Side朔夜

心臓の鼓動が聞こえる。
どくん。どくん。
まるで誰かが和太鼓を鳴らしているかのように。
リズムは一定。
聞いているだけで、穏やかな気持ちになる気がする。
これは……誰の音だろう……?
……僕の音?
それとも……。


「一路君、君から聞こうか」

うるさい。
僕の思考の邪魔をするな。
言ってやりたい。
でも、言葉を紡ごうとすると、あの味が口の中に広がってしまう。

胃液と、鉄がまじった味。
僕が知っている、もっとも地獄に近い味。
この味が僕を、かつての……無力で、ちょっと力を加えたらすぐにぷちり……と、捻り潰されるような時代へと引き戻そうとする。

嫌だ。
まだ、僕には……そこに還れない理由がまだ、この世界にはあるんだ……!


「君は彼女に捨てられた男だ」
「置いていかれたことを認められない、哀れな男だ」


目の前にいるこの男は、僕にこう吐き捨てた。

……違う……。
違う……違う……違う!!!
僕と凪波は、確かに愛し合っていた。
お互いを求め合っていた。
もう、お互いなしではいられなかった。
それだけの強い絆が……ずっと欲しくて仕方がなかった、消えるはずがない、堅い絆がようやく結ばれたはずだったんだ。
それを、こんな男に……お前達に邪魔だけはさせない……!!!

「彼女は……元に戻るのか……?」

僕は、確認したかった。
凪波が、元の……僕が愛したあの凪波に戻るのか。
あの凪波を、取り戻せるのか。
取り戻したら、もう2度と手放さないように、大事に宝箱に仕舞い込もうと……思っていた。
そして一生、今度こそ。
彼女と2人だけの幸せな空間を創るのだと。

それなのに、この男はあっさりと僕の切なる願いを一蹴した。

「無理だ。彼女はもう……君が愛する彼女には戻らない」

神様。
僕が望むことは、そんなに悪いことなのですが。
僕はたった1つだけが欲しかったんです。
彼女が、やっと見つけたたった1つだったんです。

神様。
僕にはそれすら手に入れる事を、許してはくれないのですか?

悠木は、僕の目線に自分の指を動かした。
そして、そのまま、僕の目線を誘導させる。
そこには、黒いチップが映像として映っていた。

「正直に言おう。この状態になる前に、彼女が自分から望めば、簡単に記憶を取り戻すことができた」
「ちょっと待ってくれ」

海原が、悠木の言葉を遮る。

「凪波は記憶がないんだ!記憶を取り戻す事をあいつが自分で望むなんて……そんなこと……」
「海原君。君の短所は、その突発的な行動力だ。時にはそれが機動力になり、大きな力を発揮することもあるが……心理戦でそれをするのは、不利になる。覚えておくと良い」
「っ……!!」

海原は、悔しそうに唇を噛んだ。

「さて、続きを話そうか。私はね……一路君……君の愛する凪波さんにこう頼まれたんだ。君と過ごした記憶に関わる全てを、自分の体から消して欲しい……とね」