Side朔夜
自分を巡って、女同士が睨み合うということはよくあった。
でもまさか、自分が女に睨まれる日が来るなんて……正直この時は予想すらできなかった。それ程までに「女」という生き物に対して麻痺してしたのかもしれないが。
僕がどう返事をしようか考えている間に、凪波はあっという間に走っていった。
「何あれ、感じ悪っ」
後ろから、ヒロイン役の声優が声かけてきた。
名前は、よく覚えていないが、甘ったるい猫撫で声で自分の耳元で話されるのが酷く不快だったのは覚えている。
「あの女、自分が売れてないからって八つ当たりするなんて、サイテー」
「……あれ、誰?」
つい、聞いてしまった。
これまで、自分から女のことを誰かに聞いたことなんて……ここ10年程はなかった気がする。
「えーそんなに知りたいのぉ?」
勿体ぶるように腰をくねらせて
「ねえ、朔夜君って言うんでしょ?この後二人きりで演技の話でもしない?」
そいつは、僕の腕に自分の腕を絡ませ、ささやいてきた。
人工的な香水の臭いにむせそうになる。
僕は、そいつの腕を払い、満面の笑みで
「消えてくれないかな?ウザイ」
と言い放ってしまった。
これが次の日大問題になって、僕をスカウトしたマネージャーからカンカンに怒られた。
昨日絡まれたヒロイン役だった女は、大島愛梨という名前で、今人気急上昇中のトップ声優の一人らしく、最近では数多くのヒロイン役のオーディションを総なめにしているとのことで……。
「あんたバカなの!!?大島愛梨の事務所に睨まれたら、声優界干されるのよ!?」
そんなこと言われても、知る由もない。
「早速彼女の事務所からクレームがあったわ。あんたとの共演はNGだって。せっかくこの私が、どうにかねじ込んであげたっていうのに……」
そんなこと言われても……以下略。
僕が黙っていると、マネージャーの苛立ちが頂点に来たのか
「とっとと謝ってきなさい!!」
と雷が落ちた。
謝るって言っても、どうしろって言うんだ……。
事務所の外で、僕はあの日常の中で覚えたタバコを咥えて、煙を蒸す。
煙が空気に溶けていくのを見ながら、空の雲を眺めていると
「拙者親方と申すは……」
どこかからか、外郎売をものすごい早口で練習をしている声が聞こえる。
外郎売は、声優の基礎だから叩き込め、とマネージャーに言われたので、一通りは覚えている。
だが、この声の主は、ただ覚えているだけじゃない。
聞いているだけで、僕でさえ情景が浮かぶような言い回し。
いくら声優のことをまだ知らない僕でさえも、その技術がすごいのは分かる。
一体誰がやっているのだろう。
声がする方に進むと、外郎売から別の内容に変わる。
「……他にも誰かいるのか……?」
子供、大人の女性、おばあさん、動物の声まで、クルクルとセリフと登場人物が変わる。
少なくとも5人はいるのだろうか……。
興味本位で、声が聞こえてきた、建物の裏を覗き込むと……。
「嘘だろ……」
たった一人の女が、コロコロと声色と演技を変えて、持っている台本の中の物語を演じている。
この間僕に「舐めないでくれませんか?」と言ってきた女だ。
僕は、しばらくその演技に見惚れていた。
正直いえば、この時まで僕は、ただセリフを適当に言われた通りに読めば、それで十分だと思っていた。
実際それで、どうにかなっていたのだから。
でも……。
かさり。
夢中になっているあまり、足元に転がっていた紙のゴミを踏んで音を出してしまう。
演技が止まる。
驚いた表情でこちらを見る。
だんだんと苦い表情に変化する。
あの時とは違うけれど、少なくとも僕は好意的には思われていないことがよく分かる。
「あの……」
僕が口を開く前に、女がその場から立ち去ろうと、近くに置いてあったらしい、ぼろぼろのリュックに台本を押し込むように入れる。
その時だった。
「あー!!!見つけた!!!」
げっ。
マネージャーがこちらに向かって走ってくる。
僕は嫌な予感がして逃げようとするが、あっさりと捕まる。
そして、マネージャーは僕ではなく
「おい畑野。お前がこれからいくオーディション、大島愛梨もくるから」
ピクリと、女の表情が小さく動く。
「こいつ連れて行って、大島愛梨と事務所の人間に謝らせてくれない?」
「なんで私が……」
「頼むよ、同じオーディション呼ばれてるの、畑野だけなんだよ……」
女は僕の方をチラと見て、見せつけるように大きなため息をつく。
「私の邪魔だけは、させないでください」
そう言うと、女は僕に
「15分後に事務所のドア集合。遅れたら置いていくから」
そう告げると、足早に立ち去っていった。
これが、僕と凪波の2度目の出会い。
まだこの時は「畑野」と言う名字しか知らなかったけれど。
ちなみにその後、僕が「凪波」という名前を彼女から教えてもらうのに、かなりの時間がかかった。
