Side凪波
それからの私の生活は、舞台の幕が上がったかのように、覚醒した。
息を潜めるような生活自体は変わりはないけれど、その意味はまるで違う。
アルバイトを始めた。
自分が自由に使えるお金を手に入れなければ、意味がないからだ。
そしてもちろん、親には内緒で。
そのための難関としては、高校へ提出する許可書と、バイトの面接先に提出する履歴書にある親の同意の部分だった。
うちの高校は、許可があればアルバイトをしても良いことになっている。
むしろ成績を下げないのであれば、社会経験としてプラスに考えられている。
入学式のタイミングでその説明があった。
ただ、母親はその時点で
「アルバイトなんてさせたら、家にお金がないって思われるだけ。何もメリットないわ。もちろん、アルバイトなんてしないわよね」
と、真向拒否だった。
その話をすると、実鳥が
「じゃあ私が書くよ」
と記載を引き受けてくれた。
ハンコも、アルバイト代から返す前提で実鳥に手に入れてもらった。
そうして、私は平日の放課後だけでなく、土日の昼間も実鳥にアリバイ工作を手伝ってもらい、アルバイトに打ち込んだ。
表にでるファーストフード店やコンビニなどは見つかった時が怖い。
平日は隣町のファミレスの皿洗いとして働き、土日は隣町よりもずっと遠い場所で、農業の手伝いをした。
その場所は電車とバスと徒歩を駆使して、往復5時間。行き帰りだけで最初は体力を奪われたので、家にいる時はただ眠るだけになった。
母親は、徐々に私の行動を怪しむようになり、実鳥に連絡を頻繁してきたらしいが、その度に実鳥はうまく誤魔化してくれた。
ただ、そんな状況なので、成績が下がりそうなものなら一気に疑いをかけられる。
私はアルバイト先と行き来している時間に集中して勉強をした。
眠さをこらえながら。
あんなに肉体的に、苦しい時間は知らなかった。
ちょっと油断すれば、地面に横たわりたくなるほどの疲れを、知らなかった。
でも、溜まっていく通帳の金額が、私を精神的にも支えてくれた。
自分が自由にできるお金があることが、まず嬉しかった。
このお金があれば、声優を目指せるかも……と思えることが、幸せだった。
これも実鳥がいなければ、成し遂げられなかった。
本当に感謝をしている。
頭が上がらないほどに。
だけど。
「ねえ凪波!見てよこれー!」
家で勉強できない分、休み時間にも勉強しないといけなかった私に、実鳥は色々な誘惑のものを見せてくる。
新作の漫画に、ドラマCD………そして3万円はするDVDBOXなど、楽しみを知ってしまった今、私にとっても喉から手が出るほど欲しいと思うものを、次から次へと。
私の土日のアルバイト代を足しても、それらを手にすることは到底難しいほど、それらは私にとっては高級品だ。
「どうしたの、それ?」
「どうしても欲しかったから買っちゃったんだ!」
「へえ……いいね」
「十分に楽しんだら、次凪波にも貸してあげるね」
「うん、楽しみにしている」
この会話は、挨拶のように繰り返される当たり前のもの。
実際、実鳥は気兼ねなくどんどん貸してくれる。
ありがたい、と思う気持ちもある。
貸してくれたものを見ることで、声優になるという夢を膨らませることもできる。
本当に、それはありがたいと思っている。
でも。
私はこの時、とても疲れていた。
そのお金はどうやって手に入れたのだろう?
いつそんなに楽しむことができるのだろう?
どうして実鳥の親は、実鳥のことをここまで自由にしているのだろう?
どうして実鳥は、私の今の状況に気を遣ってくれないのだろう?
今、そんな話をしていられるほどの余裕はないのに……。
いつしか、そんなことの方が先に頭をよぎるようになり始めた。
実鳥も、決して悪気があるわけではない。
私は知っている。純粋に自分が面白いと思ったものを、私と共有したいだけだということを。
それでも、思ってしまうのだ。
実鳥は欲しいものは、簡単に手に入れている。
実鳥には、自由な時間がたくさんある。
とても毎日が楽しそう。
そんな実鳥と話をすることが、今の辛さを、苦しさを、忘れられると思った時期もあったけれど。
今はそんな実鳥の顔を見るのも、笑い声を聞くのも嫌になる。
あんなに実鳥には良くしてもらったのに。
実鳥のおかげで、私は道を見つけたのに。
徐々に私は、実鳥に対しても汚い感情を抱くようになっていくのがわかった。
そんな時は、金額が溜まっていく通帳を見て思い出す。
実鳥のおかげだ。
この辛さは自分のためだ。
そう、何度も何度も思い込もうとしても、一方で消せない、燻った黒い闇も、否応なく自覚させられる。
羨ましい。
あなただけずるい。
何であなたはそんなに苦労しなくてもいいの?
