たった一度のことでも、焼きついて離れない一瞬がある。
 その少年は、幼い頃からこの世ならざるモノがよく見えた。行く先々で気味悪がられ、流れ着いたのがとある貴族の下働きだった。
 その屋敷には、娘が二人いた。一人は都でも評判の美しい少女で、もう一人は異様に影の薄い少女だった。少年にとっては、どちらも雲の上の存在だった。
 その日は屋敷に呪いや妖怪が満ちていた。どうやら王宮から勅使が来て、娘を妃嬪にと望んでいるようだった。そいつらが持ち込んだモノらしい。少年は怯えて暗い室の隅で膝を抱えて震えていた。室の外を妖怪が這いずっていた。と、室に置かれた櫃の中から、ひょこりと頭がのぞいた。

「──誰かいるの」

 少年は悲鳴を飲み込む。影の薄い娘だった。驚きと恐怖が渾然となって、ひっく、という嗚咽になった。

「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったの」

 少女は櫃の中から抜け出して、少年の隣に座った。震える少年の手を握り、優しく微笑む。それで気づいた。少女の手も負けないくらい震えていて、冷たかった。
 少女は少年の背をさすった。

「大丈夫。怖いモノも、誰かといれば乗り越えられるわ。一人ぼっちより、ずっと良いもの」

 確かに、そうしていると恐怖が和らぐ気がした。いつになく落ち着いた気持ちで妖怪をやり過ごし、隙を見て室を抜け出す。少年は少女に訪ねた。またこうしてそばにいてもいいか、と。
 けれど少女は首を振った。

「私は後宮へ行くわ。妹の下女として。だからもう会えない。……もっと早く出会えていれば良かったのにね」

 さよなら、と手を振って、少女は背を向けた。
 その一瞬が永遠よりも長く尾を引いて、今もまだ彼の目を灼いている。

 〈了〉