次郎さんが毎日熱心に手入れをしているお屋敷の庭は、人目に付く本館回りだけでなく、あまり人が訪れない裏庭の隅まで美しい。
季節ごとに色とりどりの花が咲いて異国情緒の漂う、洋館の表の庭の雰囲気も悪くはないが、わたしは簡素だけれど趣のある別館の裏庭の雰囲気が好きだった。
箒を引きずりながら和館の横を通り過ぎると、庭のほうからぶわっと風が吹いてきた。箒が倒れないように柄を強く握りしめて目を細めると、薄紅色の細かな塵のようなものが風とともに吹き流されてくる。
額に手を翳してよく見ると、それは小さな花弁で。つい数日前にここに来たときには枯れ木も同然だった裏庭の老木が、薄紅色の花をその枝いっぱいに咲かせていた。
なんて綺麗なんだろう。
箒がわたしの手からぽとりと落ちた。薄紅色の花を咲かせる老木に導かれるように近付き、枝垂れた枝の先に付いた花に指を伸ばす。
恐々そっと触れようとしたとき、裏庭にさらさらと吹き込んできた風がまた花弁を舞い散らした。
「綺麗でしょう? ここの枝垂れ桜。おれのお爺様の自慢だったんだ」
背後から聞こえてきた声に、ビクリとする。
伸ばしていた手を慌てて引こうとしたら、枝の尖った部分に指先が擦れて小さな痛みが走った。
痛む人差し指の先を反対の手のひらで包んで振り向くと、和館の縁側に黒の学生服を着た少年が立っていた。
わたしみたいに下っ端の使用人がお屋敷に住む方々と直接関わることはほとんどない。けれど、そこに立っているのがこの家の御子息の清一様だということは下っ端のわたしでも知っていた。