Side朝陽

よりによって自分の家に連れて行こうとしてしまったのか……。
公園とか……いっそのこと、山でもよかったではないか。
でも、この男には、聞きたいことが山ほどあった。
それを全て聞き出すには、多くの時間がかかる。
そんな長い間、凪波もいるのに外というのはさすがにいただけない。

百歩譲って、自分が、ちょっと一路朔夜という声優のファンだったから……とか、そういうことでは、断じてない。

先ほどの凪波の電話の様子は、気になった。
また、おばさんから嫌なことを言われたのだろう。
次会った時、多少の小言は覚悟する必要はあるだろう。

見慣れた看板が見えた。
もうすぐ左折したら、凸凹の一本道。運転を間違えると田んぼにタイヤが取られてしまう。
ここから先は、集中しなくてはいけない。
例え、今この車の中の空気が、自分にとって都合が悪いものだとしても、凪波を助手席に座らせている責任は全うしなくてはならない。

俺の車に乗る時、凪波はどこか緊張の面持ちをしていることが多かった。
もしかして臭いがだめだろうか。
それとも、車に乗るのがそもそも苦手だったろうか。
……そう言えば、車に乗る時は必ず酔い止めを飲んでいた……今度車に常備しておこう。

実は凪波が見つかった後、すぐに車を買い替えた。
前の車は父親から譲り受けたもので、シートはぼろぼろ。
思い入れがある車だし、操作慣れはしているから、買い物など簡単な用事の時はその車を使うが、凪波を乗せる時はこの、最新型のナビと最新型の安全設備が揃っている車を使っている。
前の車とは、操作性がまるで違う。
もし、凪波を乗せて事故に遭ったらどうする……。
そう思っていたので、俺は納車されてからすぐ、夜凪波を連れて行く可能性が高い場所を、いくつか巡る練習をしていた。駅前の設備や大型ショッピングモールは、一通り制覇して、自信がついてから、凪波を乗せ始めた。

練習の最後には藤岡や藤岡の息子の葉にも付き合ってもらった。
「これが自分のためじゃないのが寂しいけど」
と藤岡に言われた時は、さすがに悪いことをしたと思ったが
「あさひー!ブーブー!!ブーブー!」
と、目をキラキラさせて興奮気味に自分が知っている限りの語彙で喜びを伝えてくれた葉に救われた。

もし、凪波との子ができたら、この車でたくさんドライブをして、いろんなことを経験させてやりたい。
もしも男の子だったら、葉のようにこの車に乗ることを楽しんでくれるだろうか。
そして、凪波は俺と子供を見守りながら、笑ってくれるだろうか。

でも、凪波は、この車に乗る時はちっとも笑顔になってくれない。
前も、会話を振っても「うん……」と空返事をしたかと思うと窓の向こう側を見ている。
この車に興味がないのだろうか
それとも単に窓の外を見るのが好きなだけ?

空気が変わったのは、ある曲が流れてから。
ついこの間、ランキング入りした一路朔夜……後ろにいる男が出したシングル曲。
愛する女への一途な気持ちを歌詞にしていたとのことで、朝のニュースで取り上げられていた。
あるコメンテーターの女性が「こんな風に想われて、堕ちない女性なんていないですよね」と言うと「はい。僕にとって愛する女とは……みなさんですから」ということを言っていた。

その時は「絶対こういうやつは女の一人や二人はいるだろう」何都合のいいこと思ってるんだ、くらいにしか思っていなかったが、まさか、この歌詞の本当の相手が凪波だと言うのか?

バックミラーを見る。
一路朔夜が助手席……凪波を見ている。
助手席を見る。
凪波が、一路朔夜を見ていた。
見つめ合っている。この車にいる凪波が、初めて見せた興味かもしれない。
凪波が急いで会釈をして急いで窓を見る。

急いで会釈をする。
これは凪波が、照れた時に無意識にする行動。

俺は、アクセルを一気に踏み込んだが、安全装置のおかげで急にスピードは上がらずゆっくり上がる。
白線を踏むとハンドルにバイブレーション。
はっと気づき、アクセルからブレーキペダルに足を戻し、今度は丁寧に押す。

この二人の空気を「気のせい」だと無理矢理思い込むことにして、ハンドルを回す。

間も無く、車を止める。
この二人の間の空気を、断ち切ってみせる。