにある、小さなビストロにて、僕と大島愛梨、そして彼女の3人で食事をしていた。
大島愛梨のマネージャーである男性が手配したと言うこのビストロは、どうも行きつけだったらしく、大島愛梨のサインが店にすでに飾られていた。
奥の方にカーテンで仕切られた個室っぽいスペースに4人用の席がある。
上座に大島愛梨が座り、その横に僕。
そして僕の目の前……下座に、彼女という席順に自然となった。
大島愛梨は彼女の存在を疎むどころか、完全にいない存在として扱っていた。
「それでね〜朔夜くん〜私ね〜みんなにいじめられて困ってるの〜」
などと、大島愛梨が何かを話していたとしても、僕はせいぜい「ふーん」と相槌を言うくらいしかできない。それほどまでに、大島愛梨の話には興味が湧かない。
彼女は、ひたすら黙々と、パスタを口に運んでいる。
そして彼女は、時々食べる手を止めて、何かを考えるような仕草をする。
僕は、彼女がどんなことを考えながら、今この場にいるのだろう……ということの方がよっぽど気になった。
大島愛梨は、僕の相槌に気を良くしたのが、どんどん会話の中身がエスカレートしていった。
元彼がどうの、セックスの時がどうのと、よくもまあそう言うことを平気で言えるものだな……。
……本当の地獄を味わっていたら、そんな風に軽く言えるような話ではない。その手の話は。
話だけなら、良い。
終いには、どんどん自分の胸を僕の体に密着させるようになってきた。
このボディタッチは、覚えがある。
この後は自分の部屋にでも連れ込むか、もしくはホテルに行こうと誘う流れだ。
これはまずい。
香水とハウスワインの香りが混ざり合い、具合が悪くなってきた。あの頃を思い出すから。
「ねえ、朔夜くん〜」
もう限界だ。
僕に悪夢を見せるな。
……近づくな!
僕が叫びそうになった、その時。
ガタン。
彼女が急に立ち上がり、僕と大島愛梨を引き剥がす。
「すみません大島さん」
「なっ何よ……!」
「そろそろ事務所に連れて帰らないと、マネージャーに叱られてしまうので、これでお開きでよろしいでしょうか?」
「ええー!やだそんなのー!怒られるのはあんただけでいいじゃない!」
「いえ、マネージャーが気にしているのは、一路朔夜の素行なので」
僕の名前を知ってる……のか?
マネージャーが僕の素行を気にしているという事実よりも、そちらの方がよっぽど驚いたし……嬉しいと思った。
そしてそう思った自分に何より驚いた。
「大変申し訳ありませんが、大島さんも明日もお忙しいと思いますので、これでお開きにしませんか」
「えーやだやだ。朔夜くんと一緒に帰る〜」
「仕方がありませんね……」
そう言うと彼女が携帯を取り出し番号を押す。
「もしもし?大島愛梨さんの事務所ですか?大島さんなんですけど、実は今うちの声優に……」
「ちょっとやめてよ!」
大島愛梨が彼女の携帯を取り上げようとする。
彼女はそれをひらりとかわす。
「お開きにしましょう」
にっこりと微笑む彼女の手の中にある携帯が、ただの待ち受け画面だったことに僕は気づいてしまった。
ビストロの店長が呼んだタクシーで、大島愛梨は帰っていった。
本当は彼女もタクシーに乗せるべきだったのだろうが
「交通費がもったいないので」
と言う理由で却下された。
僕が乗るのは……論外だろう。
そう言うわけで、僕と彼女は、ホームにいる。
1番線と2番線があるホーム。
終電近いため、なかなか電車が来ない。
僕が乗る方面の次の電車まで、あと15分以上。
「あの……」
僕は、オーディションのことを聞いてみたかった。
「どう……でしたか?オーディション」
「……どうって……やるだけのことをやりました」
そしたら、さっき泣いていたのは何でだろう……。
聞くべきか聞かないべきか悩む……と言うことも、今までなかった。
目の前にいる相手について、長い間、知りたいと考える気持ちが芽生えたことがなかった。
「あの……」
今度は彼女から話しかけてきた。
「何?」
「一路さんって、私より年上ですよね」
「そうなんですか?」
確かに、見た目は……20代前半くらいだろうとは思った。
「それに、芸能界は長いと聞きました」
それは……あの時代のことを言っているのだろう。
「誰から聞いたんですか?」
てっきりマネージャーからでも聞いたのだろうと思っていたら
「事務所の人間は全員知っていると思います。一路さんが事務所に入ってきた時、かなり話題になりましたから」
そんな話、聞いたことがなかった。
「そう……だったんだ……」
年下と聞いて、敬語が自然と外れてしまった。
しまった……と思ったが、彼女は特に表情を変えない。
今は能面のような、無表情の彼女が、クルクルと表情と声を変えていろんな人物を演じていたなんて、今でも信じられない。
僕も……もし彼女のようになれたら?
