Side朔夜

オフィスはプレハブで作られていたが、中はドラマで見たことがあるような空間になっていた。
デスクは4人分。パソコンは最新型で、ウォーターサーバーもある。
芸能人のサインも壁にいくつか貼ってあり、賞もいくつか受賞したのか、トロフィーも置かれている。
さすが、今話題の農園といったところか……。

業務エリアと応接間はパーテーションで仕切られている簡単なものだった。
ガラス製のローテーブルとL字タイプの黒いレザーソファは、一目見ただけで「特別良いもの」を使っているのが分かる。

これが、海原朝陽。
ネットで話題の若手社長。そして凪波の……。
これ以上は考えると唇を噛んでしまいそうだったので、思考を切り替える。

ちらと奥を見ると、カラフルなジョイントマットが敷かれ、電車や車のおもちゃ、絵本が入っているおもちゃ箱が隅の方にこじんまりと置かれていた。
なんとなく、車のおもちゃに触れようとしたその時、
「そこ、気になるのか?」
海原が聞いてきた。
「いや、別に」
僕はすぐに手を引っ込める。
「スタッフの中にシングルマザーがいてな、そいつが子供連れて仕事できるようにしたんだ」
特に聞いてもいないのに、よく、ぺらぺらとしゃべる。
自分がいかに有能なのか、見せつけようとしているのか?
「座れよ」
海原が、お湯に紅茶のティーバッグを入れた紙コップをローテーブルに置く。
僕と海原は対角線上になるように腰掛けた。

カップからは湯気が立っている。

「……」
「……」
さて、どう切り出そうか。
本題は「凪波」。
何故、凪波が僕以外の男のためにウエディングドレスを着る羽目になっているのか。
何故、凪波は僕を知らない人のように振る舞うのか。

その原因は、一体誰なのか。
もし、目の前にいるこの男が、凪波に何かをしたとしたら……。
そのせいで、凪波が僕にあんなことを言ったのだとしたら……。

ホームでの凪波の言葉を思い出すと、胸が張り裂けそうになる。

「私のこと、知っていらっしゃるんですか?」
「……もしかして、声優さんですか?」

……そんなの、君が誰よりもよく知っているじゃないか。
その理由を、目の前にいるこの男は間違いなく知っている。
手を膝の上に置いて、握り拳を作る。
そうしないと、僕はこの男掴みかかりそうになる。
僕は、ゆっくり腹式呼吸を1度した。
本番前にリラックスするには、腹式呼吸が良いと、凪波が言っていたから。
そして、海原を見た。

海原は俯き。腕を組んでいた。

「……」
「……」

無言が続く。
どちらから先に話すかの、探り合い状態になった。
それから海原は貧乏ゆすりを始めた。
苛立っているのがひしひしと伝わる。

そちらから聞かないなら、僕から聞くよ。

「凪波は、何故僕のことを知らないふりをしているんだ?」
核心をついた質問を、ストレートにぶつける。
海原は、頭をがしがしっと掻きむしりながら
「ふりじゃねえよ。本当に知らねえんだ」
「は?」
そんな馬鹿な……。
「そもそも、あんたが探している凪波は、本当にあいつなのか?……あんた、イケメンだし……もっと美人の彼女だったんじゃないか。ほら、あいつお世辞にも美人ってわけじゃ」
「愚弄するのはやめてくれないか」
「でも、やっぱり信じられねえよ!あんた……超有名人だし……凪波なんかに釣り合うわけ……」
「君は、仮にも……仮にも、だ……自分の女房だと言った凪波のことを、そんな風に言うのか」
「そうじゃねえよ!……ああっくそ……言いたいのはこれじゃねえ……」
海原の貧乏ゆすりがますますひどくなっている。
「……あんた……凪波と、いつ……どこで……知り合ったんだ」
「……は?」
「良いから答えろ!」
海原が声を荒げる。
僕は、しぶしぶ答える。
「……5年前に……」
「どこで!?」

海原の様子がおかしい。
「おい、答えろ!一路朔夜!!」
一体、こいつは、僕から何を聞きたいと言うのか。
海原は僕の肩を掴み揺さぶり続ける。

「おい!どこで会ったっていうんだ!」
「……東京……の……吉祥寺……」
欲しかった答えを聞き出せたのだろう、海原は視線を宙に浮かせながら
「そうか……あいつ……東京に……いたのか……やっぱり……そうか……」
力が抜けたように、ため息まじりの声でつぶやいた。

僕は、その間に肩に置かれた海原の手を払いながら
「それより、僕が聞きたいのは、凪波が僕のことを知らないふりをしているのか、だ。……君の指示か?」

いっそそうであって欲しい。
そうすれば、目の前にいるこの男を憎み、この男から凪波を奪い去るだけで済むのだから。
「……あれが、指示してできるように見えるのか?」
海原の声のトーンが、急に下がったのがわかった。