Side朔夜
もともと、僕は自分から声優という職業を目指したわけではなかった。
施設にいたこともあり、高校は定時制。
昼間は、「食べてみたかった」ファーストフード店でアルバイトをしていた。
やっと自分で自由に使えるお金が増える。
最初は、それくらいしか考えていなかった。
賄いで食べる憧れだったファーストフードも、美味しかった。
覚えることもたくさんあった。
レジやフライヤーなど、今まで触れたことのない機械を触ることが面白かった。
自分が組み合わせた食べ物を客が買うという体験は、自分がちゃんと世の中に役に立つんだな、ということを実感させた。
ところが。
ある時から女の客が、僕の勤務時間に何度もドリンクだけを頼みに来るようになった。
最初は1人だった。こんなにコーヒーばかり頼むなんて、物好きだな……くらいにしか思わなかったが、その女は、僕以外が接客することを拒むようになっていた。
「おい、大丈夫か?」
と最初店長は心配してくれていた。
それから、徐々に、そういう女たちが1人、2人、5人、10人と増えていった。
終いには、僕がシフトに入るのを朝から出待ちするような集団が現れ、自称彼女も増殖していった。
初めて自分の給料で買った携帯電話にも、どこから漏れたのか知らない女達からの誘いのメールがびっしり入っていた。
そうこうしているうちに、乱闘騒ぎまで店内で起きた。
「一路君は私のものよ!」
「私が目をつけてやったんだから、私のものよ!」
という、当人を置き去りにした騒ぎになり、警察沙汰になった。
挙げ句の果てに店長からは
「君が来ると店が潰れる」
という理由で辞めさせられた。
次のバイト先に選んだのはピザの配達員。
バイクの免許はかろうじて前のバイトのお金で取ることができたので、それを生かせる仕事を選んだ。
これなら、仕事はピザを運ぶだけだし、ヘルメットもかぶっているから顔も見えない。声もほとんど出さなくていい。
いける、と思った。
だけど、前のファーストフード店に来ていた女たち、どうやったのかはわからないが、僕のアルバイト先を突き止めてしまい、ある時から店に女達がたむろするようになった。
それからは、また乱闘騒ぎが起きて、店長からはクビ。
次の仕事場を見つけなくては……でも一体どうしたらいいんだろう……。
などと思いながら、ぼーっと原宿を歩いている時だった。
「君さ、2.5次元の舞台に興味がない?」
と、明らかに怪しい、サングラスのおっさんに声かけられた。
僕は、この時イライラしていた。
「舞台なんか、金持ちの道楽だろうが」
「違うよ、君が見るんじゃなくて、君が、出るんだよ」
僕が、舞台に出る……?
それは、芸能人になるということか?
「興味がないんで」
早口で断りを入れて、この場から立ち去ろうとしたが
「君なら、ちょっと頑張れば億は稼げるんじゃないかな」
僕はその言葉を聞いて足を止めた。
「そんなに、稼げるもんなのか?」
僕がそういうと、サングラスのおっさんは
「あんた、かなりの女を、その顔に惚れさせたね」
と、僕の顔をまじまじと、品定めをするように言う。
「そんなの、あんたには関係ないでしょ」
「ほら図星!あんた、すごい宝持って生まれたのね。親に感謝しなさいな」
「……別に親いないし」
「そうなんだ?じゃあ、余計にお金が欲しいよね」
そう言うと男は5cmほどの1万円札の束を懐から出して、僕に握らせ、そしてこう言った。
「悪いようにはしない。どう?僕の事務所にこない?君は必ず、大金を稼げるスターになれる」
どうせまた他のアルバイトをしても、また同じようにクビになるくらいなら、やってみても悪くない。
そう思ったので、おっさんの事務所に入ることにした。
それからすぐ、施設は出て、一人暮らしを始めた。
定時制の高校もやめた。
これが、自分だけの本当の人生の始まりだと思っていた。
でも、これは地獄の始まりだった。
入る仕事は全部女性向けの2.5次元の舞台。
来る日も来る日も、レッスンをして、舞台に出て、ファンサービスをする。
それだけならまだ良い。
この事務所にはもう1個裏の顔があった。
それは、金持ちのマダム相手のママ活を事業としている組織としての顔
仮面をつけたマダム達と、高層マンションの秘密の部屋で、マダム達の要求にただひたすら応え続けると言う仕事。
