Side実鳥

リムジンから降ろされて、周囲を見渡す。
海が一望できる崖の上。
ドイツにあるような、古城を思わせる作りの洋館。
私は、この景色を知っている。

何故なら、1度だけ、来たことがあったから。
ある目的を……叶えて欲しかったから。

海原が言う悠木先生とは、間違いなくあの、悠木清のこと。
有名財閥の血筋を受け継ぎ、ギフテッドとして幼少期から注目されてきた、知る人ぞ知る存在。
そんな彼が、企業経営ではなく、アメリカにて医学の道に進んだ時は、マスメディアが一時期理由を追いかけ回したものの、まともな取材はできなかったと聞く。

その後は、一部情報を何らかの方法で取得できたメディアによって、いくつかの悠木清についての話がネット上で広がっていた。

まず彼は、脳医学を専門に、次から次へと難しい病気の手術をこなしてきたことから、脳のスペシャリストと最初は言われたそうだ。
それだけでも十分すごい。
誰も成し遂げることができなかった、致死率100%と呼ばれる脳疾患でさえ、彼の手によって次々と奇跡的な回復を見せた……という情報もある。

しかし、悠木清の天才っぷりはそれだけにとどまらなかったらしい。

外科的な処置だけではなく、精神医学的なアプローチも加え、悠木先生独自のメソッドにより、身体心問わず様々な疾病の根治に成功した……という情報が、ちらほらネット上を駆け巡っていた。

その「奇跡」は、アメリカの新聞にて1回だけ取り上げられたことで、全米に知れ渡ることとなった。
海原に見せた、あのWEBニュースのことだ。
それから「奇跡を創りし者」と呼ばれるようになった悠木清の元には、手術や診療の依頼が殺到したらしく、現地のマスメディアも次から次へと取材を申し込んだそうだ。

しかし、悠木清はそれらの申し出は一切受けることなく、アメリカからは消息を経った……という情報が出回った。
それと同時に、ある筋から

「日本で、彼の特殊診療の患者を引き受けている」

という情報を、偶然私は、聞くことができた。

私は当時、悠木清の特殊診療の力を誰よりも欲していた1人だった。
どんな手を使ってでも、その診療を受けたかった。
そうしなければ、生きていけないと本気で思っていた。
なので、私は貯金をほとんど使い、この場所に来た。
その時は、タイミングやその他、色々都合が悪く、結局来ただけで終わってしまうことになったが。

その後は、色々考えが変わった。
海原との再会が、とても大きかった。
それから、海原や海原の会社の人たちと一緒に過ごす内に、私は特殊診療を受けることができなかった運命を、心から良かったな……と思うようになっていた。
だから、かつてはあれだけ渇望していた悠木清という名前も、うっすらとした記憶にしか残らなくなっていたので、気付くのが遅れてしまった。

もしも。
悠木先生と凪波の繋がりと言うものが、単に主治医と患者という関係性ではなく、もっと前からのものだったとしたら。

もしも。
凪波が私と同じように特殊診療を受けたいと願ったのだとしたら。

……私はもしかすると、大きな失敗をまた、してしまったのかもしれない。