Side朔夜

急にガクンっと車が止まる。
山田さんがブレーキペダルを踏んだのは目に入った。
僕は車には興味を持てなかったし、必要もなかったから、免許は持っていない。
僕が出たドラマでは、急ブレーキ後の車は暴走を起こすことが多かったから、シンプルに驚いた。

「肝を冷やしました」

涼しい顔で山田さんは僕に振り向く。
口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。
全く感情の機微を見せなかった男の皮が、少し剥がせたような気がした。

「せっかく、あなたの仕事場まで送って差し上げようと思ったのに。もう間に合いませんよ」

山田さんは、使用人がつけるには高級すぎる腕時計をこれ見よがしに僕に見せつけながら話す。

「今は……演技なんかしている場合じゃない。早く僕を悠木のところに戻してくれ。出なければ」


僕は車の扉に手をかけ

「ここからは、僕1人で行く」

そう言いながら、車の扉を開けようとした。
……びくともしなかった。


「一路様。失礼ですが……少々天然だと……言われたことは?」
「……どうでも良いだろう」
「そうですね。あなたにとってはきっと、どうでも良いんでしょうね」

山田さんはそう言いながら、再びハンドルを握り、車を走らせた。
行く方向は、変えていなかった。

「一路様、1つだけ私は、私としてお伝えしなくてはいけないことがあると思ったのですが……年寄りの戯言だと思って聞いていただいても宜しいでしょうか?」

わざわざ、お伺いを立ててくる言い回しに引っかかったが

「どうぞ……」

聞かないことは許さないという雰囲気を、ピシッとしたスーツの中から醸し出されていたので、僕は腹を括らざるを得ないと思った。

「自殺をすると言うのは、とても簡単にできることではありません。強烈なまでの
意思がなければ、一歩踏み出すことが難しい……。だって、自分の身体の生命活動を止めるのですよ。あなたなら……自分の心臓に自分でナイフを突き立てる事ができますか?」

普段淡々と語る山田さんとは違う、意識を感じる抑揚がある言い回し。
ここだけはしっかり聞いておけ、と言葉にならない息の圧を加えてきている。

「自殺を考える方には、未来を考えることもないほどの絶望を感じたり、生きる価値を感じられない……と言う人もいます。でもそれらは、何故起きるのでしょう?」
「何故……?」

そんなものに理由があるのだろうか、と言いそうになって思い出す。
凪波が僕に演技の話をするときに言っていた内容を。

感じると言うのは反応である。
そして反応というのは、状況が生み出すもので、自然に生まれるものであると。
だから、無理に感情を入れるのではなく、何故その反応が起きるのかを周囲の状況から推測しろと。
そうしなければ自己満足の、嘘の演技になるからと……散々言われてきた。

山田さんは、僕の思考が終わったタイミングを読んだのか、僕の反応を待たずに言葉を重ねた。

「絶望は孤独から生まれると、私は聞いた事があります。仮に、凪波さんが孤独であると感じ、絶望をしたのだとしたら……一体何が、彼女を孤独にしたのでしょう?」