Side朔夜

しまった。
間違えた。
気づいた時には、もう遅かった。
凪波は

「今、それを言うの?」

と呆れたように呟くと、そのままベッドから出て行ってしまった。

「ご、ごめん……!」

シャワーに向かおうとしている凪波を背後から僕は捕まえた。

「離して」
「凪波、怒ってる?」
「何で私が怒るの?」
「……わからない。でも、君の声は怒ってる」

僕がそう言うと、凪波は振り向いた。
微笑んでいるように、見えた。

「もしかして……演技?」
「さあ、どうでしょう?」

茶目っ気たっぷりに凪波が言うので、僕は心底安心して凪波を抱き寄せた。

「ずるいよ……僕が君に弱いの、知ってるじゃないか」
「……そうなの?」
「知らないとは言わせないよ」

僕は凪波の唇を引き寄せ、キスをしようとしたが

「凪波?」

彼女の手が、僕の口を塞いだ。

「朔夜……このまま聞いて。私は、朔夜がちゃんと輝けるように頑張るから。だからごめんね、今の話は聞かなかったことにするから」

どうして。
僕がそう言おうとした時だった。
急に頭がくらっとして、そのまま凪波の姿があっと言う間に消えた。

「ごめんね、朔夜」

凪波の声だけが、闇に響いた。
それがこの夜の最後の記憶。
次目覚めた時は、ベッドの上に僕はいて、凪波はすでにどこかに消えていた。

凪波と僕は、この日を境に滅多に顔を合わせることができなくなった。
正式に凪波がマネージャーを辞めてから、僕の仕事が一気に増えてしまい、ほとんど家に帰れなくなった。
帰れたとしても、睡眠時間を除くと、僕と凪波が一緒にいられる時間を作れたのは、長くても3時間あれば良い方だった。

でも、僕にとっては、凪波と確実にいられると、自分のスケジュールで分かっている時間の中では、凪波がいなかった時間帯が1度もなかったから、麻痺していた。

凪波と僕は、知らないことがないと。
凪波のことを僕は1番知っていると。
僕を朝送り出した凪波は、僕が帰ってくるまでに、彼女がしたいと思うことをしていて、夜戻ってきたら凪波が迎えてくれる。
それが当たり前だと思っていて、僕がいない時間の凪波が何をしていたかなんて、疑いもしなかった。