容姿がダントツに良いと言われた僕は、あっという間にその組織にとっての「高級品」として扱われることになる。
この仕事で僕は、ファーストキスを奪われ、童貞を奪われた。
尊厳は、奪われ続けた。
……金は結局、普通のアパートで一人暮らしするのがやっとな分しか僕はもらえず、事務所の立地が、高級な場所に変わった。
生き地獄、だった。
裸にされ、舐められ、心まで剥ぎ取られた。
それでいて相手の欲望に忠実に応えさせられる日々。
限界が近づいていたのがわかった。
そんな中、僕はある有名アニメの2.5次元の主役のオーディションに合格することになる。
30歳に、もうすぐなろうとしていた。
その舞台に出たおかげで、そのアニメの主演声優が所属している事務所のマネージャーから「声優」としてのスカウトを受けることになる。
「あなたの声は素晴らしい。絶対いい声優になる。私たちと一緒に世界を目指さない?」
かつて原宿で聞いた言葉で、地獄の始まり。
それとほとんど同じセリフで、最初はものすごく警戒した。
でも、今の環境から抜け出せるならと、僕はすがる思いでそのマネージャーの手を取った。
凪波との出会いについては、それから間も無く。
僕は、声優としての訓練はしないまま、ある作品のメインキャストの一人として仕事をすることになる。
そこで、僕は僕なりに演技をしたつもりだった。
実際、音響監督や周囲の先輩には
「初めての割にはうまいな」と褒められたので、僕は気分が良かった。
でも、その日の帰り道のこと。
「あの、あんまり声の演技、舐めないでくれませんか?いい迷惑なんで」
と、ある女に睨みつけられた。
その女こそが、凪波だった。
もともと、僕は自分から声優という職業を目指したわけではなかった。
施設にいたこともあり、高校は定時制。
昼間は、「食べてみたかった」ファーストフード店でアルバイトをしていた。
やっと自分で自由に使えるお金が増える。
最初は、それくらいしか考えていなかった。
賄いで食べる憧れだったファーストフードも、美味しかった。
覚えることもたくさんあった。
レジやフライヤーなど、今まで触れたことのない機械を触ることが面白かった。
自分が組み合わせた食べ物を客が買うという体験は、自分がちゃんと世の中に役に立つんだな、ということを実感させた。
ところが。
ある時から女の客が、僕の勤務時間に何度もドリンクだけを頼みに来るようになった。
最初は1人だった。こんなにコーヒーばかり頼むなんて、物好きだな……くらいにしか思わなかったが、その女は、僕以外が接客することを拒むようになっていた。
「おい、大丈夫か?」
と最初店長は心配してくれていた。
それから、徐々に、そういう女たちが1人、2人、5人、10人と増えていった。
終いには、僕がシフトに入るのを朝から出待ちするような集団が現れ、自称彼女も増殖していった。
初めて自分の給料で買った携帯電話にも、どこから漏れたのか知らない女達からの誘いのメールがびっしり入っていた。
そうこうしているうちに、乱闘騒ぎまで店内で起きた。
「一路君は私のものよ!」
「私が目をつけてやったんだから、私のものよ!」
という、当人を置き去りにした騒ぎになり、警察沙汰になった。
挙げ句の果てに店長からは
「君が来ると店が潰れる」
という理由で辞めさせられた。
次のバイト先に選んだのはピザの配達員。
バイクの免許はかろうじて前のバイトのお金で取ることができたので、それを生かせる仕事を選んだ。
これなら、仕事はピザを運ぶだけだし、ヘルメットもかぶっているから顔も見えない。声もほとんど出さなくていい。
いける、と思った。
だけど、前のファーストフード店に来ていた女たち、どうやったのかはわからないが、僕のアルバイト先を突き止めてしまい、ある時から店に女達がたむろするようになった。
それからは、また乱闘騒ぎが起きて、店長からはクビ。
次の仕事場を見つけなくては……でも一体どうしたらいいんだろう……。
などと思いながら、ぼーっと原宿を歩いている時だった。
「君さ、2.5次元の舞台に興味がない?」
と、明らかに怪しい、サングラスのおっさんに声かけられた。
僕は、この時イライラしていた。
「舞台なんか、金持ちの道楽だろうが」
「違うよ、君が見るんじゃなくて、君が、出るんだよ」
僕が、舞台に出る……?
