こうして、なんとなく芙蓉と如閑は蘭舟宮に出入りを許されるようになった。浪浪も棒を振らず、頷くだけで通してくれる。芙蓉は特に、あの目覚めなかった侍女──麗鈴といった──仲良くなり、蘭舟宮の仕事をともにこなしていた。
けれど、未だ劉貴妃への御目通りは叶わないままだ。
「羽馨様も変なのよね」
麗鈴は手巾に精緻な刺繍を施しながらため息をついた。羽馨というのは劉貴妃の御名である。
「どこが変なの?」
「芙蓉と如閑どのをずっと拒んでいるでしょ? いつもの羽馨様なら、一度自分で話を聞いてから判断するのよ。聡明なお方だもの。でも、芙蓉たちに対しては、取り付く島もないって感じじゃない。らしくないわ」
麗鈴が針を動かすと、鮮やかな薔薇の花が手巾に浮かび上がる。思わず芙蓉は見惚れてしまった。それを見て、麗鈴が得意げに笑う。
「あのね、私が侍女をやっているのだって、羽馨様が話を聞いてくださったからなのよ。……私の生家はね、下級貴族だったけれど、贈賄の罪を犯したといって離散させられたの」
麗鈴の顔が暗くなる。芙蓉は黙って彼女を見つめた。黙々と手を動かしながら、麗鈴は続けた。
「まだ陛下が皇位の継承権を争っていた頃の話よ。私は小さくて、何が起きているのか分からないまま奴婢として売られたの。……そこから先は地獄だった。口に出せないことをたくさんした。それでもある日、羽馨様に出会ったの」
日の光が射して、麗鈴の瞳がきらめいた。
「私は何にもできなかったけれど、手先だけは器用だった。刺繍は特に、貴族のお姫様からも依頼が来るくらいにね。だからこうお願いしたの。一生あなたのためだけに刺繍をします。だから侍女にしてくださいって」
「それで侍女に……?」
芙蓉の問いに、麗鈴は笑って首を横に振った。
「まさか。それだけでなれるほど甘くないわよ。でもね、羽馨様は話を聞いてくれた。そして、私に刺繍を披露する機会をくれたの。自分がどれほど価値があるかは自分で示しなさいと言って」
手巾には薔薇が咲き誇っている。驚くほど緻密で華麗な図柄だ。これが貴妃の手にあれば、きっと映えるだろう。
「それで私は死ぬ気で刺繍をして、認めてもらって、今ここにいる。だから……」
麗鈴の手が止まった。
「羽馨様が変わってしまうのは、寂しいわ」
「そう、ね……」
芙蓉は花窓から庭院を透かし見た。そこでは浪浪と如閑が薪割りをしている。正確に言えば、浪浪が割った薪を、窮奇が背中にくくりつけて納屋まで運ぶさまを、如閑が茶々を入れながら眺めている。如閑は後宮では貴重な力仕事要員として期待されていたが、のらりくらりとそれをかわし、全て窮奇に押し付けていた。いわく「拙は頭脳派なので」らしい。
麗鈴が芙蓉の視線の先を追う。
「浪浪だってそうよ。あの人は侍女の中でも最古参なの。元々は劉家の使用人で、羽馨様とは幼馴染なんですって」
麗鈴は手巾を置き、芙蓉に向き直った。
「だからきっと、芙蓉たちのことは助けに思っているわ。浪浪だけじゃない、私もよ。他にもそういう娘はたくさんいる。私が芙蓉にこんなことを頼むのはお門違いだけれど、でも、どうか羽馨様を救って欲しいの……」
けれど、未だ劉貴妃への御目通りは叶わないままだ。
「羽馨様も変なのよね」
麗鈴は手巾に精緻な刺繍を施しながらため息をついた。羽馨というのは劉貴妃の御名である。
「どこが変なの?」
「芙蓉と如閑どのをずっと拒んでいるでしょ? いつもの羽馨様なら、一度自分で話を聞いてから判断するのよ。聡明なお方だもの。でも、芙蓉たちに対しては、取り付く島もないって感じじゃない。らしくないわ」
麗鈴が針を動かすと、鮮やかな薔薇の花が手巾に浮かび上がる。思わず芙蓉は見惚れてしまった。それを見て、麗鈴が得意げに笑う。
「あのね、私が侍女をやっているのだって、羽馨様が話を聞いてくださったからなのよ。……私の生家はね、下級貴族だったけれど、贈賄の罪を犯したといって離散させられたの」
麗鈴の顔が暗くなる。芙蓉は黙って彼女を見つめた。黙々と手を動かしながら、麗鈴は続けた。
「まだ陛下が皇位の継承権を争っていた頃の話よ。私は小さくて、何が起きているのか分からないまま奴婢として売られたの。……そこから先は地獄だった。口に出せないことをたくさんした。それでもある日、羽馨様に出会ったの」
日の光が射して、麗鈴の瞳がきらめいた。
「私は何にもできなかったけれど、手先だけは器用だった。刺繍は特に、貴族のお姫様からも依頼が来るくらいにね。だからこうお願いしたの。一生あなたのためだけに刺繍をします。だから侍女にしてくださいって」
「それで侍女に……?」
芙蓉の問いに、麗鈴は笑って首を横に振った。
「まさか。それだけでなれるほど甘くないわよ。でもね、羽馨様は話を聞いてくれた。そして、私に刺繍を披露する機会をくれたの。自分がどれほど価値があるかは自分で示しなさいと言って」
手巾には薔薇が咲き誇っている。驚くほど緻密で華麗な図柄だ。これが貴妃の手にあれば、きっと映えるだろう。
「それで私は死ぬ気で刺繍をして、認めてもらって、今ここにいる。だから……」
麗鈴の手が止まった。
「羽馨様が変わってしまうのは、寂しいわ」
「そう、ね……」
芙蓉は花窓から庭院を透かし見た。そこでは浪浪と如閑が薪割りをしている。正確に言えば、浪浪が割った薪を、窮奇が背中にくくりつけて納屋まで運ぶさまを、如閑が茶々を入れながら眺めている。如閑は後宮では貴重な力仕事要員として期待されていたが、のらりくらりとそれをかわし、全て窮奇に押し付けていた。いわく「拙は頭脳派なので」らしい。
麗鈴が芙蓉の視線の先を追う。
「浪浪だってそうよ。あの人は侍女の中でも最古参なの。元々は劉家の使用人で、羽馨様とは幼馴染なんですって」
麗鈴は手巾を置き、芙蓉に向き直った。
「だからきっと、芙蓉たちのことは助けに思っているわ。浪浪だけじゃない、私もよ。他にもそういう娘はたくさんいる。私が芙蓉にこんなことを頼むのはお門違いだけれど、でも、どうか羽馨様を救って欲しいの……」