私ばっかりどうして。
実鳥と話した後は、いつもこんなことを思うようになった。
けれども1番怖かったのは。
そんな妬みの気持ちを、実鳥に見透かされるのが怖かった。
勝手かもしれないけれど。
その気持ちがバレて、実鳥の笑顔が自分に向けられなくなるのも、怖かった。
この気持ちが大きくなって、いつか八つ当たりしてしまわないかに怯えた。
うちの母のように。
そうなる前に、私は実鳥からなるべく早く離れようと決めた。
私は声優の夢も、東京に行きたいということを実鳥に告げることをしなかった。
私は、自分の心を、そうやって守るので、精一杯だった。
それが、私があの卒業式の日、誰にも言わずにあの駅に向かった理由。
そこから先の私は、あのドロドロした感情から救われたのだろうか。
答えを、知りたかった。
それからの私の生活は、舞台の幕が上がったかのように、覚醒した。
息を潜めるような生活自体は変わりはないけれど、その意味はまるで違う。
アルバイトを始めた。
自分が自由に使えるお金を手に入れなければ、意味がないからだ。
そしてもちろん、親には内緒で。
そのための難関としては、高校へ提出する許可書と、バイトの面接先に提出する履歴書にある親の同意の部分だった。
うちの高校は、許可があればアルバイトをしても良いことになっている。
むしろ成績を下げないのであれば、社会経験としてプラスに考えられている。
入学式のタイミングでその説明があった。
ただ、母親はその時点で
「アルバイトなんてさせたら、家にお金がないって思われるだけ。何もメリットないわ。もちろん、アルバイトなんてしないわよね」
と、真向拒否だった。
その話をすると、実鳥が
「じゃあ私が書くよ」
と記載を引き受けてくれた。
ハンコも、アルバイト代から返す前提で実鳥に手に入れてもらった。
そうして、私は平日の放課後だけでなく、土日の昼間も実鳥にアリバイ工作を手伝ってもらい、アルバイトに打ち込んだ。
表にでるファーストフード店やコンビニなどは見つかった時が怖い。
平日は隣町のファミレスの皿洗いとして働き、土日は隣町よりもずっと遠い場所で、農業の手伝いをした。
その場所は電車とバスと徒歩を駆使して、往復5時間。行き帰りだけで最初は体力を奪われたので、家にいる時はただ眠るだけになった。
母親は、徐々に私の行動を怪しむようになり、実鳥に連絡を頻繁してきたらしいが、その度に実鳥はうまく誤魔化してくれた。
ただ、そんな状況なので、成績が下がりそうなものなら一気に疑いをかけられる。
私はアルバイト先と行き来している時間に集中して勉強をした。
眠さをこらえながら。
あんなに肉体的に、苦しい時間は知らなかった。
ちょっと油断すれば、地面に横たわりたくなるほどの疲れを、知らなかった。
でも、溜まっていく通帳の金額が、私を精神的にも支えてくれた。
自分が自由にできるお金があることが、まず嬉しかった。
このお金があれば、声優を目指せるかも……と思えることが、幸せだった。
これも実鳥がいなければ、成し遂げられなかった。
本当に感謝をしている。
頭が上がらないほどに。
だけど。
「ねえ凪波!見てよこれー!」
家で勉強できない分、休み時間にも勉強しないといけなかった私に、実鳥は色々な誘惑のものを見せてくる。
新作の漫画に、ドラマCD………そして3万円はするDVDBOXなど、楽しみを知ってしまった今、私にとっても喉から手が出るほど欲しいと思うものを、次から次へと。
私の土日のアルバイト代を足しても、それらを手にすることは到底難しいほど、それらは私にとっては高級品だ。
「どうしたの、それ?」
「どうしても欲しかったから買っちゃったんだ!」
「へえ……いいね」
「十分に楽しんだら、次凪波にも貸してあげるね」
「うん、楽しみにしている」
この会話は、挨拶のように繰り返される当たり前のもの。
実際、実鳥は気兼ねなくどんどん貸してくれる。
ありがたい、と思う気持ちもある。
貸してくれたものを見ることで、声優になるという夢を膨らませることもできる。
本当に、それはありがたいと思っている。
でも。
私はこの時、とても疲れていた。
そのお金はどうやって手に入れたのだろう?
いつそんなに楽しむことができるのだろう?
どうして実鳥の親は、実鳥のことをここまで自由にしているのだろう?
どうして実鳥は、私の今の状況に気を遣ってくれないのだろう?
今、そんな話をしていられるほどの余裕はないのに……。
いつしか、そんなことの方が先に頭をよぎるようになり始めた。
実鳥も、決して悪気があるわけではない。
私は知っている。純粋に自分が面白いと思ったものを、私と共有したいだけだということを。
それでも、思ってしまうのだ。
実鳥は欲しいものは、簡単に手に入れている。
実鳥には、自由な時間がたくさんある。
とても毎日が楽しそう。
そんな実鳥と話をすることが、今の辛さを、苦しさを、忘れられると思った時期もあったけれど。
今はそんな実鳥の顔を見るのも、笑い声を聞くのも嫌になる。
あんなに実鳥には良くしてもらったのに。
実鳥のおかげで、私は道を見つけたのに。
徐々に私は、実鳥に対しても汚い感情を抱くようになっていくのがわかった。
そんな時は、金額が溜まっていく通帳を見て思い出す。
実鳥のおかげだ。
この辛さは自分のためだ。
そう、何度も何度も思い込もうとしても、一方で消せない、燻った黒い闇も、否応なく自覚させられる。
羨ましい。
あなただけずるい。
何であなたはそんなに苦労しなくてもいいの?
私ばっかりどうして。
実鳥と話した後は、いつもこんなことを思うようになった。
けれども1番怖かったのは。
そんな妬みの気持ちを、実鳥に見透かされるのが怖かった。
勝手かもしれないけれど。
その気持ちがバレて、実鳥の笑顔が自分に向けられなくなるのも、怖かった。
この気持ちが大きくなって、いつか八つ当たりしてしまわないかに怯えた。
うちの母のように。
そうなる前に、私は実鳥からなるべく早く離れようと決めた。
私は声優の夢も、東京に行きたいということを実鳥に告げることをしなかった。
私は、自分の心を、そうやって守るので、精一杯だった。
それが、私があの卒業式の日、誰にも言わずにあの駅に向かった理由。
そこから先の私は、あのドロドロした感情から救われたのだろうか。
答えを、知りたかった。