Side朔夜

もう、いつだったかは覚えてない。
ただ、まだ僕はあの頃、体がとても小さくて、何かをする時は常に背伸びをしていた気がする。

僕に母と呼ばせた女が、その頃まだいた。
ほとんどは外に行っていたが、たまにこの部屋に来てはカップラーメンや菓子パンだけを置いて、またすぐにどこかへ行ってしまう、そんな女。

寒い空気と油と香水がまじったような臭いは覚えている。
そんな中で、ぺらぺらの毛布……もはや布と言ってもいいだろう……に包まって、その夜も寒さを耐えていた。
うとうとと眠りにつこうとした時に、布が取り去られた。

急に感じた凍えるような寒さで、ぱちっと目が覚めた。
女が、僕を見下ろし、僕の手をつかみ、僕を引っ張り上げた。

「着替えて」

女は、僕にただそれだけ言った。
僕は着替える、という言葉の意味が分からなかったから、立ち尽くしていた。
女はそんな僕の体を、これでもか、と殴ってから、適当な服を複数枚僕に着せただけで、外へと連れ出した。

その服は、夏用の薄いTシャツで、冬の寒さを凌ぐには厳しかった。

僕は泣いた。
大声で。
その度に、母は僕を殴った。

「お前の声は響くんだよ!!頭が痛い!!」

と、金切声をあげて。
そんな女との最後の記憶は、教会前。
女は言った。

「誰か来るまでここで立ってなさい」

そして何事もなかったかのように去ろうとした。
僕は無意識に女のコートを掴んだ。
触ったことのない、心地の良い触り心地だった。

「やめろ汚い!!」

女は、僕を突き飛ばした。

「あんたのせいで苦しい。あんたさえいなければ私はもっと幸せになれた」

早口で捲し立てる女の言葉の意味がわからなかった僕は、女の口から次から次へと吐き出される白い息が、雲みたいで面白い……と考えていた。

だけど、最後の一言は、妙に胸に残った。

「あんたは一生、苦しめばいいのよ。私が苦しんだ分ずっと」

僕はこの時から、この言葉を繰り返し色々なところで言われるようになった。