すると突然彼は
「くそったれがぁ」と黒板を(なぐ)った。
バンッ!と大きく響いた音に少し遅れて、色とりどりのチョークの粉がふわっと舞い上がった。

「もうくそだよ。俺も世の中も……。もう何も変わんないで……。」



何がモテるだ。何がスカウトだ。
全然そんなんじゃないじゃん。
ほら。何も変わってないじゃん。内浜だよ。
好きな人が世界を変えてくれることなんかない。好きな人が(いろど)りを与えてくれたと錯覚(さっかく)したのは退屈な日常に舞い降りた。こんなチョークの粉のような幻想だったんだ。



雪の降る校舎の教室に、二人取り残された私と内浜。
彼は私を信じて本音を本気で話してくれた。
ぶつかってくれた。
痛々しく嘆く彼を見てなぜか込み上げるものがあった。なぜかたまらなく嬉しかったのだ。




電子オルガンに乱暴に伸ばしかけた彼の手を(せい)して、私の手を()えた。


「話してくれてありがとう。」


涙が止まらなかった。
どうしてなんだろう。ずっと好きだった人に振られたのに、
悲しいわけじゃなく涙が止まらないよ。
だって、私の心の電子ピアノが鳴っている。放課後の時計が秒針を一分時を進める。
ピアノが踊っている。心臓が跳ねている。嗚咽(おえつ)が鳴る。時計が時を刻む。
教室の全部が私達の過ごした日々を、伴奏をする。
この人を好きになれて良かった。







「でもこの電子オルガンは、内浜にとっての野球なの。聞いてて。私、絶対途中で止まらないから!」




───ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド……

心で音階を奏でると、私はソナチネを弾き始めた。午後3時55分だった。今回はぜったいコンクールの失敗を繰り返さない。途中で辞めない。

内浜を想って練習を重ねた、あの曲を今度こそ奏でる。



いつぞやピアノ教室の先生が教えてくれた。

“ソナチネは短い物語なの。呈示部(ていじぶ)、展開部、再現部がある。これはお話でいう、起承転結なの。”

内浜になぞらえた私の物語は途中で途絶えたわけじゃない。冒頭を少しアレンジして繰り返すのだ。再現部なのだ。