Side朝陽

おばさんは、毎日泣いていた。
おじさんは、毎日困惑していた。
そして凪波は、日に日に笑顔を失っていった。


チャイムを押す。
誰も出ない。
俺はすでに、凪波の家の合鍵を持っていたので、慣れた手つきで開ける。
暗い廊下の奥はリビング。テレビの音の紛れて、おじさんとおばさんが何かを話しているらしい声が聞こえる。
俺は顔を出さずに、そのまますぐ手前の扉を開ける。

「凪波、いる?」

凪波は、ベッドに横たわり、天井を眺めていた。
こちらにゆっくり視線を動かす。

「あ、いらっしゃい……朝陽」

凪波は、ようやく俺を俺として認識してくれるようになった。



退院後、俺はたくさんの写真をかき集めた。
高校時代のクラスメイト達のものだ。

会社で働いている様子や、成人式の後の飲み会ではしゃいだ様子。
結婚式の様子や子供を育てている様子など……。
10年間で何が起きたのか、俺は1日1時間だけと決め、一人ずつ丁寧に話していく。

「えーあいつが子持ち?信じられない!」
「だろー?奥さんと俺、知り合いなんだけどさ、でっけえ子供育ててる気分だ〜って嘆いてたよ」
「ほんとだよ!だっていまだに私、あいつが人の親やれるなんて思えないもん……」

それは、仕方がないのかもしれない。
凪波の頭の中は、全員が「制服姿」なのだから。



「お、そろそろ帰るわ」
いつも通り、時間になったら即帰る。
今日もそのつもりだった。

「ねえ……朝陽?」

そのルーチンを、凪波が今日止めた。

「どうした?」
「あのさ……ありがとうね……」
「え?どうしたんだ?急に……」

今までは普通に「またね」の一言で済むはずだったのに。

「朝陽だけだよ……」
「何が?」
「……朝陽、何も聞かないよね」
「聞くって何を?」
「…………私のこと……お母さん達みたいに……」

おじさんとおばさんは、毎日凪波に会うたびに
「本当に思い出せないの?」
「どこにいたの?」
「本当は、少しはわかってるんでしょ?」
「黙ってないでなんとか言ったらどうなの!?」

などと、過去のことを少しでも聞き出そうとしていたし、興信所に行って聞いた方がいいのかという話をしているのも……俺は知っている。
だから凪波が部屋から出るのを拒み、トイレ以外はベッドの上で横になることを選んだのだということも、俺は知っている。

「……朝陽と話すのが、今1番落ち着くんだよね……」

本当は、聞きたいことがあった
でも、それを聞いてしまうのは、別の意味で怖かった。
今、俺は少なくとも幸せだと思っている。
その幸せをぶち壊すことにつながるのではないかと思ったので、あえて何も聞かないことに決めた。

でも、俺は毎晩眠れなかった。
凪波を抱いた男が別にいる、という事実がどうしても許せなかった。
そのことを思うと、胸が張り裂けそうになる。
そいつと出会わなければ、俺が……。



「なあ、凪波?」
この瞬間、その言葉がするりと出たのは、きっとすべての準備が整ったからかもしれない。



「俺が支えるから、俺と結婚しないか?」



他の男の形跡なんて全て消してやるくらい、俺がお前を大事にする。
だからどうか、頷いてくれ。



「……いいよ」
「……今、なんて言った?」
「朝陽と結婚する」
「ほ……本当か?」
「今は、朝陽と一緒にいる方がいいから」



俺はその言葉を聞いてすぐ、凪波をこれまでにない力で抱き締めてしまった。

「約束する。大事にする。絶対大事にする」

自分の語彙力がないのが悔しいほど、その時の気持ちはどんな言葉でも言い表すことができない。