Side朔夜
オーデイション会場というのは、小さなスタジオだった。
大島愛梨という女に謝るためだけに行くのは、正直気分が全く乗らないが、凪波……この時はまだ「畑野」という名字しか知らなかったが……と一緒にいることは、ほんの少し興味があった。
事務所の玄関に集合した時の彼女の格好が、「別人?」とつい声に出してしまうほど、大きく変化していた。
先ほどまではレッスン着で髪の毛も簡単に一つ結びをしていただけだった。
それが、どこにそんな時間があったのか、髪の毛はサラサラストレートに、メイクはしっかりと、マスカラまでつけていて、洋服は清楚なワンピースを着ていた。
後々考えると、その変貌ぶりにギャップを感じただけなのかもしれないが、一気に目を離せなくなった。
「何ですか?」
じっと彼女を見ている僕に、不機嫌そうに反応する。
「あ、なんでもない……で……す……」
「…………もう、行きますけどいいですよね」
僕が頷くと、彼女は風邪予防のマスクをつけ、ヒールを履いている割には早足で歩き始める。僕はそれに続いた。
この時、僕はマスクは持っていなかった。
会場に着くまで、僕達が会話をすることはなかった。
「声かけたらコロス」
と言いたげなオーラをひしひしと感じる。
彼女は電車に乗っている間も、窓を見ながら何かをつぶやいているように、口元のマスクが微かに動いていた。
あれは、セリフを練習しているのだったのだろうか
それとも滑舌のトレーニングだったのだろうか。
マスクで隠された唇がどうなっているのか……。
僕は誰かの口元を、あんなにも意識をしたことはなかった。
スタジオまでは駅から徒歩10分以上のところ。
彼女は地図も見ずに、迷わずに真っ直ぐと突き進む。
きっと、すでに行き慣れている道なのだろう。
彼女のその背中は、僕よりずっと身長が低いはずなのに、大きく見えた。
スタジオに到着すると、ようやく彼女が口を開く。
「ここで待っててください」
と、入り口で待つように指示される。
理由を聞く前に、彼女はスタジオの中に入ってしまう。
「ったく……どうしろって言うんだ……」
そうこうしていると、ものの3分程度で大島愛梨とマネージャーらしきスーツ姿の男が外に出てきた。
大島愛梨は、不自然なまでの笑みを浮かべて僕を見ている。
「しょうがないわね」
は?
開口一番、何をどうすればその言葉に繋がるのだろう。
「私とそんなに食事に行きたいんでしょ?」
……は!?
誰が、いつ、どこでそんな話をした……!?
「愛梨、個室にしとくから羽目は外さないように」
マネージャーらしき男性が大島愛梨に言うと
「わかってるって!」
「あと、自分が未成年なのは自覚するように。くれぐれも酒を頼まないように」
「うるさいなぁ……早く事務所戻って、また私の仕事取ってきなさいよ」
大島愛梨がその男性に命令すると、男性は僕の手をいきなり握ってくる。
「くれぐれも、くれぐれもうちの姫に粗相だけはなさらないように……!」
……誰がするかよ……。
あ、そういえば……オーディションはどうなっているんだろうか……。
「あの……」
「何?」
目をキラキラさせて、大島愛梨が近づいてくる。
やはり香水が臭い……。
「ここでオーディションやってる……んです……よね……」
一瞬タメ口になりそうだったが、またマネージャーから雷を落とされるのはめんどくさいと思ったので、無理やり敬語を付け足した。
「あー形だけのってやつぅ?」
「え?」
「ヒロインの役は、愛梨がなるって初めっから決まってるの」
「……は?」
待てよ……。
じゃあ……彼女は?
「そしたら、今オーディション受けてる声優って……」
僕がそう言うと、大島愛梨が一気に不機嫌丸出しの表情に変わる。
「ああ……さっき私に、朔夜くんが私と食事したがってるって言ってたあの女のこと?」
……なるほど。
彼女がそう言う風に言ったのか。
しかし、ただそう言っただけで、こんな風に態度が一変するものなのだろうか。
そもそも、それを言うだけなら、僕をこんな入り口に置き去りにしなくても良いのでは……。
そう考えていると
「あんな地味で、特徴もない声の子なんか、受かるわけないじゃない。全部私の引き立て役に決まってるでしょ」
大島愛梨がそう言った時だった。
入り口の扉が開き、彼女が戻ってきた。
顔は俯いていた。
「あら?もう終わっちゃったの?」
大島愛梨が、彼女に向かって嫌味ったらしく言う。
彼女は俯いていた顔をあげる。
……目が少し赤い……?
