Side朔夜

スタニスラフスキー・システム。

これは、演じる者にとって演じるため……つまり、役を生きるために、役の人物と同じ感情を体験することが必要である、という考え。

虚構の状況に自分を置くことを想像する。
そして、その状況に直面した時に、自分がどういうアクションをとるかのか……ということを、頭の中で考える力が必要だ、と凪波は言っていた。

僕は、その言葉の真の意味は分からなかった。
ただ、凪波が教えてくれた通り、役を演じる度に「自分だったら」という仮説を常に立てて、イメージトレーニングをしてから演じることで、何となく役のことがわかったかも……と思えるようになった機会は増えた。

また。
感情に対する記憶は、自分が過去に味わった感情を思い出すのが良い……とも言っていた。

悲しみや怒り、虚しさという、ネガティブな感情を伴う演技をしなくてはいけない時は……本当は思い出したくもない記憶だが……孤児院での出来事、そしてあの暗黒の時代の事をふと思い出すようにしたら、そのまま役の想いにあっという間に引き込まれた、ということはあった。

幸せという感情は、凪波のそばにいて彼女を抱いている時。
今だって、その時の事を体温も吐息も思い出せるし、それをするだけで幸せな気持ちが蘇る。

今の、演技者としての僕を作ったのは、そうした凪波との日々。
そして演技者として役を作ったのは、僕の体験と感情。
そしてそれは、僕の記憶の中に残っているものだけしか表には出せない。

あ……。
そういえば、凪波はあの日、外を見ながらこんなことも言っていた。

「私は、どんなに辛い記憶が残ったとしても……体験も、感情も全てひっくるめて演技に昇華させてみせる……そうすれば、役作りがよりリアルになるから」

と。