Side朝陽

「あの……大変申し訳ございませんが……お答えできないんです……」

俺は早速、悠木先生の事をフロントで聞いてみた。
若い女性。見たところ、新人なのだろう。
オドオドした態度で、俺に接している。

「どうしてですか、ここに悠木さんがいることは聞いているんだ」
「ですが、規則で決まってまして……」
「規則って……」
「大変申し訳ございません、個人情報保護で……」

ああ、なるほど。
本人の同意がない限りは、決して個人の情報を漏らしてはいけないという法律。
プライバシーの権利を守るためのもの。
やはりこういう大きなホテルともなれば、法令遵守は特に厳しいのだろう。

かつてネットがなかった時代は、プライバシーは筒抜けだった。
田舎のネットワークだと、特にそれが顕著だ。
俺が覚えている限り、同じ町に住んでいる人間の誰が結婚した、離婚した、入院した、死んだといった情報は、その地域で息を吸っているだけで入ってきていた。
回覧板には、いつのまにか自分の家の住所も印刷されていた。

そういう、自分に関する情報が、自分が全く知らない誰かによって知らされる。
子どもながらにちょっと不気味だ、と思ったことがあった。

個人情報について意識をし始めたのは、りんご園で通販を始めた時。
特にマスコミから「あの人が買ったと聞きましたか」と有名人の名前を聞かれた時、つい答えてしまいった。
その後、その有名人の事務所からこっぴどく怒られ、その時に個人情報保護法について勉強しろ、とも言われた。

それからは、個人情報を滅多に漏らさないように、と家族や従業員には徹底した。
しかしながら、田舎にいると、今でも当たり前のように風に噂話が乗ってくる。

そういう中にいると、麻痺してしまう。
人は簡単に他人に関する情報を手に入れられてしまうものだ、と。

だから、あっさり自分が欲しいと思っている、「YesかNoか」という簡単な回答すら聞くことができずにいる今が、とてももどかしく、イライラする。

フロントの女性はただひたすら

「申し訳ございません」

を繰り返すだけ。
そうするように言われているのだろう。

「頼みます!俺は海原といいます!海原朝陽です!悠木先生に伝えてもらえればわかりますから!お願いします!」

そう女性に訴えかけていると

「海原様ですか?」

少し遠くにいた、初老の男性が声をかけてきた。
黒いスーツと個性的な眼鏡が、とてもよく似合っていた。