そんな欲が芽生えた時、電車がやってくる。
僕が帰る方向じゃない電車。
彼女が立ち上がる。
反対側に帰っていくという事実が、とても寂しかった。
電車の扉が開く。
彼女は僕に一礼して、電車に飛び乗ろうとした。
僕は彼女の腕を掴んだ。
「なっ、何ですか?」
彼女は僕の腕を、振り払おうとした。真っ赤な顔をしていた。
このまま帰したくない。
「連絡先、教えて」
「いやです」
「どうして」
「教える理由がないからです」
「僕には、君に教えてもらう理由があるよ」
「はい?」
「僕に演技、教えて」
「お断りします」
即答される。
「僕に舐めてるって言ったでしょ。だったらどうすればいいか、君ならわかるよね?」
「私だって……人に教えてる場合じゃ……」
電車の発車メロディが終わる。
電車の扉が閉まりそうになる。
僕は彼女の腕を思いっきり引っ張る。
「きゃっ!」
彼女が僕の胸に寄りかかる。
体温を感じる。
僕の体の奥から、欲が沸き起こる。
電車が発車する。
僕と彼女は、彼女が乗るはずだった電車を見送る。
彼女の次の電車まで、残り15分。
それまでに、どうやって彼女から連絡先を聞き出せばいいのか、考えなくてはいけない。
スタジオの近くにある、小さなビストロにて、僕と大島愛梨、そして彼女の3人で食事をしていた。
大島愛梨のマネージャーである男性が手配したと言うこのビストロは、どうも行きつけだったらしく、大島愛梨のサインが店にすでに飾られていた。
奥の方にカーテンで仕切られた個室っぽいスペースに4人用の席がある。
上座に大島愛梨が座り、その横に僕。
そして僕の目の前……下座に、彼女という席順に自然となった。
大島愛梨は彼女の存在を疎むどころか、完全にいない存在として扱っていた。
「それでね〜朔夜くん〜私ね〜みんなにいじめられて困ってるの〜」
などと、大島愛梨が何かを話していたとしても、僕はせいぜい「ふーん」と相槌を言うくらいしかできない。それほどまでに、大島愛梨の話には興味が湧かない。
彼女は、ひたすら黙々と、パスタを口に運んでいる。
そして彼女は、時々食べる手を止めて、何かを考えるような仕草をする。
僕は、彼女がどんなことを考えながら、今この場にいるのだろう……ということの方がよっぽど気になった。
大島愛梨は、僕の相槌に気を良くしたのが、どんどん会話の中身がエスカレートしていった。
元彼がどうの、セックスの時がどうのと、よくもまあそう言うことを平気で言えるものだな……。
……本当の地獄を味わっていたら、そんな風に軽く言えるような話ではない。その手の話は。
話だけなら、良い。
終いには、どんどん自分の胸を僕の体に密着させるようになってきた。
このボディタッチは、覚えがある。
この後は自分の部屋にでも連れ込むか、もしくはホテルに行こうと誘う流れだ。
これはまずい。
香水とハウスワインの香りが混ざり合い、具合が悪くなってきた。あの頃を思い出すから。
「ねえ、朔夜くん〜」
もう限界だ。
僕に悪夢を見せるな。
……近づくな!