自分を巡って、女同士が睨み合うということはよくあった。
でもまさか、自分が女に睨まれる日が来るなんて……正直この時は予想すらできなかった。それ程までに「女」という生き物に対して麻痺してしたのかもしれないが。
僕がどう返事をしようか考えている間に、凪波はあっという間に走っていった。
「何あれ、感じ悪っ」
後ろから、ヒロイン役の声優が声かけてきた。
名前は、よく覚えていないが、甘ったるい猫撫で声で自分の耳元で話されるのが酷く不快だったのは覚えている。
「あの女、自分が売れてないからって八つ当たりするなんて、サイテー」
「……あれ、誰?」
つい、聞いてしまった。
これまで、自分から女のことを誰かに聞いたことなんて……ここ10年程はなかった気がする。
「えーそんなに知りたいのぉ?」
勿体ぶるように腰をくねらせて
「ねえ、朔夜君って言うんでしょ?この後二人きりで演技の話でもしない?」
そいつは、僕の腕に自分の腕を絡ませ、ささやいてきた。
人工的な香水の臭いにむせそうになる。
僕は、そいつの腕を払い、満面の笑みで
「消えてくれないかな?ウザイ」
と言い放ってしまった。
これが次の日大問題になって、僕をスカウトしたマネージャーからカンカンに怒られた。
昨日絡まれたヒロイン役だった女は、大島愛梨という名前で、今人気急上昇中のトップ声優の一人らしく、最近では数多くのヒロイン役のオーディションを総なめにしているとのことで……。
「あんたバカなの!!?大島愛梨の事務所に睨まれたら、声優界干されるのよ!?」
そんなこと言われても、知る由もない。
「早速彼女の事務所からクレームがあったわ。あんたとの共演はNGだって。せっかくこの私が、どうにかねじ込んであげたっていうのに……」
そんなこと言われても……以下略。
僕が黙っていると、マネージャーの苛立ちが頂点に来たのか
「とっとと謝ってきなさい!!」
と雷が落ちた。
謝るって言っても、どうしろって言うんだ……。
事務所の外で、僕はあの日常の中で覚えたタバコを咥えて、煙を蒸す。
煙が空気に溶けていくのを見ながら、空の雲を眺めていると
「拙者親方と申すは……」
どこかからか、外郎売をものすごい早口で練習をしている声が聞こえる。
外郎売は、声優の基礎だから叩き込め、とマネージャーに言われたので、一通りは覚えている。
だが、この声の主は、ただ覚えているだけじゃない。
聞いているだけで、僕でさえ情景が浮かぶような言い回し。
いくら声優のことをまだ知らない僕でさえも、その技術がすごいのは分かる。
一体誰がやっているのだろう。
声がする方に進むと、外郎売から別の内容に変わる。
「……他にも誰かいるのか……?」
子供、大人の女性、おばあさん、動物の声まで、クルクルとセリフと登場人物が変わる。
少なくとも5人はいるのだろうか……。
興味本位で、声が聞こえてきた、建物の裏を覗き込むと……。
「嘘だろ……」
たった一人の女が、コロコロと声色と演技を変えて、持っている台本の中の物語を演じている。
この間僕に「舐めないでくれませんか?」と言ってきた女だ。
僕は、しばらくその演技に見惚れていた。
正直いえば、この時まで僕は、ただセリフを適当に言われた通りに読めば、それで十分だと思っていた。
実際それで、どうにかなっていたのだから。
でも……。
かさり。
夢中になっているあまり、足元に転がっていた紙のゴミを踏んで音を出してしまう。
演技が止まる。
驚いた表情でこちらを見る。
だんだんと苦い表情に変化する。
あの時とは違うけれど、少なくとも僕は好意的には思われていないことがよく分かる。
「あの……」
僕が口を開く前に、女がその場から立ち去ろうと、近くに置いてあったらしい、ぼろぼろのリュックに台本を押し込むように入れる。
その時だった。
「あー!!!見つけた!!!」
げっ。
マネージャーがこちらに向かって走ってくる。
僕は嫌な予感がして逃げようとするが、あっさりと捕まる。
そして、マネージャーは僕ではなく
「おい畑野。お前がこれからいくオーディション、大島愛梨もくるから」
ピクリと、女の表情が小さく動く。
「こいつ連れて行って、大島愛梨と事務所の人間に謝らせてくれない?」
「なんで私が……」
「頼むよ、同じオーディション呼ばれてるの、畑野だけなんだよ……」
女は僕の方をチラと見て、見せつけるように大きなため息をつく。
「私の邪魔だけは、させないでください」
そう言うと、女は僕に
「15分後に事務所のドア集合。遅れたら置いていくから」
そう告げると、足早に立ち去っていった。
これが、僕と凪波の2度目の出会い。
まだこの時は「畑野」と言う名字しか知らなかったけれど。
ちなみにその後、僕が「凪波」という名前を彼女から教えてもらうのに、かなりの時間がかかった。