それは、芸能人になるということか?
「興味がないんで」
早口で断りを入れて、この場から立ち去ろうとしたが
「君なら、ちょっと頑張れば億は稼げるんじゃないかな」
僕はその言葉を聞いて足を止めた。
「そんなに、稼げるもんなのか?」
僕がそういうと、サングラスのおっさんは
「あんた、かなりの女を、その顔に惚れさせたね」
と、僕の顔をまじまじと、品定めをするように言う。
「そんなの、あんたには関係ないでしょ」
「ほら図星!あんた、すごい宝持って生まれたのね。親に感謝しなさいな」
「……別に親いないし」
「そうなんだ?じゃあ、余計にお金が欲しいよね」
そう言うと男は5cmほどの1万円札の束を懐から出して、僕に握らせ、そしてこう言った。
「悪いようにはしない。どう?僕の事務所にこない?君は必ず、大金を稼げるスターになれる」
どうせまた他のアルバイトをしても、また同じようにクビになるくらいなら、やってみても悪くない。
そう思ったので、おっさんの事務所に入ることにした。
それからすぐ、施設は出て、一人暮らしを始めた。
定時制の高校もやめた。
これが、自分だけの本当の人生の始まりだと思っていた。
でも、これは地獄の始まりだった。
入る仕事は全部女性向けの2.5次元の舞台。
来る日も来る日も、レッスンをして、舞台に出て、ファンサービスをする。
それだけならまだ良い。
この事務所にはもう1個裏の顔があった。
それは、金持ちのマダム相手のママ活を事業としている組織としての顔
仮面をつけたマダム達と、高層マンションの秘密の部屋で、マダム達の要求にただひたすら応え続けると言う仕事。
容姿がダントツに良いと言われた僕は、あっという間にその組織にとっての「高級品」として扱われることになる。
この仕事で僕は、ファーストキスを奪われ、童貞を奪われた。
尊厳は、奪われ続けた。
……金は結局、普通のアパートで一人暮らしするのがやっとな分しか僕はもらえず、事務所の立地が、高級な場所に変わった。
生き地獄、だった。
裸にされ、舐められ、心まで剥ぎ取られた。
それでいて相手の欲望に忠実に応えさせられる日々。
限界が近づいていたのがわかった。
そんな中、僕はある有名アニメの2.5次元の主役のオーディションに合格することになる。
30歳に、もうすぐなろうとしていた。
その舞台に出たおかげで、そのアニメの主演声優が所属している事務所のマネージャーから「声優」としてのスカウトを受けることになる。
「あなたの声は素晴らしい。絶対いい声優になる。私たちと一緒に世界を目指さない?」
かつて原宿で聞いた言葉で、地獄の始まり。
それとほとんど同じセリフで、最初はものすごく警戒した。
でも、今の環境から抜け出せるならと、僕はすがる思いでそのマネージャーの手を取った。
凪波との出会いについては、それから間も無く。
僕は、声優としての訓練はしないまま、ある作品のメインキャストの一人として仕事をすることになる。
そこで、僕は僕なりに演技をしたつもりだった。
実際、音響監督や周囲の先輩には
「初めての割にはうまいな」と褒められたので、僕は気分が良かった。
でも、その日の帰り道のこと。
「あの、あんまり声の演技、舐めないでくれませんか?いい迷惑なんで」
と、ある女に睨みつけられた。
その女こそが、凪波だった。