僕が叫びそうになった、その時。
ガタン。
彼女が急に立ち上がり、僕と大島愛梨を引き剥がす。
「すみません大島さん」
「なっ何よ……!」
「そろそろ事務所に連れて帰らないと、マネージャーに叱られてしまうので、これでお開きでよろしいでしょうか?」
「ええー!やだそんなのー!怒られるのはあんただけでいいじゃない!」
「いえ、マネージャーが気にしているのは、一路朔夜の素行なので」
僕の名前を知ってる……のか?
マネージャーが僕の素行を気にしているという事実よりも、そちらの方がよっぽど驚いたし……嬉しいと思った。
そしてそう思った自分に何より驚いた。
「大変申し訳ありませんが、大島さんも明日もお忙しいと思いますので、これでお開きにしませんか」
「えーやだやだ。朔夜くんと一緒に帰る〜」
「仕方がありませんね……」
そう言うと彼女が携帯を取り出し番号を押す。
「もしもし?大島愛梨さんの事務所ですか?大島さんなんですけど、実は今うちの声優に……」
「ちょっとやめてよ!」
大島愛梨が彼女の携帯を取り上げようとする。
彼女はそれをひらりとかわす。
「お開きにしましょう」
にっこりと微笑む彼女の手の中にある携帯が、ただの待ち受け画面だったことに僕は気づいてしまった。
ビストロの店長が呼んだタクシーで、大島愛梨は帰っていった。
本当は彼女もタクシーに乗せるべきだったのだろうが
「交通費がもったいないので」
と言う理由で却下された。
僕が乗るのは……論外だろう。
そう言うわけで、僕と彼女は、ホームにいる。
1番線と2番線があるホーム。
終電近いため、なかなか電車が来ない。
僕が乗る方面の次の電車まで、あと15分以上。
「あの……」
僕は、オーディションのことを聞いてみたかった。
「どう……でしたか?オーディション」
「……どうって……やるだけのことをやりました」
そしたら、さっき泣いていたのは何でだろう……。
聞くべきか聞かないべきか悩む……と言うことも、今までなかった。
目の前にいる相手について、長い間、知りたいと考える気持ちが芽生えたことがなかった。
「あの……」
今度は彼女から話しかけてきた。
「何?」
「一路さんって、私より年上ですよね」
「そうなんですか?」
確かに、見た目は……20代前半くらいだろうとは思った。
「それに、芸能界は長いと聞きました」
それは……あの時代のことを言っているのだろう。
「誰から聞いたんですか?」
てっきりマネージャーからでも聞いたのだろうと思っていたら
「事務所の人間は全員知っていると思います。一路さんが事務所に入ってきた時、かなり話題になりましたから」
そんな話、聞いたことがなかった。
「そう……だったんだ……」
年下と聞いて、敬語が自然と外れてしまった。
しまった……と思ったが、彼女は特に表情を変えない。
今は能面のような、無表情の彼女が、クルクルと表情と声を変えていろんな人物を演じていたなんて、今でも信じられない。
僕も……もし彼女のようになれたら?
そんな欲が芽生えた時、電車がやってくる。
僕が帰る方向じゃない電車。
彼女が立ち上がる。
反対側に帰っていくという事実が、とても寂しかった。
電車の扉が開く。
彼女は僕に一礼して、電車に飛び乗ろうとした。
僕は彼女の腕を掴んだ。
「なっ、何ですか?」
彼女は僕の腕を、振り払おうとした。真っ赤な顔をしていた。
このまま帰したくない。
「連絡先、教えて」
「いやです」
「どうして」
「教える理由がないからです」
「僕には、君に教えてもらう理由があるよ」
「はい?」
「僕に演技、教えて」
「お断りします」
即答される。
「僕に舐めてるって言ったでしょ。だったらどうすればいいか、君ならわかるよね?」
「私だって……人に教えてる場合じゃ……」
電車の発車メロディが終わる。
電車の扉が閉まりそうになる。
僕は彼女の腕を思いっきり引っ張る。
「きゃっ!」
彼女が僕の胸に寄りかかる。
体温を感じる。
僕の体の奥から、欲が沸き起こる。
電車が発車する。
僕と彼女は、彼女が乗るはずだった電車を見送る。
彼女の次の電車まで、残り15分。
それまでに、どうやって彼女から連絡先を聞き出せばいいのか、考えなくてはいけない。