「やれることは、全部やりましたから」
そう言うと、彼女はそのまま帰ろうとした。
チラリと僕の方を見るだけだったが、その時、彼女の目から涙が溢れるのがわかった。
「ねえ朔夜くん〜そろそろご飯食べに行きましょうよ〜」
と大島愛梨が俺の腕を掴む。
その瞬間、僕もまた、彼女の手首を掴んでいた。
彼女の手首の細さに、内心驚きながら
「君も一緒に行かない!?」
それを聞いた彼女と大島愛梨の表情は、きっと内心は全く違うことを思っていたのだろうが、全く同じ顔をしていた。
オーデイション会場というのは、小さなスタジオだった。
大島愛梨という女に謝るためだけに行くのは、正直気分が全く乗らないが、凪波……この時はまだ「畑野」という名字しか知らなかったが……と一緒にいることは、ほんの少し興味があった。
事務所の玄関に集合した時の彼女の格好が、「別人?」とつい声に出してしまうほど、大きく変化していた。
先ほどまではレッスン着で髪の毛も簡単に一つ結びをしていただけだった。
それが、どこにそんな時間があったのか、髪の毛はサラサラストレートに、メイクはしっかりと、マスカラまでつけていて、洋服は清楚なワンピースを着ていた。
後々考えると、その変貌ぶりにギャップを感じただけなのかもしれないが、一気に目を離せなくなった。
「何ですか?」
じっと彼女を見ている僕に、不機嫌そうに反応する。
「あ、なんでもない……で……す……」
「…………もう、行きますけどいいですよね」
僕が頷くと、彼女は風邪予防のマスクをつけ、ヒールを履いている割には早足で歩き始める。僕はそれに続いた。
この時、僕はマスクは持っていなかった。
会場に着くまで、僕達が会話をすることはなかった。
「声かけたらコロス」
と言いたげなオーラをひしひしと感じる。
彼女は電車に乗っている間も、窓を見ながら何かをつぶやいているように、口元のマスクが微かに動いていた。
あれは、セリフを練習しているのだったのだろうか
それとも滑舌のトレーニングだったのだろうか。
マスクで隠された唇がどうなっているのか……。
僕は誰かの口元を、あんなにも意識をしたことはなかった。
スタジオまでは駅から徒歩10分以上のところ。
彼女は地図も見ずに、迷わずに真っ直ぐと突き進む。
きっと、すでに行き慣れている道なのだろう。
彼女のその背中は、僕よりずっと身長が低いはずなのに、大きく見えた。
スタジオに到着すると、ようやく彼女が口を開く。
「ここで待っててください」
と、入り口で待つように指示される。
理由を聞く前に、彼女はスタジオの中に入ってしまう。
「ったく……どうしろって言うんだ……」
そうこうしていると、ものの3分程度で大島愛梨とマネージャーらしきスーツ姿の男が外に出てきた。
大島愛梨は、不自然なまでの笑みを浮かべて僕を見ている。
「しょうがないわね」
は?
開口一番、何をどうすればその言葉に繋がるのだろう。
「私とそんなに食事に行きたいんでしょ?」
……は!?
誰が、いつ、どこでそんな話をした……!?
「愛梨、個室にしとくから羽目は外さないように」
マネージャーらしき男性が大島愛梨に言うと
「わかってるって!」
「あと、自分が未成年なのは自覚するように。くれぐれも酒を頼まないように」
「うるさいなぁ……早く事務所戻って、また私の仕事取ってきなさいよ」
大島愛梨がその男性に命令すると、男性は僕の手をいきなり握ってくる。
「くれぐれも、くれぐれもうちの姫に粗相だけはなさらないように……!」
……誰がするかよ……。
あ、そういえば……オーディションはどうなっているんだろうか……。
「あの……」
「何?」
目をキラキラさせて、大島愛梨が近づいてくる。
やはり香水が臭い……。
「ここでオーディションやってる……んです……よね……」
一瞬タメ口になりそうだったが、またマネージャーから雷を落とされるのはめんどくさいと思ったので、無理やり敬語を付け足した。
「あー形だけのってやつぅ?」
「え?」
「ヒロインの役は、愛梨がなるって初めっから決まってるの」
「……は?」
待てよ……。
じゃあ……彼女は?
「そしたら、今オーディション受けてる声優って……」
僕がそう言うと、大島愛梨が一気に不機嫌丸出しの表情に変わる。
「ああ……さっき私に、朔夜くんが私と食事したがってるって言ってたあの女のこと?」
……なるほど。
彼女がそう言う風に言ったのか。
しかし、ただそう言っただけで、こんな風に態度が一変するものなのだろうか。
そもそも、それを言うだけなら、僕をこんな入り口に置き去りにしなくても良いのでは……。
そう考えていると
「あんな地味で、特徴もない声の子なんか、受かるわけないじゃない。全部私の引き立て役に決まってるでしょ」
大島愛梨がそう言った時だった。
入り口の扉が開き、彼女が戻ってきた。
顔は俯いていた。
「あら?もう終わっちゃったの?」
大島愛梨が、彼女に向かって嫌味ったらしく言う。
彼女は俯いていた顔をあげる。
……目が少し赤い……?
「やれることは、全部やりましたから」
そう言うと、彼女はそのまま帰ろうとした。
チラリと僕の方を見るだけだったが、その時、彼女の目から涙が溢れるのがわかった。
「ねえ朔夜くん〜そろそろご飯食べに行きましょうよ〜」
と大島愛梨が俺の腕を掴む。
その瞬間、僕もまた、彼女の手首を掴んでいた。
彼女の手首の細さに、内心驚きながら
「君も一緒に行かない!?」
それを聞いた彼女と大島愛梨の表情は、きっと内心は全く違うことを思っていたのだろうが、全く同じ顔をしていた。